説 教 成長する建物=@

聖 書 エフェソの信徒への手紙 2章11〜22節(p.354)
讃 美 歌 27、116、490、400、416、76、89
交読詩編 詩編23編1〜6節(p.29)
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標語 『求道〜道を尋ね求める〜』
主よ、あなたの道をわたしに示し、あなたに従う道を教えてください。
(詩編25章4節)
聖句「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。」(3:18)
1.《ソフィア》 日本なら「知恵ちゃん」です。欧米では、略称の「ソフィー、ゾフィー」も含めて人気のある名前です。イスタンブールの世界遺産「アヤソフィア」も本来は「聖ソフィア大聖堂」でした。イエズス会設立の「上智大学」の名前も「聖母の連祷」の「知恵ある乙女/上智の座」から採られています。「上からの知恵、神の知恵」を「ソフィア」と呼んでいたのです。
2.《悔い改め》 「あなたがたの中で、知恵があり分別があるのは誰か?」という問い掛けを、寅さん風に言えば「お前、差し詰めインテリだな。それじゃ余計、女にモテないよ」です。内閣や政府が「学識経験者」を集めて、報告書や提言などを作らせていますが、政策を支持するだけの「御用学者」に過ぎない場合が多いのです。「ヤコブの手紙」は辛辣です。それでも、あなたがたが「神の知恵」が与えられていると言うならば、美しく魅力的な生き方、温情のある行ないをもって示しなさい。むしろ、あなたがたは「内心、妬み深く利己的である」のだから、自慢したり虚勢を張ったりしないで、恥を知り、真理に向き合いなさい。
3.《実を蒔く》 私たちが「人類の英知」等と威張っても、私たちが「知恵」と称しているものは、真の「知恵」ではないのです。「地上の知恵(狡知)」「この世の知恵(世知)」「悪魔から出た知恵」なのです。だから、便利で快適に成っても、幸せから遠ざけ、混乱と悪行の元凶にも成っています。科学技術も発明品も学術研究の成果も「妬みと利己心」から生み出されているからです。「上から出た知恵/上智」は賢さ、利口さ、機転や頭の回転の速さではなく、品性や人格に関わるものなのです。実を結べば自慢したくなるのが人情ですが、そこで結ばれた「良い実」を蒔くのです。そこに平和が作られるのです。
朝日研一朗牧師
聖句「この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。」(1:23)
日本の教会の伝道はふるわない、このままでは次の世代はどうなるという危機感を募らせる言葉をよく聞きます。しかしそもそも何のために伝道するのか、教会としても一信仰者としても共有しているでしょうか。
パウロは回心後、自分のすべてをキリストのためにささげた強い伝道のモチベーションがありました。それは、今や御子の死によって神の前に聖なる者としていただけた(22節)、そのありがたさを心から信じこの福音の希望が世界中で共有されているスケールの大きなものであることを実感していたからです(23節)。なのにもし信仰を「私の心の中だけのもの」などと私物化して伝道を遠慮したりしては、キリストの贖いを小さくしている上に神の国から他者を締め出すことです。
何よりも確実な神の国の国籍をいただいている(フィリピ3:20)栄光を、私たちはキリストのお苦しみの意味がなお欠けているこの国で宣べ伝えなければなりません。伝道は、自らの危機感や一挙両得のためではなく、すでに世に勝利されているキリストの力が私たちの内に力強く働くことなのです。
キスト岡崎さゆ里宣教師
聖句「わたしは道であり、真理であり、命である。」(14:6)
1.《わたしは道であり、真理であり、命である。》 主イエスは、ご自分が十字架に掛けられる前の晩に、不安な思いでいた弟子達に、「心を騒がせるな。神を信じ、私を信じなさい。」と言って、慰め励まされました。そして、「あなた方の為に場所を用意しに行くのだ」と告げられたのですが、彼らは、そこへ行く“道”が分かりませんと尋ねた時に、主が語られたのが、この御言葉です。将に、キリストこそ「父なる神に至る、唯一つの道」であり、「真理」、又、「永遠の命」です。
2.《わたしを通らなければ、だれも、父のもとに行く事は出来ない。》 主イエスは、又、ご自分によらなければ誰も父のもとに行く事は出来ないと明言されました。神から来られた、独り子なる御子イエス様のみが、父なる神様の御心を完全に現わす事の出来るお方であり、全人類の罪を贖い得る唯一のお方なのです。主イエスと父なる神は一つです。主イエスの内に父なる神様がおられ、父なる神様の中に主イエスがおられる事を信じなさい、と主は勧めておられます。「主イエスを見た人は、実は、父なる神様を見た」のであります。
3.《私の名によって願う事は何でもかなえてあげよう。》 主イエスが死と復活を通して開かれた、「主イエスと共にいつもいると言う、この恵みに満ちた、永遠の命の世界」が、福音として宣べ伝えられる為には、私達の力ではなく、上からの力、即ち、神様ご自身とイエス・キリストからもたらされる「聖霊」によらなければ不可能な事です。主は「何でも求めなさい」と言って下さいますが、何にも増して、主の御霊を祈り求めるように、私達に勧めておられます。
清瀬弘毅牧師
聖句「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(5:9)
1.《アメリカの平和》 コルトSAAは、西部開拓者を先住民の襲撃から守った拳銃として「ピースメーカー」の愛称で呼ばれています。コンベアB-36戦略爆撃機にも「ピースメーカー」の別称がありました。B-29の後続機で、大戦後に米軍に配備、朝鮮戦争でも温存されました。航続距離が11,000キロもあり、ソ連と中国への核攻撃を準備していたのです。「平和」という語に騙されてはいけません。問題は誰のための平和であるかです。
2.《自分たちの平和》 カナダ人のイアン・アーシーは、日本の「お役所言葉」の研究をした人です。彼によると、日本では「戦争」は忌み言葉で、常に「平和」と言い換えているそうです。「平和記念公園」等と言いますが、平和を祈念する以前に、戦争の愚かさを直視すべきでしょう。他にも、戦争は事変、日本軍は自衛隊、敗戦は終戦と、語にモザイクを掛けています。「平和国家」を自称しながら、沖縄に米軍基地を集中させ、米軍の後方基地として機能することで、私たちも戦争の加害者であり続けているのです。米軍が敵地に原爆を落として「ピースメーカー」と主張するのと同じくらい、恥ずべきことです。
3.《平和を作り出す》 イエスさまは「平和を愛する人」でも「平和を好む人」でもなく「平和を作り出す人たち」が幸いであると仰います。しかも、それは複数形です。自分だけに実現すれば良いのではなく、複数の人たち、異なる共同体と共に実現されるのです。元海兵隊員で平和運動に転じたアレン・ネルソンは、ベトナムの農村を攻撃した時、偶然に若い母親の出産に遭遇して、人間性を回復して行きます。帰還後、小学生たちに体験を語った時、「あなたは人を殺しましたか?」という少女の問い掛けを突き付けられて、運命を変えられます。それこそが「平和が作り出された」瞬間だったのです。
朝日研一朗牧師