2016年06月06日

捨て石が親石になる【使徒言行録4:5〜22】

聖句「この方こそ『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。他の誰によっても、救いは得られません。」(4:11,12)

1.《捨て石発言》 NHK「週刊ニュース深読み」での小野文惠アナの「捨て石発言」が話題になりました。「不妊治療」に取材した番組で「保険の適用を希望する」当事者からの声に対して、「生まれない子どもに税金使うな」という心無い言葉が寄せられて、それに対するコメントでした。しかも、番組ディレクターが彼女に言った言葉「私たちは良い捨て石になろう」の引用で、自身も受け止め切れなくて、番組の出演者に投げ掛ける展開だったのです。

2.《愛の無い事》 テレビ番組ですから、互いに共感を寄せ合うよりも意見の対立を煽って喧嘩させた方が視聴率が上がるという、冷酷非情な計算が働いていたと思います。しかし、如何にも愛の無いことだと思いました。ゆとり、寛容さ、想像力の欠如がもたらす「辛さ」を感じるのです。市川森一脚本の『淋しいのはお前だけじゃない』というドラマがありましたが、それぞれの辛さや淋しさを抱えて生きているのです。その度合いを比べ合って誇るのも、自己絶対化するのも、他者の不幸を見て甘く感じるのも、破滅への道でしかありません。

3.《捨てられて》 日本語の「捨て石」は、庭に配置された石や囲碁の戦術上の布石のように、当面は無駄と思われても、後で役立つものです。しかし、聖書に言われる「捨てられた石」は本当に忌み嫌われ、拒絶され軽蔑され、打ち捨てられているのです。それが十字架のイエスさまなのです。しかも、彼を捨て去ったのは「家を建てる者」、徳を行ない信仰を擁護する立場の宗教者、世界を発展させる立場の為政者です。「親石」とは「礎石」ではなく、石造りのアーチの頂上に打ち込んで完成させる「楔石」です。この世界から捨てられた存在が、実は、世界を完成させる「要石」だったのです。そのことに気付いたのは、同じように捨てられる体験と思いを味わった人たちだったのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 12:19 | 毎週の講壇から