2016年10月31日

天使をもてなす人【ヘブライ13:1〜6】

聖句「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。」(13:2)

1.《ホスピタリティ》 外国人観光客の増加と共に観光業界を中心に、この語が唱えられることが多くなりました。「厚遇、接待、お持て成し、接客サービス」と訳されています。しかし、「客」に対してのみならず、「訪問者」や「見知らぬ人」にも向けられるものです。更に「寛容さと善意をもって受け入れる」ものです。寛容は「偏見に縛られず自由であること」「惜しみなく与える気前良さ」です。

2.《フィロクセニア》 語源のラテン語「ホスペス」には、不思議なことに「主人」と「客」の両方の意味があります。つまり、何かの拍子に「主客」の立場が入れ代わり得るということです。立場の優位性を捨て去り、対等の立場であることです。旧約聖書の伝統の中では、自分の天幕に身を寄せた旅人を、主人は自らの命を投げ出しても守りました。古代ギリシアでは、「旅人/クセノス」を「神/ゼウス」の使いと信じて親切にしました(ゼウス・クセノス)。「兄弟愛/フィラデルフィア」も大切ですが、身内びいきばかりではダメで、「見知らぬ人への愛/フィロクセニア」も忘れるなと勧められているのです。

3.《隠されている》 旧約聖書には「気付かずに天使たちを持て成した」人たちの話があります。「気付かずに」は「隠されている」という語です。聖公会の宣教師、ヘンテ女史は昭和の初め、千葉に結核患者の療養施設を建てようとしましたが、地元住民の反対に計画は頓挫しかけていました。見ず知らずの病人のために私財を投じる宣教師が、住民には理解できなかったのです。その時、元船員だった老人が寄港した英国で、宣教団の女性に親切にして貰った体験を語りました。これを機に理解が広がったそうです。「天使」のメッセージを、最終的に受け取るのが誰であるか、私たちの目には「隠されている」のです。

朝日研一朗牧師

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2016年10月30日

交替の時を待ちながら

1.ボブ・ディラン?

去る10月13日、「ボブ・ディランにノーベル文学賞!」と、冗談のようなニュースが流れました。それは冗談でもデマでも無く、ノーベル委員会の正式な決定だったようです。

子どもたちに「ボブ・ディランって誰?」と訊かれて、アニメ『ジョジョの奇妙な冒険/ダイヤモンドは砕けない』で、岸辺露伴の使うスタンド「ヘブンズ・ドアー」から説き起こし、私のカラオケの持ち歌「Knockin’ on Heaven’s Door」を披露して聞かせたものです。この歌は、ディランがサム・ペキンパー監督の映画『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(1973年)のために書いたものです(ディラン自身も出演しています)。

さて、その後、委員会からディラン本人に連絡が付かず(と言うか、ディラン本人がノーベル委員会からの連絡に応じようとしなかったのでしょう)、委員会は困惑。委員長のペール・ベストベリィは「ディラン氏は無礼で、傲慢だ。でも、それが彼ってもんだ」とコメントしたという話です(「朝日新聞DIGITAL」より)。

まあ、実際、ボブ・ディランが礼服を着用して、ノーベル賞受賞記念晩餐会の席に座って、ヴィクトリア皇太子(さすが、スウェーデンは女性の皇太子です!)、カール・フィリップ王子やマデレーン王女などのベルナドッテ王朝の面々、スウェーデンの王族たちと語らっている姿など、私には想像できません。

2.ウディ・ガスリー

ボブ・デイランは、ウディ・ガスリーに憧れてギターを弾き、歌い始めた人です。ウディ・ガスリーとは、20世紀初めの大恐慌時代に活躍したフォークシンガーです。全米を季節労働者として放浪した人です。

