2017年01月31日

2月第1主日礼拝(創立記念礼拝)

       2月 5日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 家を建てるなら=@音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  エフェソの信徒への手紙 4章7〜16節(p.356)
讃 美 歌  27、159、490、99、396、82、29
交読詩編  詩編46編1〜12節(p.55)

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2017年01月30日

身を起こし頭を上げよ【ルカ21:25〜28】

聖句「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」(21:28)

1.《世界終末時計》 先日、米国の科学雑誌「原子力科学者会報」の「世界終末時計/Doomsday clock」が「人類滅亡まで2分半」という残り時間を発表して、人類に危機を警告しました。しかし「ドゥームズデイ/運命の日」を予告することで不安を煽り、それに付け込むカルトも数多く存在します。また、世界の滅亡を願う「黒い心の人々」(大江健三郎『個人的な体験』)もいるのです。

2.《世を見下げる》 果たして「黒い心」を持っていない人など存在するでしょうか。「世の終わりが来て、人類は滅亡する」「救われるためには…しなければならない」という信仰はキリスト教会の中にもあります。「救われるためには?」の問いに、普通「悔い改めて福音を信じなさい」と勧めます。その心は「私たちには何も出来ない、救いは神の一方的な恩寵」なのです。しかし、教会生活をしていると、「救われた者として相応しく…しなさい」との要求が重なると、逆回転して、それが救われるための条件となります。そして遂には、条件を満たしていない周囲の人たちを裁き、見下し始めるようになるのです。

3.《天を見上げる》 もしもキリスト者が世を見下すならば、「神は世を愛された」「その独り子をお与えになったほどに」という神の御心、福音の本質に反することです。むしろ「黒い心」を宿した存在なればこそ、ひたすら天を仰ぎ、滅びの時には「共に滅ぼされても仕方がない」と覚悟する謙遜さを持ちたい。世の終わりが近付くと、天変地異が起こって、誰もがパニックに成ると言います。私たちも同じです。しかし、その時こそ「解放の時」、自由になる時だと、主は仰るのです。「体を起こす」「頭を上げる」とは「希望のしるし」です。溺れるのではなく、主を見上げましょう。そこに、私たちの希望があります。

朝日研一朗牧師

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2017年01月29日

非誕生日プレゼント

1.私の好きな季節

1年の中で、私が一番好きな季節が冬です。でも、11月と12月はクリスマスが近付いて来て多忙を極めるので、決して好きではありません。1月も初旬は嫌いです。あの「正月気分」というのが苦手です。クリスマスまで熱心に礼拝に来ていたはずの人たちが、年末年始になると、お寺や神社に鞍替えするのも堪りません。

唯一、お正月の良いところは、東京の人口がごっそり減って、空気が清浄に変わることです。「みんな、このまま永遠に戻って来なければ良いのに…」と独りごちています。

ともかく、結論から申し上げるならば、私の一番好きな季節は、1月中旬から2月上旬までということです。「1月が好きだ」と言えば、大抵「自分の誕生月だからでしょう」と返されるのですが、断じて、そうではありません。

私の誕生日は1月3日で、この日を愛おしく思ったことは一度もありません。「おせち料理の残飯の日」なのです。もとより「おせち料理」等に何の愛着もありませんが、その残り滓を処分しなければならないのです。それが私の誕生日でした。ですから、むしろ、私が好きなのは、自分の誕生日が終わってから始まる、寒々しい今の季節なのです。

2.誕生日じゃない

そんな捻くれ者の私が、小学校の時に見て熱狂した映画があります。1951年のディズニーのアニメ映画『不思議の国のアリス』(Alice in Wonderland)です。ウォルト・ディズニーの作品の中では「野心的だが失敗作」との烙印を押された、所謂「呪われた映画」の1本ですが、世間の評価などは、この際どうでも良いのです。

「狂ったお茶会/A Mad Tea-Party」に、アリスが出席する場面があります。そのお茶会を主催するのは、頭の狂った「帽子屋/Hatter」です。テーブルに就いているのは、この変質者の他に「三月兎/March hare」と「ネムリ鼠/ヤマネ/Dormouse」です。このお茶会にアリスが加わります。ディズニー版では、ここで「お誕生日じゃない日のうた/非誕生日の歌/Unbirthday Song」が登場します。

「誕生日は1年に1度きり/そうとも、たったの1回さ/でも、生まれない日は364日ってことは/年がら年中お祭りだ!万歳!」等という内容の歌なのです。歌の中で、何度も何度も「生まれない日おめでとう!/a very merry Unbirthday to You」と繰り返されるのです。観た当時「我が意を得たり!」と大いに感動したものです。

