2016年07月11日

キリスト者と呼ばれて【使徒言行録11:19〜26】

聖句「このアンティオキアで、弟子たちは初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」(11:26)

1.《不良少女》 1984年に『不良少女とよばれて』という大映ドラマがありました。母親の一言に傷付いた少女が非行に非行を重ね、少年院送りとなるのですが、指導に来た青年との出会いから民間舞楽の第一人者に成る物語です。これは原笙子の自叙伝のドラマ化です。本人が「不良少女とよばれて」いたのは1950年前後です。いつの時代にも不良少年少女は存在しているのです。

2.《ツッパリ》 「不良少年」と「非行少年」は違います。不良は自らを「不良」と称しますが「非行」とは言いません。「非行」とは飽く迄も大人目線の語です。これは「自らを何者とするか」というアイデンティティの問題として重要です。大学時代にクエーカー教徒の女性から「本当は、自分たちはフレンドと言う」と教えられて目から鱗でした。元々「クエーカー/震える人」の名称は、迫害した側が投げ付けた蔑称だったのです。「メソジスト」もまた「方法を重んじる几帳面な奴」という蔑称です。嘲笑われても「然り」と認めて、そのように呼ばれることを恥としなかったのです。これぞ信仰者のツッパリです。

3.《喧嘩上等》 そもそも「プロテスタント/抗議する人」の名称も、彼らの信仰の自由と良心の権利を踏み躙ったローマ教会側が名付けたものです。ローマ教会が自らを「カトリコス/普遍的な教会」と僭称し続けているのと比べると、興味深いことです。弾圧する側、権力者側や体制側からレッテルを貼り付けられても、売られた喧嘩を買うのです。「キリスト者、クリスチャン」も同様です。当初、信者たち自身は、そう呼ばれることを良しとしなかったのです。しかし、紀元2世紀初めには、その名前の故に苦難を受けても惨めとは思わなくなったのです。まさに「喧嘩上等!」、キリスト者のツッパリです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から