銀行の抵当に農地を奪われて、オクラホマからカリフォルニアへ移住して行く貧農たちの事を「オーキー/Okie」と言いました(スタインベック『怒りの葡萄』)。また、汽車賃が無くて、列車の屋根にタダ乗りする「渡り鳥労働者」の事を「ホーボー/Hobo」と言いました。ガスリーこそは「オーキー」「ホーボー」として暮らしながら、その中から、庶民の歌(フォークソング)を作った人だったのです。

ガスリーの「我が祖国/This Land Is Your Land」を知らぬ人はいないでしょう。あの曲は貧しい放浪生活の中から生まれたのです。それは、アーヴィング・バーリン(「ホワイト・クリスマス」で有名な)作曲の愛国歌、「神よアメリカを祝福し給え/God Bless America」に対する強烈なアンチテーゼ、ガスリーからの痛烈なアンサーソングと言われています。

そんな「ガスリーの再来」「ガスリーの後継者」であったボブ・ディランであっても、2012年には、オバマ大統領から「大統領自由勲章」を授かっているのです。「大統領自由勲章」の過去の叙勲者を見ても、思想信条の違いに彼が拘っていないことは明らかです。名誉とか名声を否定している訳でも無さそうです。しかし、やっぱり、ノーベル賞の受賞記念講演や晩餐会は不似合いな気がします。

3.マイ・リリース

ボブ・ディランはユダヤ人ですから、彼の歌詞の中には、旧約聖書の引用やパロディが沢山あります。「アイ・シャル・ビー・リリースト/I Shall Be Released」(1967年)は、その前年の「ルービン・カーター事件」を歌ったものとされています。

ルービン・カーターはアフリカ系アメリカ人、プロボクサーで、ウェルター級の元チャンピオンでしたが、1966年に3人の白人を拳銃で撃ち殺した容疑で逮捕され、凶器も発見されぬまま、全員白人の陪審員によって終身刑を言い渡されました。以後、検察側の隠蔽工作が露見して、冤罪の可能性が高まり、1988年に釈放されます。22年間も投獄されていた訳です。この事件は、デンゼル・ワシントン主演の『ザ・ハリケーン』(1999年)という映画でも採り上げられています。

ディランの「I Shall Be Released」は「俺は釈放されるべきなんだ」と訳されています。しかし、これが旧約聖書「ヨブ記」からの引用であることは、意外に知られていません。「ヨブ記」14章14節「人は死んでしまえば、もう生きなくてもよいのです。/苦役のような私の人生ですから/交替の時が来るのを私は待ち望んでいます」。「苦役」と訳されている「ツァーバー」というヘブル語も「兵役、服役、賦役」という意味で、確かに、ディランの歌に通じています。

最後の「交替の時が…」云々の部分は「NRSV/新改訂標準訳」では「until my release should come」と成っています。まさに「リリース」です。「直訳に近い」との定評のある、前の「口語訳/協会訳」では「わが解放の来るまで待つでしょう」と訳されていました。ところが、ヘブル語原典は「解放」ではなく「ハリーフィーム/物々交換」なのです。だから「新共同訳」は熟慮の末に「交替」と訳したのです。

このように「ヨブ記」を背景にして読み直してみると、ストレートなプロテストソングではなく、かなり厭世的な歌詞という印象が深まります。「ルービン・カーター事件」を想定して「解放」や「釈放」と読むと、内容が特定の時代や事件に限定されてしまって、却って、つまらないと思うのです。

ディラン自身がオートバイ事故のために重傷を負っての休養中に、この曲は「地下室」で収録されたと言われています。むしろ、体験としての痛みや苦しみ、個人的な疲労感や倦怠感を歌っていると、私は感じるのです。因みに「ハリーフィーム」には「リニューアル」の意味もあり、イメージは「再開、復活、元気回復、蘇えり」まで拡がります。あるいは、本当は「早く元気にしてくれよ」と、神に祈っていただけかも知れません。

