2016年10月31日

天使をもてなす人【ヘブライ13:1〜6】

聖句「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。」(13:2)

1.《ホスピタリティ》 外国人観光客の増加と共に観光業界を中心に、この語が唱えられることが多くなりました。「厚遇、接待、お持て成し、接客サービス」と訳されています。しかし、「客」に対してのみならず、「訪問者」や「見知らぬ人」にも向けられるものです。更に「寛容さと善意をもって受け入れる」ものです。寛容は「偏見に縛られず自由であること」「惜しみなく与える気前良さ」です。

2.《フィロクセニア》 語源のラテン語「ホスペス」には、不思議なことに「主人」と「客」の両方の意味があります。つまり、何かの拍子に「主客」の立場が入れ代わり得るということです。立場の優位性を捨て去り、対等の立場であることです。旧約聖書の伝統の中では、自分の天幕に身を寄せた旅人を、主人は自らの命を投げ出しても守りました。古代ギリシアでは、「旅人/クセノス」を「神/ゼウス」の使いと信じて親切にしました(ゼウス・クセノス)。「兄弟愛/フィラデルフィア」も大切ですが、身内びいきばかりではダメで、「見知らぬ人への愛/フィロクセニア」も忘れるなと勧められているのです。

3.《隠されている》 旧約聖書には「気付かずに天使たちを持て成した」人たちの話があります。「気付かずに」は「隠されている」という語です。聖公会の宣教師、ヘンテ女史は昭和の初め、千葉に結核患者の療養施設を建てようとしましたが、地元住民の反対に計画は頓挫しかけていました。見ず知らずの病人のために私財を投じる宣教師が、住民には理解できなかったのです。その時、元船員だった老人が寄港した英国で、宣教団の女性に親切にして貰った体験を語りました。これを機に理解が広がったそうです。「天使」のメッセージを、最終的に受け取るのが誰であるか、私たちの目には「隠されている」のです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:51 | 毎週の講壇から

2016年10月25日

10月第5主日礼拝

      10月30日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 天使をもてなす人=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ヘブライ人への手紙 13章1〜6節(p.418)
讃 美 歌  27、123、490、152、101、24
交読詩編   詩編130編1〜8節(p.149)

・讃美歌練習(11月の月歌:136番) 礼拝後     礼拝堂

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2016年10月24日

アナザー・カントリー【ヘブライ11:13〜16】

聖句「…はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表わしたのです。」(11:13)

1.《二十四の瞳》 1954年の木下惠介監督の『二十四の瞳』は、小豆島の「岬の分教場」に赴任して来た女教師、大石先生と12名の生徒たちとの心の交流を描いた名作です。12人の教え子だから「二十四の瞳」なのですが、フランスで上映された時には、その題名から、24も目玉のある気味の悪い怪獣が出て来ると誤解した人がいたそうです。同年に『ゴジラ』が公開されていたからです。

2.《慈しみ深き》 映画『二十四の瞳』は怪獣映画ではなく、尋常小学校を舞台にした映画ですから、子どもたちが懐かしい童謡や唱歌を歌う場面が数多くあります。案外、知られていませんが、讃美歌「慈しみ深き」が流れる場面があるのです。生徒の1人、松江の母親が急死して、彼女は高松に奉公に出されるのです。何とか学校が続けられるようにと、父親に直談判する大石先生ですが、他にも幼児を抱えていて、どうしようもありません。己の無力さに、皆が涙します。そこに、あのメロディーが流れるのです。お手軽に悲しみが癒されたりはしません。でも、神さまは、悲しんでいる者たちを見守っていて下さっているのです。

3.《別の国あり》 私自身は歌が好きでもなく、讃美歌に思い入れもありませんでした。しかし、礼拝に通い続けて、讃美歌を歌い続けていると、歌は魂に溜まって行くのです。貯金のように利息も付くのです。結構な高利です。歌の心、つまり、祈りがいつの間にか自分のものに成っているのです。ダイアナ元王妃の結婚式と葬儀に、ホルスト作曲の聖歌「我は汝に誓う、我が祖国よ」が歌われていました。「祖国」と訳されていますが、実際には「もう1つの国がある」と「天の国」を歌っているのです。「私たち一人一人の魂が積み重なる度に、その国には、静かな輝きが増し加わる」と…。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:00 | 毎週の講壇から

2016年10月23日

特別音楽礼拝

特別音楽礼拝
特別音楽礼拝

青空カフェとミニバザー
青空カフェとミニバザー
posted by 行人坂教会 at 20:12 | 教会アルバム

2016年10月18日

10月第4主日礼拝(特別音楽礼拝)

      10月23日(日) 午前10時30分〜11時40分
おとなも子どもも、みんなで歌おう― さんびか歌えば 元気になれる!
説  教 アナザー・カントリー=@音楽    朝日研一朗牧師
讃 美 歌  43-3、38、493、171、451、こどもさんびか34、
       64、62、133
聖  書(交読形式)  詩編 148編1〜14節(p.988)

