2016年11月07日

なおも望みつつ信じた【ローマ4:1〜25】

聖句「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、…多くの民の父となりました。」(4:18)

1.《志士仁人》 NHK大河ドラマ『花燃ゆ』は、伊勢谷友介の吉田松陰が塾生たちに「あなたの志は何ですか?」と問う場面が印象的でした。実際「松陰語録」にも「志」云々が数多く出て来ます。「論語」の「志士仁人」です。「愛ある人は自らの身を殺しても、愛を成し遂げることがある」と言うのです。それが「己が義と信じることのために命を投げ打つ」と拡大解釈されたのです。

2.《心の向き》 「志士/志ある人」が「仁人/愛ある人」とは、聖書の教えに通じるものです。「志」は有名な「四十にして惑わず」の前にも「吾十有五にして学を志す/私は15歳で学問を志した」とあります。世間では、とかく年齢ばかりに拘泥して読み違えていますが、@志を立てる、A独立する、B迷わない、C天命(使命や限界や天職)を理解する、D人の話を素直に聞く、E心の赴くままに振る舞っても道を踏み外さない、人間の成長段階を語っているのです。私たちには、その時々に向き合うべき課題があるのです。そして「志」とは「上に向かって心が伸びて行く」ことを表わす文字なのです。

3.《高い大志》 老人福祉施設のベテラン職員の人が、働き始めた当時、施設長から「3年経っても働いていたら、信念をもって働いているか、惰性で働いているか」と自問すべしと教わったそうです。信念、志は「上を向いて歩く」のです。札幌農学校のクラークの言葉「少年よ、大志を抱け」は有名ですが、その続きは金銭や我欲、名誉のためでなく「キリストのために大志を抱け」です。私たちは上にあるものを目指しているでしょうか。志を失い低きに流れてはいないでしょうか。「今は希望の無い時代」との愚痴は耳にしますが、「希望する術も無かった時に、尚も望みを抱いて、信じる」のが聖書の信仰です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:50 | 毎週の講壇から