牧師 朝日研一朗

【2016年11月の月報より】

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2016年10月25日

10月第5主日礼拝

      10月30日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 天使をもてなす人=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ヘブライ人への手紙 13章1〜6節(p.418)
讃 美 歌  27、123、490、152、101、24
交読詩編   詩編130編1〜8節(p.149)

・讃美歌練習(11月の月歌:136番) 礼拝後     礼拝堂

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2016年10月24日

一点一画 one jot or one title その34

  • 「ロルドの恐怖劇場」(アンドレ・ド・ロルド著、平岡敦編訳、ちくま文庫)
    著者は、19世紀末から20世紀初頭、パリのグラン・ギニョル座の台本作家として名を成 した人物です。医者であった父親が何とか家業を継がせようと施した英才教育が裏目に 出て、死体と殺人と狂気の愛好家と成ったそうです。この短編集の殆ど全てに医者が登 場するのは、その署名のようなものです。『怪奇文学大山脈V』で読んだ「最後の拷問」 が別バージョンで入っています。「大山脈」版は義和団事件の北京が舞台でしたが、こち らは革命直前のロシア帝国に設定されています。サイコ犯罪が中心であること、必ず肉 体損壊描写があること、この辺りは現代小説の傾向を先取りしています。埋葬地の樫の 木を夫の生まれ変わりと、未亡人が妄想する「生きている木」は、偶然か、先日の日影 丈吉「歩く木」と同趣向でした。不貞の妻に対して、夫が自らの命を賭して復讐を遂げ る「恐ろしき復讐」と「告白」、何と暗く恨み深い情念であることか。その他、愛する妻 子や親友を助けてやることが出来ず、むざむざ死なせてしまう、後味の悪い展開が多数 収録されています。この異常なまでのバッドエンドの反復は何でしょうか。ショッキン グな挫折感、残酷な絶望感、それを嗜好品とする時代(現代)が到来していたのです。
  • 「日影丈吉/幻影の城館」(日影丈吉著、河出文庫)
    解説によると、日影はローマカトリックの洗礼を受けていたのだそうです。「変身」はク リスマスイヴに働く者の鬱屈した心情が、聖夜を口実に浮かれ騒ぐ異教徒に対する沸沸 と湧き上がる侮蔑を絡めて描写されていて、私などは大いに共感するのです。但し、私 の好みは、ファム・ファタルの登場する作品です。特に「ふかい穴」には『天城越え』の 趣きがあります。全身入れ墨の女「天人おきぬ」が少年の心に終生忘れ得ぬ女性性のイ コンを刻み付けるのです。しかも、彼女を庇おうとした少年の純情と努力が却って仇と 成るのが切ないです。「匂う女」と「異邦の人」では、もう少し成長した少年が登場して、 彼の推理が事件の背景にある女の哀れを照らします。台湾もの「蟻の道」の娼婦ペーを 見詰めるのは、中年に近い男です。ただ、彼女の辿る末路に注がれる眼差しは、「ふかい 穴」「匂う女」の少年たちと同質のように思われます。何とかして女を苦界から救いたい と願いながらも、結局その思いが果たされることはありません。植物との対決を描く「歩 く木」は、ウィンダムの『トリフィド時代』を、山頂の測候所を舞台にした「崩壊」も、 ハマーフィルムの『クォーターマス』シリーズを思い出させます。
