聖句「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。」(13:2)
1.《ホスピタリティ》 外国人観光客の増加と共に観光業界を中心に、この語が唱えられることが多くなりました。「厚遇、接待、お持て成し、接客サービス」と訳されています。しかし、「客」に対してのみならず、「訪問者」や「見知らぬ人」にも向けられるものです。更に「寛容さと善意をもって受け入れる」ものです。寛容は「偏見に縛られず自由であること」「惜しみなく与える気前良さ」です。
2.《フィロクセニア》 語源のラテン語「ホスペス」には、不思議なことに「主人」と「客」の両方の意味があります。つまり、何かの拍子に「主客」の立場が入れ代わり得るということです。立場の優位性を捨て去り、対等の立場であることです。旧約聖書の伝統の中では、自分の天幕に身を寄せた旅人を、主人は自らの命を投げ出しても守りました。古代ギリシアでは、「旅人/クセノス」を「神/ゼウス」の使いと信じて親切にしました(ゼウス・クセノス)。「兄弟愛/フィラデルフィア」も大切ですが、身内びいきばかりではダメで、「見知らぬ人への愛/フィロクセニア」も忘れるなと勧められているのです。
3.《隠されている》 旧約聖書には「気付かずに天使たちを持て成した」人たちの話があります。「気付かずに」は「隠されている」という語です。聖公会の宣教師、ヘンテ女史は昭和の初め、千葉に結核患者の療養施設を建てようとしましたが、地元住民の反対に計画は頓挫しかけていました。見ず知らずの病人のために私財を投じる宣教師が、住民には理解できなかったのです。その時、元船員だった老人が寄港した英国で、宣教団の女性に親切にして貰った体験を語りました。これを機に理解が広がったそうです。「天使」のメッセージを、最終的に受け取るのが誰であるか、私たちの目には「隠されている」のです。
朝日研一朗牧師