2016年12月27日

1月第1主日礼拝(2017年元日礼拝)

       1月 1日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 幸せな生き方をしよう音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 13章10〜17節(p.24)
讃 美 歌  27、145、490、367、278、81、28
交読詩編  96編1〜13節(p.110)

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2016年12月26日

真夜中のメシア【ルカ2:8〜20】

聖句「その地方で羊飼いたちが野宿しながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」(2:8)

1.《深夜食堂》 安倍夜郎のマンガ『深夜食堂』は、新宿花園界隈が舞台です。深夜0時に開店すると、客の注文に応えて「できるもんなら何でも作るよ」とマスターが言うお店です。暖簾には「めしや」と書いてあります。マスターは顔に傷痕のある男、やって来るお客も深夜だけに何か「ワケアリ」の人たち。でも、私たちも皆「ワケアリ」です。それぞれの事情を抱えて生きているのですから。

2.《聖なる夜》 「深夜食堂」は「真夜中のめしや」、イエスさまも「真夜中のメシヤ」でした。「マタイによる福音書」でも「ルカによる福音書」でも、クリスマスは「夜の出来事」として描かれています。ヨセフは夜の夢に天使の告知を聴きますし、占星術の学者たちも星に導かれてメシアを訪ねます。昼間に見えていたものが夜には見えなくなりますが、昼間に見えていなかったものが夜に見えるようになることもあるのです。月や星がそうです。街や家々の灯かりも夜に際立ちます。家があり、家族がいて、各人の暮らしがあり、喜びと悲しみがあります。家々の灯かりという形を取って、私たちにも見えるようになるのです。

3.《離れた所》 真夜中に働いている人たちの姿も見えて来ます。この羊飼いたちは雇い人で、羊の群れを預かっていたのかも知れません。少なくとも「その地方で」(「離れた所」を表わします)という語句から、自分の所有地を持たぬ者たちであることだけは確かです。2千年昔にも、王宮や神殿には夜勤をしていた衛兵や夜警がいたようです。羊飼いたちがクリスマスの御告げを受けたのは、むしろ彼らが都市の雑踏から離れた所にいたからです。多くの人々から離れて、外にあるからこそ見えて来るもの、聴こえて来る音もあるのです。私たちも少しだけ他の人たちと同じではない、離れた所に立ってみましょう。

朝日研一朗牧師

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2016年12月25日

2016クリスマス礼拝と愛餐会

2016クリスマス礼拝と愛餐会
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2016年12月24日

2016クリスマスイブ礼拝

2016クリスマスイブ礼拝
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2016クリスマスイブ賛美礼拝の音声録音

クリスマスイブ賛美礼拝の音声録音です。 試聴は次の箇所をクリックしていただくと、PCにインストールされている音楽プレーヤー(WindowsならMedia playerなど)で再生できます。 ここをクリックして下さい
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2016年12月20日