  • 「日本武術神妙記」(中里介山著、角川ソフィア文庫)
    『大菩薩峠』の作者、介山は意外や、キリスト教信仰に感化を受け、そのペンネームも 牧師の松村介石から採っているのです。巻頭すぐに、黒澤映画『七人の侍』の勘兵衛の モデルと成った上泉伊勢守の有名なエピソードがあり、巻末近く『雨あがる』の伊兵衛 のモデルと成った山本南竜軒のエピソードが置かれています。千葉周作に勝ち方ではな く死に方を問うた土方某の話もまた、そのヴァリエーションでしょう。藤沢周平の『隠 し剣/鬼の爪』の元ネタも発見しました。岩明均のマンガ『剣の舞』に登場する疋田文 五郎の「それではあしいぞ」、柳生但馬守のみならず山本勘介も打たれていたのですね。 猫の屋根から落ちるのを見て、柔術を極めた関口弥六左衛門の話も、『姿三四郎』から『柔 道一直線』『いなかっぺ大将』までネタにされ続けています。「我が心の剣は活人剣であ るけれども、相手をする人が悪人である時にはそのまま殺人剣となるものでござる」(塚 原卜伝)、「始は易く、中は危くそれを過ぎてはまた危し、始中終の本心が確と備わると きは何の危き所はない」(宮本武蔵)、「仕合をする時は真剣勝負の心ですべきものじゃ」 (高田三之丞)、「礼儀の場に於ても、刀を振うことが無いということはない」(戸田清玄)、 「斬られながらと書かないで、斬らせながらと書かなくてはいけない」(上杉鷹山)、「武 術を修めようとする者は宜敷まず文事からはじめるがよろしい、然る後如何なる難問題 にぶつかっても刃を迎えて自ら説くことが出来、武器の使用もはじめて神妙に至るので ある」(根本武夷)…。けだし名言の宝庫でもあります。
  • 「シュトヘル/悪霊」第13巻(伊藤悠作、小学館)
    モンゴルの捕虜となり、人間の矢楯として使われていた西夏兵たちとの出会いが泣かせ ます。スドーは彼らに文字を教えます。伝えられた文字と言葉は彼らの中に宿り、生き 始めるのです。他方、ユルールはトルイ皇子の配下となり、モンゴル帝国の中で西夏文 字を残そうとします。宿敵であったはずのシュトヘルとハラバルが、行き掛かりから共 闘して、モンゴルの重装騎兵の陣営を強行突破する場面、僅かに13ページ程度ですが、 久々に燃えます。舞台は、いよいよ南宋の成都へと近付きます。シュトヘルの体が弱り 始めていることに気付いたスドーは、自分がシュトヘルの「延命の点滴で、それがなく なれば、結局は長くは保たない」と悟ります。いよいよ終結が迫っているようです。
  • 「アド・アストラ/スキピオとハンニバル」第10巻(カガノミハチ作、集英社)
    「ローマの剣」と称えられた名将、マルケルスの最期から始まります。ハンニバルの弟 ハッシュ(ハスドルバル)がイベリア半島のバクエラでスキピオ軍に敗北(紀元前208 年)、ハンニバルと合流するためアルプス越えをしますが、イタリア半島北部メタウルス 川の戦いで戦死します(紀元前207年)。それにしても、当のハッシュが(平気でヌミ ディアのマシニッサを使い捨てにしたりして)全く感情移入できぬキャラとして描かれ ているため、弟の復讐を誓うハンニバルにも共感が持てません。ともかく、いよいよ物 語はクライマックスです。この4年後、スキピオがアフリカに軍を進めたことで(スキ ピオ・アフリカヌス!)、ハンニバルも本国に召還され、遂に両雄が相見ゆることと成る 訳です。
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アナザー・カントリー【ヘブライ11:13〜16】

