2016年07月04日

天使の立っている家【使徒言行録11:1〜18】

聖句「彼は、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が、こう告げたことを話してくれました。」(11:13)

1.《庭の天使》 自宅の庭や玄関に飾り物を置いている人は珍しくありません。信楽焼きの狸、シーサー、白象、花壇に七人の小人やピーター・ラビット等です。ホームセンターに行くと「エンジェル」「アンジェロ」と称して、クピド風の天使像も販売されています。宗教像専門ショップに行けば、キリスト像や聖母像、聖母子像も手に入ります。しかし、信徒は飾ったりはしません。

2.《使者たち》 サラリーマンやOLが教会の軒下で雨宿りや日除けをしていることがあり、出会い頭に私も驚き、相手も驚かせてしまいます。別に「天使」でなくとも、見知らぬ人が立っていたら驚くのです。ところが、聖書では、天使が出て来ても特別に驚く人はありません。むしろ、百人隊長がペトロに使者を遣わしたことが驚きです。それに即応したペトロも周囲に驚きを与えました。しかし、彼は事前に「神が清めた物を、清くない等と言ってはならない」という主の啓示を受けていたのです。これは異邦人伝道のテーゼです。この一言が無ければ、イエスさまの福音は私たちの所には届かなかったことでしょう。

3.《パシリ道》 「清い」は「聖」です。聖なる神の御前にあって「義」とされること、救われる者です。旧来のユダヤ教徒は、割礼を受けて律法を守る者こそが「清い」と考えました。しかし、割礼も律法遵守も人間の手の業に過ぎません。新約聖書では、聖霊によって清められると主張するのです。昔から「使徒行伝」は「聖霊行伝」と言われます。使徒の言行は、聖霊の働きだからです。そもそも「使徒」も「天使」も「使い」の意味です。若い子たちは「使い走り」を「パシリ」と呼んで蔑みますが、キリスト教信仰は「パシリ道」です。但し、人間ではなく、神さまの「パシリ」に徹するのが私たちです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:46 | 毎週の講壇から