2016年09月25日

第2回麺@ワーク

今年度2回目の麺@ワークをしました。今回の麺はうどんでした。温かいうどんに好きな具をのせていただきました。

20160925麺@ワークでうどんを盛り付ける

20160925麺@ワークでうどんを食べる

その後、庭の草抜きをしました。高い屋根に登って電球の交換をしたかたもいます。

20160925麺@ワークで草抜き
posted by 行人坂教会 at 20:45 | 教会アルバム

雨のあとは上天気

1.ロングレイン

先日、テレビの天気予報を見ていたら、アナウンサーが「梅雨前線は…」と口走ってしまいました。咄嗟に私は「それを言うなら、秋雨前線でしょう」と、テレビに向かって反論しましたが、当然、向こうは聞いてくれていない訳で、そのまま天気予報のコーナーは終了しました。しかも、この失言にスタジオでは誰も気付かず、視聴者からの反応も無かったようで、訂正されることはありませんでした。

その後、雨音を聞く度に、私は「そうかあ、梅雨前線なんだ」と独りごちています。そう言われたら、そんな気がして来るのでした。事実、今年の秋は梅雨と見紛うばかりに雨の日が続いているのでした。この文章を書いている今は、所謂「シルバーウィーク」ですが、週日ズッと「雨のち曇り」「曇りのち雨」という予報です。

残念ながら、湿気嫌いな私にとって「雨音はショパンの調べ」ではありません。ただ鬱陶しいだけです。そんな雨音を聞きながら塞ぎ込んでいると、昔読んだレイ・ブラッドベリの短編に「長雨」(Long Rain)という恐ろしい小説があったことを思い出しました。彼の短編集『ウは宇宙船のウ』(R Is for Rocket)の中の一編です。

2.雨降りやまず

宇宙船が不時着した惑星はジャングルに覆われていて、引っ切り無しに雨が降り続いています。生き残った4人の宇宙飛行士たちは、植民者の作った「太陽ドーム」(人工太陽が設置されている)を目指して、ジャングルの中を歩き続けているのです。疲労と雨のせいで、彼らの顔は真っ白になり、制服はカビが生えて緑かがっています。

「太陽ドーム」に着いたかと思えば、それは自分たちの宇宙船でした。ジャングルの中を歩き回った挙句、戻って来てしまったのです。死んだ乗組員の口からはキノコが生えて、胞子を飛ばしています。食糧も尽き掛けています。漸く辿り着いた「太陽ドーム」は異星人の攻撃を受けて廃墟と化していました。やがて「電気嵐」に襲われて1人が焼死、絶望の余り乱心した1人が立ったまま(!)溺死、1人がピストル自殺します。

実は、1962年に出版された短編なので、舞台は「金星」という設定に成っているのです。現代の天文学からすれば、金星が「雨の降り止んだことのない」惑星だなんて、全くのデタラメです。その後、二酸化硫黄の雲から硫酸の雨が降っている惑星として、金星を描くSFも随分とありましたが、その硫酸の雨でさえも地上には届いていないことが、現代では明らかに成っています。実際の金星は二酸化炭素の濃度が異常に高く、その温室効果のため、地表の温度は4〜5百度もあるそうです。

そう考えると、ブラッドベリの「雨の降り止んだことのない」惑星という設定は、SF的奇想であり、怖いながらも、どこかしらロマンチックな趣きすら感じさせるのです。そう言えば、瀬川瑛子の演歌にも「雨降りやまず」というのがありました。渡哲也にも同名別曲がありました。

「金星では雨の降りやんだことなんてありませんよ。ただもう、いつまでもいつまでも降り続いているんです。金星にきて10年になりますが、1分、いや1秒でも、雨がざあざあ降っていないのを見たことがありませんね」(大西尹明訳、創元推理文庫)

3.俄かでない雨

聖書の舞台、パレスチナ地方では「雨は冬」と相場が決まっています。地中海式気候のパレスチナの1年は、夏の「乾季」と冬の「雨季」とに分かれています。乾季には一滴の雨も降りません。雨季は11月初めから3月までだそうで、湿った西風が雨を運んで来るそうです。しかも、雨季の降雨だけが大地を潤してくれる水分ですから、農民にとっては、それこそ「天の恵み」であって、これが少ないようだと旱魃と成って、飢饉の原因にも成り兼ねません。ですから、秋の収穫祭である「仮庵祭」(秋分の日に近い満月から1週間行なわれる)の最終日には、雨乞いの祈りが厳かに奉げられたそうです。

雨季の雨も3つに分類されています。

「申命記」11章13〜14節「もし私が今日あなたたちに命じる戒めに、あなたたちがひたすら聞き従い、あなたたちの神、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして仕えるならば、私は、その季節季節に、あなたたちの土地に、秋の雨と春の雨を降らせる。あなたには穀物、新しい葡萄酒、オリーブ油の収穫がある」。

本来、聖書の世界には「春秋」という季節の観念は存在しません。「秋の雨」と意訳されているのが「イオーレー/前の雨」、10月末から11月に掛けて、乾季の終了と共に降り始め、土地を潤して耕作可能な土地に戻してくれる雨です。「春の雨」と意訳されているのが「マレコーシュ/後の雨」、3〜4月に降り、夏の作物を成長させて、穀物を実らせるので「祝福の雨」とされています。

この2つの間に「冬の雨」があります。「私たちは主を知ろう/切に主を知ることを求めよう/主は明日の光のように必ず現われ出で/冬の雨のように、私たちに臨み/春の雨のように地を潤される」(日本聖書協会訳)。「冬の雨」は、12月中旬から2月末に降る長雨です。大量に降ることで井戸や水槽の水が満たされるのです。地元住民は雨樋を設置して、この雨水を水槽に貯えて置くそうです。

この「冬の雨/ゲシェム」は、ただ単に「雨」という意味なのです。俄かでは無い、本降りの「雨」を言うのです。「新共同訳」では「降り注ぐ雨のように」と訳していますが、これが直訳の感覚に近いかも知れません。「ゲシェム・ショーテープ/続けざまの雨」と言えば「豪雨」、「ヤーラド・ゲシェム」と言えば「雨が降る」と成ります。

牧師 朝日研一朗

【2016年10月の月報より】

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