聖句「…はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表わしたのです。」(11:13)

1.《二十四の瞳》 1954年の木下惠介監督の『二十四の瞳』は、小豆島の「岬の分教場」に赴任して来た女教師、大石先生と12名の生徒たちとの心の交流を描いた名作です。12人の教え子だから「二十四の瞳」なのですが、フランスで上映された時には、その題名から、24も目玉のある気味の悪い怪獣が出て来ると誤解した人がいたそうです。同年に『ゴジラ』が公開されていたからです。

2.《慈しみ深き》 映画『二十四の瞳』は怪獣映画ではなく、尋常小学校を舞台にした映画ですから、子どもたちが懐かしい童謡や唱歌を歌う場面が数多くあります。案外、知られていませんが、讃美歌「慈しみ深き」が流れる場面があるのです。生徒の1人、松江の母親が急死して、彼女は高松に奉公に出されるのです。何とか学校が続けられるようにと、父親に直談判する大石先生ですが、他にも幼児を抱えていて、どうしようもありません。己の無力さに、皆が涙します。そこに、あのメロディーが流れるのです。お手軽に悲しみが癒されたりはしません。でも、神さまは、悲しんでいる者たちを見守っていて下さっているのです。

3.《別の国あり》 私自身は歌が好きでもなく、讃美歌に思い入れもありませんでした。しかし、礼拝に通い続けて、讃美歌を歌い続けていると、歌は魂に溜まって行くのです。貯金のように利息も付くのです。結構な高利です。歌の心、つまり、祈りがいつの間にか自分のものに成っているのです。ダイアナ元王妃の結婚式と葬儀に、ホルスト作曲の聖歌「我は汝に誓う、我が祖国よ」が歌われていました。「祖国」と訳されていますが、実際には「もう1つの国がある」と「天の国」を歌っているのです。「私たち一人一人の魂が積み重なる度に、その国には、静かな輝きが増し加わる」と…。

朝日研一朗牧師

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2016年10月23日

特別音楽礼拝

特別音楽礼拝
特別音楽礼拝

青空カフェとミニバザー
青空カフェとミニバザー
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2016年10月22日

ゴジラとは何か?

夏休みの終わり、子どもと一緒に、映画『シン・ゴジラ』(庵野秀明監督)を観て来ました。一昨年も、アメリカ映画の『GODZILLA/ゴジラ』(ギャレス・エドワーズ監督)を観に行ったのですが、日本映画としての「ゴジラ」は、2004年の『ゴジラ/FINAL WARS』(北村龍平監督)以来ですから、それこそ12年ぶりになります。あの時には、家族四人揃って観に行ったのですが、「まだ札幌に住んでいたのだ」とか「二男にとっては、あれが映画館デビューだった」と思い出すと、胸が熱くなります。

さて、「ゴジラ」は漢字で「呉爾羅」と表記されます。大戸島(架空の離島)で古来「荒ぶる神」として畏れられる怪物の名前でした。ビキニ環礁における水爆実験のために被爆して目覚めた恐竜に、その名前を冠したというのが、第一作『ゴジラ』(1954年)の設定なのです。映画の中では、「呉爾羅」の怒りを鎮めるために舞う、神楽も見ることが出来ます。

そもそも「荒ぶる神/荒振神」とは、「高天原」系の神々に服属しない地方神のことです。朝鮮半島からやって来た「天孫族」が朝廷の始祖と見なされる一方、それに敵対する「八岐大蛇/ヤマタノオロチ」は先住民「出雲族」の象徴なのです。「ヤマトタケル/日本武尊」を倒す「伊吹大明神」も「牛のような大きな白猪」、もしくは「大蛇」とされています。

2001年の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ/大怪獣総攻撃』では、ゴジラは太平洋戦争の死者たちの残留思念の集合体、つまり、怨霊であり、「兵器では決して殺せない」と断言されていました。眼球が白濁していて、ゾンビ、即ち「生ける死者」を思わせる造形でした。この作品では、ゴジラが「呉爾羅」と表記されるのみならず、この怨霊から日本を護るために、死力を尽くして戦いを挑む「護国三聖獣」のバラゴン、モスラ、ギドラも、それぞれ「婆羅吽」「最珠羅」「魏怒羅」と表記されます。

民俗学者にして「東北学」の提唱者、赤坂憲雄が1992年に発表した論考「ゴジラは、なぜ皇居を踏めないか?/三島由紀夫『英霊の聲』と『ゴジラ』が戦後天皇制に突きつけたものとは何か?」に触発された作品だったのです。

