2016年10月30日

交替の時を待ちながら

1.ボブ・ディラン?

去る10月13日、「ボブ・ディランにノーベル文学賞!」と、冗談のようなニュースが流れました。それは冗談でもデマでも無く、ノーベル委員会の正式な決定だったようです。

子どもたちに「ボブ・ディランって誰?」と訊かれて、アニメ『ジョジョの奇妙な冒険/ダイヤモンドは砕けない』で、岸辺露伴の使うスタンド「ヘブンズ・ドアー」から説き起こし、私のカラオケの持ち歌「Knockin’ on Heaven’s Door」を披露して聞かせたものです。この歌は、ディランがサム・ペキンパー監督の映画『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(1973年)のために書いたものです(ディラン自身も出演しています)。

さて、その後、委員会からディラン本人に連絡が付かず(と言うか、ディラン本人がノーベル委員会からの連絡に応じようとしなかったのでしょう)、委員会は困惑。委員長のペール・ベストベリィは「ディラン氏は無礼で、傲慢だ。でも、それが彼ってもんだ」とコメントしたという話です(「朝日新聞DIGITAL」より)。

まあ、実際、ボブ・ディランが礼服を着用して、ノーベル賞受賞記念晩餐会の席に座って、ヴィクトリア皇太子(さすが、スウェーデンは女性の皇太子です!)、カール・フィリップ王子やマデレーン王女などのベルナドッテ王朝の面々、スウェーデンの王族たちと語らっている姿など、私には想像できません。

2.ウディ・ガスリー

ボブ・デイランは、ウディ・ガスリーに憧れてギターを弾き、歌い始めた人です。ウディ・ガスリーとは、20世紀初めの大恐慌時代に活躍したフォークシンガーです。全米を季節労働者として放浪した人です。

銀行の抵当に農地を奪われて、オクラホマからカリフォルニアへ移住して行く貧農たちの事を「オーキー/Okie」と言いました(スタインベック『怒りの葡萄』)。また、汽車賃が無くて、列車の屋根にタダ乗りする「渡り鳥労働者」の事を「ホーボー/Hobo」と言いました。ガスリーこそは「オーキー」「ホーボー」として暮らしながら、その中から、庶民の歌(フォークソング)を作った人だったのです。

ガスリーの「我が祖国/This Land Is Your Land」を知らぬ人はいないでしょう。あの曲は貧しい放浪生活の中から生まれたのです。それは、アーヴィング・バーリン(「ホワイト・クリスマス」で有名な)作曲の愛国歌、「神よアメリカを祝福し給え/God Bless America」に対する強烈なアンチテーゼ、ガスリーからの痛烈なアンサーソングと言われています。

そんな「ガスリーの再来」「ガスリーの後継者」であったボブ・ディランであっても、2012年には、オバマ大統領から「大統領自由勲章」を授かっているのです。「大統領自由勲章」の過去の叙勲者を見ても、思想信条の違いに彼が拘っていないことは明らかです。名誉とか名声を否定している訳でも無さそうです。しかし、やっぱり、ノーベル賞の受賞記念講演や晩餐会は不似合いな気がします。

3.マイ・リリース

ボブ・ディランはユダヤ人ですから、彼の歌詞の中には、旧約聖書の引用やパロディが沢山あります。「アイ・シャル・ビー・リリースト/I Shall Be Released」(1967年)は、その前年の「ルービン・カーター事件」を歌ったものとされています。

ルービン・カーターはアフリカ系アメリカ人、プロボクサーで、ウェルター級の元チャンピオンでしたが、1966年に3人の白人を拳銃で撃ち殺した容疑で逮捕され、凶器も発見されぬまま、全員白人の陪審員によって終身刑を言い渡されました。以後、検察側の隠蔽工作が露見して、冤罪の可能性が高まり、1988年に釈放されます。22年間も投獄されていた訳です。この事件は、デンゼル・ワシントン主演の『ザ・ハリケーン』(1999年)という映画でも採り上げられています。

ディランの「I Shall Be Released」は「俺は釈放されるべきなんだ」と訳されています。しかし、これが旧約聖書「ヨブ記」からの引用であることは、意外に知られていません。「ヨブ記」14章14節「人は死んでしまえば、もう生きなくてもよいのです。/苦役のような私の人生ですから/交替の時が来るのを私は待ち望んでいます」。「苦役」と訳されている「ツァーバー」というヘブル語も「兵役、服役、賦役」という意味で、確かに、ディランの歌に通じています。

最後の「交替の時が…」云々の部分は「NRSV/新改訂標準訳」では「until my release should come」と成っています。まさに「リリース」です。「直訳に近い」との定評のある、前の「口語訳/協会訳」では「わが解放の来るまで待つでしょう」と訳されていました。ところが、ヘブル語原典は「解放」ではなく「ハリーフィーム/物々交換」なのです。だから「新共同訳」は熟慮の末に「交替」と訳したのです。

このように「ヨブ記」を背景にして読み直してみると、ストレートなプロテストソングではなく、かなり厭世的な歌詞という印象が深まります。「ルービン・カーター事件」を想定して「解放」や「釈放」と読むと、内容が特定の時代や事件に限定されてしまって、却って、つまらないと思うのです。

ディラン自身がオートバイ事故のために重傷を負っての休養中に、この曲は「地下室」で収録されたと言われています。むしろ、体験としての痛みや苦しみ、個人的な疲労感や倦怠感を歌っていると、私は感じるのです。因みに「ハリーフィーム」には「リニューアル」の意味もあり、イメージは「再開、復活、元気回復、蘇えり」まで拡がります。あるいは、本当は「早く元気にしてくれよ」と、神に祈っていただけかも知れません。

牧師 朝日研一朗

【2016年11月の月報より】

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