一点一画 one jot or one title その35

  • 「世にも奇妙な人体実験の歴史」(トレヴァー・ノートン著、赤根洋子訳、文春文庫)
    18世紀英国の医師、ジョン・ハンターは墓場の死体を使って解剖実験を繰り返したこと で有名ですが、自分のペニスに淋病や梅毒患者の膿みを塗り付けて、伝染の実験をして いたそうです。死体の解剖などは序の口、死刑囚、受刑者、売春婦、孤児、障害者、黒 人奴隷、貧民などが人体実験(生体実験)の材料にされて来た長い歴史がありましたが、 読み進むにつれて、医師自身、あるいは助手、研究員を巻き込んでの、自分の体を張っ た壮絶な実証実験が中心に成ります。ところで、私の大学時代の友人は京都府福知山市 の出身でしたが、「高校時代に日当3万円のバイトをした」と自慢していました。731 部隊の医師が創立に関わった製薬会社「ミドリ十字」で、研究被験者として試薬を服用 するバイトでした。また、私たちの受ける「治療」の施術、投薬もまた人体実験の延長 線上にあるのです。
  • 「くじ」(シャーリイ・ジャクスン著、深町眞理子訳、ハヤカワ文庫)
    有名な表題作は、あちこちのアンソロジーで紹介されていますが、改めて読み直しても 恐ろしい。くじ引きの行なわれる6月27日は、アメリカの学校では夏休みの開始日に 因むのでしょうか、それとも夏至に当たる「洗礼者ヨハネの誕生日」6月24日のモジ リでしょうか。私のお気に入りは、鶏を噛み殺してしまった飼い犬の処分法について、 村中の人たちが話題にする「背教者」です。死んだ鶏を犬の首に括り付けて取れないよ うにして、腐るに任せるとか、牝鶏に犬の目玉を突かせるとか、腐敗して異臭を放つゆ で卵を食わせるとか、愛犬家が失神しそうな話がこれでもかと出て来ます。愛書家とし ては「曖昧な七つの型」が印象的です。予想通りの平板な展開のはずなのに、なぜか忘 れられないのです。古書店主のハリス氏の感情が欠落しているからでしょう。ブルジョ ワ婦人たちの偽善的な親切を嘲る「アイルランドにきて踊れ」、若いミセスがNYの雑踏 の中で身動き取れなくなる「塩の柱」(ソドム滅亡の瞬間を振り返り見てしまったロトの 妻のこと!)も大好きです。
  • 「ゴールデンカムイ」第8巻(野田サトル作、集英社)
    本作において、専らコメディリリーフを担当している脱獄王、白石由竹(モデルは「昭 和の脱獄王」白鳥由栄)の過去が描かれています。お笑い半分に描かれてはいますが、 その一途な生き方は、固いパンの欠片を懐に隠し持つことで、希望を繋いで生き延びる 短編小説(フランチスク・ムンテヤーヌの「一切れのパン」)を思い出させます。土方歳 三と永倉新八が昔話をしながら、若き日の姿に戻る場面は、マンガならではの味わいが あります。しかし、何と言っても、今回の見ものは第89話「沈黙のコタン」〜第90話 「芸術家」でしょう。「ジャンプ」らしい凶暴な大立ち回りが描かれています。やはり、 これこそ、このマンガの真骨頂と言いたいところですが、何やら編集者から「そろそろ お願いします」と頼まれて描いたファンサービスのような気がします。
  • 「兵器と戦術の世界史」(金子常規著、中公文庫)
    扱われているのは陸戦のみ。海戦空戦は、艦砲射撃と航空機爆撃以外は扱われていませ ん。歩兵と騎兵、重騎兵と軽騎兵、大砲と小銃、砲兵と戦車、白兵と火力などの対立軸 で、兵器運用と戦術の歴史が描かれています。日本陸軍には、曲りなりにも勝利してし まうと、旧式な兵器と稚拙な戦術を見直そうとはせず、ひたすら精神主義と白兵銃剣主 義に走る悪い癖(貧乏性)が最後まで付いて回りました。しかし、過去の勝利の喜びや 敗北の苦みが原因で、1つの戦術に固着してしまう傾向は、フランス陸軍にもドイツ陸 軍にもあるみたいで、少し安心しました。1人の人間に人柄があるのと同じように、軍 隊にもお国柄が出てしまうようです。失敗の本質を見極めず、放置すると道を誤って、 同じ失敗を繰り返し続けても、中々改まらず、体質改善に相当の時間(50年、百年)を 必要とするようです。裏を返せば、自身の成功例に囚われ過ぎてしまうという事でもあ ります。
  • 「誕生日の子どもたち」(トルーマン・カポーティ著、村上春樹訳、文春文庫)
    礼拝のメッセージの中で『ティファニーで朝食を』を採り上げたので、何となく読みた くなったのでした。「感謝祭の夜」「クリスマスの思い出」「あるクリスマス」「おじいさ んの思い出」は、著者の幼少年時代の思い入れがたっぷりと詰まったミンツパイやミー トパイのような連作です。やはり、少年の親友、スックの存在感や言葉は圧倒的です。 表題作に登場するミス・ホビットも魅力的です。それは、彼女の命が不慮の事故によって 突然に断たれてしまい、「失われた」という悲しみのせいかも知れません。勿論、その他 の諸作も、「失われた」少年時代であるが故に愛惜に満ちているのです。
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クリスマス(降誕日)礼拝(2016年歳晩礼拝)

      12月25日(日) 午前10時30分〜正午
説  教 真夜中のメシア=@音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 2章8〜20節(p.103)
讃 美 歌  27、273、490、271、255、69、80、26
交読詩編  詩編24編1〜10節(p.29)

・讃美歌練習(1月の月歌:145番)  礼拝後      礼拝堂
・クリスマス愛餐会(新入会者歓迎会)  練習後〜午後2時 階下ホール

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2016年12月19日

皆殺しの歌【マタイ2:13〜23】

聖句「ヘロデは…ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。」(2:16)