日本には、怨霊を祀り上げて守護神に変える信仰があります。大宰府に左遷されて憤死した菅原道真を祀る天満宮、平将門の首を祀る神田明神、讃岐に流されて悶死した崇徳上皇を祀る白峰宮や白峯神社、金刀比羅宮…。靖國神社の祭神(「英霊」)も同じです。怨霊でありながら、日本を代表するキャラであるゴジラもまた、その系譜に属しているのです。

ゴジラのフィギュアは、美少女フィギュアと同じくらい、世界中で人気があります。その意味では、まさに「偶像/アイドル」と言っても良いでしょう。しかし、幾らマニアでも、それに跪いて祈る人はいません。旧約聖書が非難する偶像と同一視して、忌み嫌う必要はありません。しかし、このような映画のキャラ(しかも、怪獣)の背後にも、日本独自の信仰が流れていることを、私たちが見過ごしてはなりません。


【会報「行人坂」No.253 2016年10月発行より】

posted by 行人坂教会 at 20:54 | ┣会報巻頭言など

キリスト教こんにゃく問答]\「伝道と宣教」

1.霊性振起

秋になると、どこの教会でも「伝道集会」や「伝道礼拝」を開催するのが定番です。残念ながら、概ね教会の予算規模は小さいので、社会的な知名度の高い人をお招きする財力がありません。それでも、そのために献金を募って、何とか予算を確保する場合もあります。ところが、実際に著名人と交渉してみると、数年先まで日程が塞がっていたりします。私の実体験です。

どうして、不慣れな者たちが無理をして、特別な集会や礼拝を企画しなければならないのでしょうか。しかも、秋になると、各教会が一斉に似たり寄ったりのことをするものですから(バザーも同じ)、まるで競合する小規模店舗(ラーメン屋)が互いに「潰し合い」「打ち合い」をしているかのような図です。

秋になると、日本の教会が一斉に「伝道集会」「伝道礼拝」を行なうのは、米国教会の日曜学校の習慣に遡ります。19世紀の米国教会では、夏休み中に各地に分散していた子どもたちを「再結集/Rally」させる日として、九月第一主日を「ラリーデイ/Rally Day」として守ったのです。それが日本に移入されて「振起日」と訳されました。「振起日総員礼拝」「霊性振起」として、教会員全員に礼拝出席を促したのです。「伝道の秋」の始まりです。やがて1960年代には「一人が一人を♂^動」に受け継がれました。

「一人が一人を」教会へ導けば、礼拝出席は倍増するというスローガンです。「何人もの人を導け」と無茶なことを要求するのではなくて、「たった一人の人のために祈り、導け」というところが、この運動の味噌でした。しかし、今現在、この運動が跡形もないことを鑑みるに、単なるスローガンに終わってしまったようです。それに伴う精神性が欠如していたから、信仰復興運動にまで達しなかったのでしょう。

2.家庭集会

スローガンと言えば「お茶の間に福音を」というキャッチコピーも、今や懐かしい響きです。これは「家庭集会」を支えた標語でした。会員信徒の各家庭を「伝道の最前線」「前線基地」と位置付けたのです。有志会員の家庭を開放していただき、そこに牧師が「礼拝の出前」をしたのです。そうすることで、未信者の家族や近所の人たちを「信仰に導こう」としたのです。つまり、当時は「教会は敷居が高いけれども、各人の家庭ならば参加し易い」という前提があったのです。

「家庭集会」が入信のキッカケに成った人は大勢います。入信に至らないまでも、「家庭集会」での交流を懐かしく覚えている人は今も居られることでしょう。羽仁もと子の「全国友の会」(1930年〜)の「家庭集会」をモデルにしているかも知れません。また、中国共産党の弾圧下で続けられた「家の教会」運動の影響も見られます。今も福音派諸教会が熱心に取り組んでいる「セルチャーチ/Cell Church」運動もその進化形でしょう。

