2016年07月18日

希望を抱いて生き抜くために【使徒言行録24:10〜23】

聖句「更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。」(24:15)

1.《フェリクス》 ディズニーの「ミッキーマウス」(1928年)と田河水泡の「のらくろ」(1931年)は、墺系米人のメスマーとサリヴァンが作った「黒猫フィリックス」(1919年)が源流です。ここには、同じ「フェリクス」という名前の総督が登場します。ピラトから数えて7人目、他の総督たちが腰掛け任期なのに比べると、ピラトの10年、フェリクスの8年は立派です。

2.《分派と異端》 パウロが、エルサレム滞在中にキリストを証したために騒動が起こりました。ローマの市民権を持つパウロは、総督フェリクスの所に護送されて来たのです。キリスト教信仰は「この道」と呼ばれています。未だ名前が無かったとは言え、まるで口に出すのも憚られる「忌み名」のようです。「分派」とも言われています。「協会訳」「新改訳」では「異端」とも訳されていますが、「分派/ハイレシス」に「異端」の含みが加わるのは紀元2世紀以降です。ともかく、他の人から何と言われようと、何と思われようと構いません。一番大切なのは、自分が何を信じているか、信仰と信条です。

3.《復活の希望》 パウロは総督の前で自らの信仰を弁明しますが、自分たちの信仰は「旧約聖書に基づく」と主張すると共に、「復活の希望を抱く信仰」だと表明しています。キリスト教の核は復活信仰なのです。但し、パウロは「正しい者も正しくない者も」と付け加えています。ファリサイ派も復活信仰を持っていましたが、善行と徳を積んだ信仰者のみが復活すると考えていました。しかし、パウロは自分の敵である彼らも、自分を暗殺しようと狙っている者たちも、御心ならば救われると言います。それ故に、ここでの「希望/エルピス」は「絶対用法」なのです。普遍的な、究極の希望とされているのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:52 | 毎週の講壇から