私の観た吹き替え版では、確かに「生まれない日おめでとう!」と言っていたと思うのですが、最近の吹き替えでは「なんでもない日」に変わっていると聞きました。そう言えば、この翻訳の変更が原因と成って、大きな物議を醸したことがありました。2015年8月9日の事件です。その日「ディズニージャパン」の公式ツイッターに「なんでもない日おめでとう!」という文章が出たのです。しかし、その日は「なんでもない日」等ではなくて、長崎に原爆が投下された「原爆忌」の日だったのです。しかも、「ディズニージャパン」は米国法人の子会社、現地法人です。当然、抗議が殺到して炎上。「ディズニージャパン」は即日午後には削除、夜には謝罪がツイートされたのでした。

「なんでもない日」等という下らない意訳をしたのが運の尽きでした。

3.落ちて割れる卵

しかしながら、ルイス・キャロルの原作『不思議の国のアリス』を読んでみると、お茶会では、ひたすら言葉遊びとナゾナゾの応酬があるばかりで、「生まれない日おめでとう!」等という言葉は出て来ません。

実は、これが出て来るのは続編の『鏡の国のアリス』(Through the Looking-Glass)の方なのでした。高い塀の上に座っている卵の形をした奇怪な人物「ハンプティ・ダンプティ/Humpty Dumpty」(日本語で言えば「ずんぐりむっくり」でしようかね)、この奇人が自分の着けているネクタイは「非誕生日プレゼント/Unbirthday present」だと、アリスに説明するのです。「誕生日のプレゼントは、1年に1回だけ。でも、非誕生日プレゼントは365マイナス1で、364回も貰えるから、ズッとお得」と言うのです。

「ハンプティ・ダンプティ」と言えば、「マザー・グース」の童謡が有名です。「ハンプティ・ダンプティが塀の上に座った/ハンプティ・ダンプティが落っこちた/王様のお馬と家来が皆かかりっきりになっても/ハンプティを元には戻せなかった」。

「王様のお馬と家来が皆」の部分は「All the king’s horses,all the king’s men」です。米国には、この歌の一節から題名を採った『すべて王の臣』(All the King’s Men)という政治小説があり、2度も映画化(1949年、2006年)されています。理想に燃えて州知事になった男が、政治の権謀術数の中で自分を見失って行く物語です。

ニクソン大統領を辞任に追い込む結果となる「ウォーターゲート事件」を暴いた2人の新聞記者の活躍を描いたのが、1976年の『大統領の陰謀』という映画です。原題は「すべて大統領の家臣/All the President’s Men」という傑作なモジリでした。三谷幸喜脚本のテレビシリーズ『古畑任三郎』(1994年)の最終話が「すべて閣下の仕業」という題名でした。恐らく、あれも「All the King’s Men」のモジリだったのでしょう。

「落っこちた卵は、もう二度と元に戻らない」のです。きっと割れてしまうはずです。その「割れちゃった卵」が王様や閣下や大統領などの権力や地位であれば、こちらは一向に構わないのですが、地球そのものであったりすると困ります。トランプ大統領就任式のニュースを見ながら、環境破壊と自然災害、国家エゴと人種差別、各地の紛争や戦争の火種に成るかも…と暗澹たる気持ちになりました。これこそ「アメリカ帝国の滅亡」でしょうか。

牧師 朝日研一朗

【2017年2月の月報より】

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2017年01月24日

1月第5主日礼拝

       1月 29日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 身を起こし頭を上げよ=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 21章25〜28節(p.152)
讃 美 歌  27、145、490、354、13、28
交読詩編  96編1〜13節(p.110)


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2017年01月23日

復讐するは我にあり【ヘブライ10:19〜39】

聖句「『復讐はわたしのすること、わたしが復讐する』と言い、また、『主はその民を裁かれる』と言われた方を、わたしたちは知っています。」(10:30)

1.《アヴェンジャー》 米国を代表するコミック雑誌「マーヴェル」には「アヴェンジャーズ」というチームが登場します。個別のマンガのヒーローとヒロインが一同に結集して巨悪と戦うのです。「リヴェンジ」が私怨による復讐を意味するのに対して、「アヴェンジ」は正義の立場から悪を罰するのです。米英軍には「アヴェンジャー」と銘打った艦船や航空機、兵器が多々あります。

2.《復讐は私の仕事》 神の御言葉「復讐は私のすること」云々は「申命記」32章35節から引用されています。「モーセの歌」ですから、復讐すべき敵はアマレク人でしょうか。カナンの農耕生活が描かれているので、3百年後のペリシテ人とも言えます。編集されたのが「捕囚期」と考えれば、更に5百年後のバビロニア人かも知れません。新バビロニア帝国とすれば、勝ち目がないどころか、既に祖国は滅ぼされて、自分たちは抑留されて奴隷生活を強いられているのですから、復讐など出来ません。自分で復讐したくても出来ない悔しい状況の中で、神に報復を託して行くしか無かったのでしょう。