1990年代に、高木仁三郎が代表を務めていた民間シンクタンク「原子力資料情報室」が「反原発出前のお店」という活動をしていました。各地に講演や学習会の出前をするのです。「生活クラブ生協」は地域の班長の家庭で「班会」を開きます。これらの寄り合いにも、キリスト教会の「家庭集会」の影響を見ることが出来ます。何しろ「家庭集会」の起源は、新約聖書の時代にまで遡ることが出来るからです。

さて、「ドーナツ化現象」によって、教会周辺に居住していた会員が郊外地へ移転すると共に、「家庭集会」は各地域に伸びた教会の「ブランチ/枝」と位置付けられました。例えば、私が南大阪教会に赴任した1980年代後半には、藤井寺や東大阪はもとより、芦屋、京都、高槻、生駒まで、主任牧師と手分けして出前に行っていました。

未信者の家族(連れ合いや子どもたち)も参加するようにと、夜の時間帯に開催されることも多々あった「家庭集会」でしたが、日本基督教団の教会では、未信者の家族に信仰を強要するような感覚に違和感を抱く牧師や信徒が増える(真っ当なセンスです)と共に、家庭生活の変化から、夜の集会は次第に敬遠されるように成りました。そして、今や「他人の家庭に上がるよりも、教会に行く方が敷居が低い」と感じられる時代です。

3.福音内容

その昔「伝道」という字を「伝導」と書いた時代があったそうです。今では「伝導」と言えば、「熱伝導」「電気伝導」のように理科用語です。私が「伝道師」に成り立ての頃、ナザレン教団出身の熱心な信徒、Uさんから「昔は『教えて導いた』ので『伝導師』と書いたのですが、最近の人は『道を伝えるだけ』なので『伝道師』なのでしょうかね」と、皮肉を言われたことが思い出されます。気負ってばかりの当時は、その言葉にムカッと来たものですが、今では懐かしくも楽しい思い出です。

よく似た語に「宣教」があります。「伝道」と「宣教」、どこが違うのでしょうか。「宣教」は「ミッション/Mission」という語を翻訳したものです。元々は「派遣」という意味で、神さまから世界に遣わされた教会の「使命」を意味します。もう一つ「エヴァンジェリズム/Evangelism」という語もあります。これが所謂「伝道」です。「福音/エウァンゲリオン」の「伝達」を意味します。

比較すれば、「宣教」と言った場合には、教会の全ての働きを包括する幅広い内容を持っていますが、「伝道」と言った場合には、未信者を信徒にすることを直接目的とする働きに限定されます。「社会派」的視点を持つ教会が「宣教」を好んで使い、より「福音派」的傾向の強い教会が「伝道」を使いたがるのには、双方の指向性の違いがあるのです。

しかし、一番大切なのは「どのように伝えるか」(「宣教」を通してか、それとも「伝道」を通してか)ではなく、「伝えられるべき内容」です。それは、イエス・キリストの十字架の愛、これを措いて他にはありません。

但し「目的と方法とは、常に一致しなければならない」というのが鉄則だと思います。ヒトラー率いるナチスは「崇高なる目的のためには、路傍の花も踏み行かねばならぬ」と主張しました(ドイツの哲学者、ヘーゲルの言葉と言われています)。曰く「目標達成のためには、多少の犠牲は致し方ない」、要するに「目的のためには手段を選ばず」ということです。目的の正しさによって、手段としての悪を正当化するのです。

しかし、私たちの信仰が神の御心に適うものと成るためには、「目的と方法とは、常に一致しなければならない」のです。もしも、イエス・キリストの「愛」を証することが目的であるならば、それを伝える方法もまた「愛」でなければならないのです。イエス・キリストが目標ならば、私たちの働きもまた、イエス・キリストに倣うものでなければなりません。ベリアル(悪魔)の方法論を用いて、イエス(神)を目指すことは、それ自体が大いなる冒?と言わざるを得ません。