・青空カフェ&ミニバザー   礼拝後   玄関バルコニーと記念室

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2016年10月17日

育つ不思議と恵み【ローマ8:26〜28】

聖句「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(8:28)

1.《育つ不思議》 私の子育て時代には「三歳児神話」や「母原病」等という言説が流行しましたが、子どもの成長の責任を全て母親に負わせる考え方に、私は反発を感じていました。育児上の失敗も多かったが、むしろ、無事に大人に成れたのは神さまの御陰と感謝しています。どの子にも、神さまから真っ直ぐに育つ力が与えられているのだと思います。

2.《育つ御恵み》 自らの幼児期を振り返っても、決して安定した家庭環境にはありませんでした。私を産んだ直後、母は肋膜炎から結核を病み、子どもたちは親戚の家に預けられました。私自身も10ヶ月間、病院の保育室に預けられていました。それが後の性格形成や人生に影響を与えているのかも知れません。信仰篤い両親に反発して、教会生活から離れてしまった時代もありました。しかし、両親が亡くなって初めて、彼らの信仰の確かさを知りました。出産したばかりの赤ん坊や幼い子どもたちから隔離された母の悲しみ、父の困窮は如何ばかりであったかと思います。両親は神の恵みを信じ抜いたのです。

《遺された愛》 大手術をするも母の結核は完治せず、背中に大きな傷痕を抱えたままでしたが、父は弱い母を思い遣りました。社会貢献活動を始めて、家庭の食卓には大勢の人が集うように成りました。父の死後、その遺志を継いだ母はパーキンソン病の患者の会に協力しました。両親はその生き方を通して、私たちに確かなものを遺してくれました。レバノンの詩人、カリール・ジブランは「子どもはあなたのものではない」と歌っています。子が生まれ育つのは神の恵みです。だからこそ、神に祈るのです。恐らく、母も安静にするしかない病床で「全てをお任せする者にこそ益がある」と知ったのではないでしょうか。

保立眞理子

posted by 行人坂教会 at 18:52 | 毎週の講壇から

2016年教会バザー


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posted by 行人坂教会 at 09:58 | 教会アルバム

2016年10月11日

10月第3主日礼拝(信徒伝道週間)

      10月16日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 育つ不思議と恵み=@音楽      保立眞理子
聖  書  ローマの信徒への手紙 8章26〜28節(p.285)
讃 美 歌  27、123、490、462、530、24
交読詩編   詩編130編1〜8節(p.149)

・伝道委員会「教会案内音楽」 正午〜午後0時20分      礼拝堂
 証言:大澤慶子、独唱:岸まゆみ、演奏:行人坂バンド
・秋の教会バザー      午後0時30分〜3時  階下ホールと中庭

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2016年10月10日

暗闇から光の子へ【エフェソ5:6〜20】

聖句「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。」(5:16,17)

1.《今は悪い時代》 作家で尼僧の瀬戸内寂聴が、今から12年前の「青空説法」で「今の日本は最低。今ほどイヤな悪い時代は無かったような気がする」と述べて、命の軽視、政治行政の腐敗、教育の荒廃、人間の驕りを批判して居られました。今や各種業界とマスコミが結託して、更に「悪い時代」であることを覆い隠そうとしています。私たちも無自覚に加担しているのです。

2.《洒落より感謝》 「エフェソ書」も「今は悪い時代」と述べています。パウロ自身が書いたとすれば、紀元62年頃、オネシモが書いたとすれば、紀元54年頃とされています。ネロ帝によるキリスト教弾圧が始まる以前なので、「悪い」と言われているのは倫理的なことです。4節には「卑猥な言葉や愚かな話、下品な冗談」を糾弾しています。この3つは「悪口」「馬鹿話」「洒落」という意味です。ユーモアやウィットまで否定されると、反発を感じますが、「洒落よりも感謝を」と勧めているのです。しかも「エウトラプリア」よりも「エウスカリスティア」と、この箇所そのものが語呂合わせなのです。

3.《聖霊の結ぶ実》 自分の責任は棚上げして「時代が悪い」と言う人もあり、自分たちだけが正しくて、周りは全て間違っていると主張する宗教団体もあります(キリスト教会も含む)。分別を無くしているという意味では、酔っ払いと同じです。時代のせいにするのも、自分のせいにしてしまうのも安易です。自分なりに何等かの手掛かりを見付けて、この世と自身に立ち向かって行くのが「主の御心」です。「悪い/ポネーロス」は「骨を折る/ポネオー」が語源です。骨の折れる困難な時代ですが、感謝をもって生きる時、自ずと「聖霊が実を結ぶ」のです。そして、それを収穫なさるのは主御自身です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:50 | 毎週の講壇から

2016年10月04日

10月第2主日礼拝(神学校日)

      10月 9日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 暗闇から光の子へ=@音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  エフェソの信徒への手紙 5編6〜20節(p.357)
讃 美 歌  27、123、490、275、502、24
交読詩編   詩編130編1〜8節(p.149)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内