1.《デグエジョ》 メキシコには「皆殺しの歌/Degüello」と呼ばれる挽歌の伝統があります。総攻撃の前夜に、トランペットを奏でて、敵軍に殲滅を予告するのです。映画『アラモ』や『リオ・ブラボー』にも流れますし、『荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』の決闘に際して流れるのも、そのヴァリエーションです。その哀愁に満ちた曲調は、敵軍への弔いの歌であると共に、自軍兵士に対しても「死を思え」と訴えているのかも知れません。

2.《小羊の屠殺》 「デグエジョ」は「首切り」の意味です。その関連語に「聖なる幼子の虐殺/degollación de los santos inocentes」があります。ヘロデ王の虐殺の犠牲になった幼子たちを記念する祝日で、ローマカトリック諸国では12月28日に守られています。「創世記」22章の「イサクの燔祭」や「出エジプト記」12章の「過越祭の規定」を改めて読み直すと、ベツレヘムの子どもたちが犠牲の小羊として奉げられたのだと思われます。この虐殺事件は史実ではありませんが、福音書の終わりに、イエス御自身が「神の小羊」として十字架に付けられて、私たちの罪の贖いとされることと繋がっているのです。

3.《残酷な世界》 クリスマスは祝いの時、祭りの日です。却って教会が最も地味に見えるくらい、街も施設も商店も華やかに飾り立てられています。勿論、教会としても、主の来臨を心から喜びたいと思いますが、聖書に描かれたクリスマスには、暗闇や貧困、不幸や災難、苦悩や不安、圧政に苦しむ庶民の姿などがちりばめられています。そして「私たちの暮らすこの世界は、子どもを貪り食っている」のです(クレール・ブリセ著『子どもを貪り食う世界』)。この世界は残酷なのです。誰かが犠牲を強いられているのです。クリスマスは全ての人の祭りであるべきです。不幸せな人のためにも、孤独な人、愛する我が子を失った人のためにも、殺された子たちのためにもあるべきです。

朝日研一朗牧師

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2016年12月13日

12月第3主日礼拝(アドベント第4主日)

      12月18日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 皆殺しの歌=@音楽         朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 2章13〜23節(p.2)
讃 美 歌  27、273、490、272、244、26
交読詩編  詩編24編1〜10節(p.29)

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2016年12月12日

我らが人生の客【黙示録3:14〜22】

聖句「見よ、わたしは戸口に立って叩いている。誰かわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし…」(3:20)

1.《お客様》 三波春夫の決め文句は「お客様は神様です」でした。お笑いのネタに使われて、今ではクレーマーの常套句にすら成ってしまいましたが、本来は三波の芸人としての矜持を語る言葉だったのです。芸人たる者、歌う時には、観客を神と見立てて、神前で祈る時のように、澄み切った敬虔な心に成って、最高の芸を披露するべし、それが三波春夫の信条だったのです。

2.《訪問者》 「お客様は神様です」は比喩に過ぎませんが、本当に「お客様が神様」だったら、どうしましょうか。キリスト教の歴史には、そんな物語や伝承が数多くあります。トルストイの『靴屋のマルチン』(正しくは『愛あるところに神あり』)の創作は有名です。芥川龍之介の『きりしとほろ上人伝』は「聖クリストフォロス」の、フローベールの『聖ジュリアン伝』は「聖ユリアヌス」の伝承の翻案で、いずれも「黄金伝説」から採られたものです。見ず知らずの旅人を迎え入れ、背負って川を渡したら、あるいは、その冷え切った体を必死に温めたら、それがキリスト御自身であったという展開です。

3.《戸口に》 人生も「客を迎える」ことに似ています。大勢の人たちが私たちの人生を訪ねて来ます。客は人間だけではありません。私たちの人生には、苦難と死という訪問者がいます。しかし、苦難と死を経て初めて、私たちは神に近付くことが出来るのです。苦難と死を乗り越えられるようにと、キリストが私たちの客と成って下さるのです。W・ホフマン・ハントの絵画「世の光」には、カンテラを手にして、閉ざされた扉を叩くキリストが描かれています。扉には取っ手が無く、内側からしか開けられません。時刻は信仰と希望と愛も眠ってしまった真夜中、扉には蔦が絡んでいます。主を迎え入れ、愛する者、信じて希望を抱く者として、主と共に生きていこうではありませんか。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:51 | 毎週の講壇から