人を傷つけたり抑圧したりして置いて、それを「神の御旨」「福音伝道」「教会の働き」等と言うことは許されません。

キリスト教会と自称していても、マインドコントロールの手法を利用して、信徒を支配したり管理したりする教会が数多くあります。「恐怖、脅し」による強制、「愛の爆弾、愛のシャワー」による依存関係、「告白の儀式」を使った罪責感による縛り、「権威主義」に屈服させての奴隷化など、それらは、どれ一つ取ってみても、イエスさまの愛とは似ても似つかぬものばかり。暴力の一種です。

「キリスト教の普及」「信仰の証」「伝道のために」等と、大上段から言われると、反論しにくいものです。しかしながら、それらの看板が内実を伴っているかどうか、十分に吟味する必要があります。自分のことを棚に上げて批判するのは、凡そ稚拙で愚昧な行為ですから、勿論、私たちもまた、自己吟味しなければなりません。

吟味と言っても、何も難しいことはありません。「コリントの信徒への手紙I」13章1〜13節を、実際に声に出して唱えてみることです。

「伝道」「宣教」「教会形成」を掲げる時、あるいは、自分の意見を申し述べる時、他の人を批判する時、そこに果たして、イエスさまの愛はあるでしょうか。私たち自身の中に、キリストの愛は宿っているでしょうか。


【会報「行人坂」No.253 2016年10月発行より】

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2016年10月18日

10月第4主日礼拝(特別音楽礼拝)

      10月23日(日) 午前10時30分〜11時40分
おとなも子どもも、みんなで歌おう― さんびか歌えば 元気になれる!
説  教 アナザー・カントリー=@音楽    朝日研一朗牧師
讃 美 歌  43-3、38、493、171、451、こどもさんびか34、
       64、62、133
聖  書(交読形式)  詩編 148編1〜14節(p.988)

・青空カフェ&ミニバザー   礼拝後   玄関バルコニーと記念室

・・・当日の音声録音を聴く
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2016年10月17日

育つ不思議と恵み【ローマ8:26〜28】

聖句「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(8:28)

1.《育つ不思議》 私の子育て時代には「三歳児神話」や「母原病」等という言説が流行しましたが、子どもの成長の責任を全て母親に負わせる考え方に、私は反発を感じていました。育児上の失敗も多かったが、むしろ、無事に大人に成れたのは神さまの御陰と感謝しています。どの子にも、神さまから真っ直ぐに育つ力が与えられているのだと思います。

2.《育つ御恵み》 自らの幼児期を振り返っても、決して安定した家庭環境にはありませんでした。私を産んだ直後、母は肋膜炎から結核を病み、子どもたちは親戚の家に預けられました。私自身も10ヶ月間、病院の保育室に預けられていました。それが後の性格形成や人生に影響を与えているのかも知れません。信仰篤い両親に反発して、教会生活から離れてしまった時代もありました。しかし、両親が亡くなって初めて、彼らの信仰の確かさを知りました。出産したばかりの赤ん坊や幼い子どもたちから隔離された母の悲しみ、父の困窮は如何ばかりであったかと思います。両親は神の恵みを信じ抜いたのです。

《遺された愛》 大手術をするも母の結核は完治せず、背中に大きな傷痕を抱えたままでしたが、父は弱い母を思い遣りました。社会貢献活動を始めて、家庭の食卓には大勢の人が集うように成りました。父の死後、その遺志を継いだ母はパーキンソン病の患者の会に協力しました。両親はその生き方を通して、私たちに確かなものを遺してくれました。レバノンの詩人、カリール・ジブランは「子どもはあなたのものではない」と歌っています。子が生まれ育つのは神の恵みです。だからこそ、神に祈るのです。恐らく、母も安静にするしかない病床で「全てをお任せする者にこそ益がある」と知ったのではないでしょうか。

保立眞理子

posted by 行人坂教会 at 18:52 | 毎週の講壇から