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標語 『この土の器に宝が』
わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。
(コリントの信徒への手紙U4章7節)
聖句「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。」(5:16,17)
1.《今は悪い時代》 作家で尼僧の瀬戸内寂聴が、今から12年前の「青空説法」で「今の日本は最低。今ほどイヤな悪い時代は無かったような気がする」と述べて、命の軽視、政治行政の腐敗、教育の荒廃、人間の驕りを批判して居られました。今や各種業界とマスコミが結託して、更に「悪い時代」であることを覆い隠そうとしています。私たちも無自覚に加担しているのです。
2.《洒落より感謝》 「エフェソ書」も「今は悪い時代」と述べています。パウロ自身が書いたとすれば、紀元62年頃、オネシモが書いたとすれば、紀元54年頃とされています。ネロ帝によるキリスト教弾圧が始まる以前なので、「悪い」と言われているのは倫理的なことです。4節には「卑猥な言葉や愚かな話、下品な冗談」を糾弾しています。この3つは「悪口」「馬鹿話」「洒落」という意味です。ユーモアやウィットまで否定されると、反発を感じますが、「洒落よりも感謝を」と勧めているのです。しかも「エウトラプリア」よりも「エウスカリスティア」と、この箇所そのものが語呂合わせなのです。
3.《聖霊の結ぶ実》 自分の責任は棚上げして「時代が悪い」と言う人もあり、自分たちだけが正しくて、周りは全て間違っていると主張する宗教団体もあります(キリスト教会も含む)。分別を無くしているという意味では、酔っ払いと同じです。時代のせいにするのも、自分のせいにしてしまうのも安易です。自分なりに何等かの手掛かりを見付けて、この世と自身に立ち向かって行くのが「主の御心」です。「悪い/ポネーロス」は「骨を折る/ポネオー」が語源です。骨の折れる困難な時代ですが、感謝をもって生きる時、自ずと「聖霊が実を結ぶ」のです。そして、それを収穫なさるのは主御自身です。
朝日研一朗牧師
聖句「神は天からの穀物をお与えになり、人は力ある方のパンを食べた。神は食べ飽きるほどの糧を送られた。」(78:24,25)
1.《パン屋》 店名や製品に「天使のパン」と銘打ったパン屋があります。北鎌倉には、1日平均3個のパンを製造する、元競輪選手夫妻の営むパン屋があります。試合中の転落事故で脳と身体に麻痺を負う店主が焼くパンは「天使のパン」の味わいだそうです。宇治市には今時、調理パンが全品「百円」のパン屋が、熊本市では天然酵母のパン屋が「天使のパン」を謳っています。
2.《御聖体》 「天使のパン」という語は「詩編」78編25節「人は天使たちのパンを食べた」から来ています。出エジプトの際、イスラエルに主が与えられた天の糧「マナ」を言っているのですが、原文が複数形で「力ある者たち」だったので、古来より「天使たち」と訳されて来たのです。勿論、今では、唯一の神の力強さを表現するために複数形に成っているというのが定説です。しかし、中世の「天使博士」トマス・アクィナスは「聖体祝日」のために、聖歌「天使のパン」を作詞しました。フランクの名曲「天使の糧」も有名です。
3.《聖餐式》 中世の聖女、シエナのカタリナは聖体以外の物を口にせず、33歳の若さで世を去りました。天使の糧を味わうために、世俗の糧を拒んだ結果でした。プロテスタントの聖餐は違います。H牧師の実家はパン屋で、そのパンが聖餐式に使われていたそうです。しかし、自分の家で焼いたパンなのに、未受洗の自分は与ることが出来ず、不思議な気持ちがした…という思い出の記を読みました。受洗後に聖餐に与った彼女は「単に空腹を満たす物ではなく、味わって食べる者の魂を満たすキリストという名のパンでした」と言います。十字架の上で引き裂かれた主を仰ぎながら、聖餐に与ることによって、私たち自身も「引き裂かれたパン」として、この世に遣わされて行くのです。
朝日研一朗牧師