3.《復讐を超えた先》 本来「復讐は私の仕事」の表現は、神ではなく人間が近親者としての義務を語る言葉だったのです。借金のために「嗣業の土地」を取られ、債務奴隷に成った身内を贖うことを意味しました。また、身内が殺された時には「血の復讐」を遂げることが親族の義務だったのです。しかし、イエスさまの言葉と聖霊を受け、その十字架と復活を知ったキリスト者たちは、復讐の思いを超えた先に「もっと素晴らしい、いつまでも残るもの」があることに気付いたのです。だから、数多くの迫害を受けながらも、怨みや辛み、呪いや悔しさから解き放たれて「永遠の命」を希望することが出来たのです。

朝日研一朗牧師

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2017年01月17日

1月第4主日礼拝

       1月22日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 復讐するは我にあり=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ローマの信徒への手紙 12章9〜21節(p.292)
讃 美 歌  27、145、490、161、540、28
交読詩編  96編1〜13節(p.110)

・讃美歌練習(2月の月歌:159番) 礼拝後    礼拝堂
・昼食サービス         讃美歌練習後    階下ホール
 カレーライス:350円、テイクアウト:カレー200円、ご飯100円

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2017年01月16日

平和があるように【マタイ10:5〜15】

聖句「相応しい人は誰かをよく調べ、旅立つ時まで、その人のもとに留まりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。」(10:11,12)

1.《挨拶禁止規約》 昨年、神戸のマンションの住民総会で「互いに挨拶は止めよう」との提案が出て、規約として明文化されたことが話題になりました。何とも寂しい時代に成ったものです。挨拶禁止を提案したり、反対に挨拶運動を強引に推進したりするのは、私たち自身が「顔見知り」への信頼感、延いては、他者を吟味して見極める判断能力を失ってしまっているからです。

2.《判断停止状態》 人間関係に限らず、聖書でも教会でも、信仰でも宗教でも鵜呑みにするのは正しい歩み方ではありません。疑い、吟味した上で、勇気をもって踏み出すのです。「信ずべきものは信ずる」のです。勿論、誤りもありますが、失敗は次に進むステップです。現代人は、そのプロセスを避けて、マスコミ報道やネット情報、世論調査などに判断を委ねています。しかし、判断停止状態に陥っている方が、操作誘導され易いのです。「振り込め詐欺」が流行する世相と軌を一にしています。子どもたちも「顔見知り」に挨拶せず、血の通わない怪しげな「ネット住人」だけを相手にして成長しているのです。

3.《平和の挨拶を》 イエスさまは12人の使徒に「権能」を与えて「医療伝道」に派遣しています。無一物での旅でしたが、町や村に入ったら、衣食住を与えてくれる「相応しい人/相応の値打ちのある人」の厄介になるように勧めているのです。しかし「相応しい人」「相応しい家」かを見極めるのは大変だったと思います。時には、無礼な応対を受けることもあったはずです。パウロの手紙には「使徒」「兄弟」と偽って詐欺紛いを繰り返す者もいたようです。そんな旅人を受け入れる側でも、各々に相応しい対応が求められます。誰に対しても「平和があるように」という祝福の挨拶を交わし、祈る者でありましょう。

朝日研一朗牧師

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2017年01月10日

1月第3主日礼拝

       1月15日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 平和があるように=@音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 10章5〜15節(p.17)
讃 美 歌  27、145、490、405、448、28
交読詩編  96編1〜13節(p.110)

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2017年01月09日

借り暮らしもあり得るって【ローマ13:8〜10】

聖句「互いに愛し合うことのほかは、誰に対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。」(13:8)

1.《借り暮らし》 2010年のアニメ映画『借りぐらしのアリエッティ』は、英国の児童文学者、メアリー・ノートンの『床下の小人たち』が原作です。所謂「小人の冒険シリーズ」の1編ですが、原作者は「拝借人/Borrowers」という表現を大切にしています。何でもお金で買って所有し、声高に所有権を主張するのではなく、借り物を工夫して再利用していくのです。

2.《所有と排除》 私たちも「自分の家」「自分の土地」「自分の家族」「自分の人生」と言っていますが、神さまから「与えられたもの」、つまり「授かりもの」「預かりもの」なのです。しばらく借りていて、やがてお返しするものなのです。「借りがある」と訳されている「オフェイロー」には、借金のみならず「負い目、罪」の含みがあります。現代ギリシア語の「借りる/エノイキオ」は「エンオイケオー/その中に住む」と関係があるかも知れません。何十年か昔は、隣近所でお醤油やお砂糖の貸し借りをしていました。お裾分けもしました。私たちは、今や互いに「外に住んでいる」のかも知れません。

3.《愛し合って》 どうしても「借り」と言うと「借金」のイメージが先行してしまいます。米国の結婚式で、新郎新婦への勧告として読まれることが多かったそうですが、新婚家庭に借金の危険を警告していたのかも知れません。しかし、パウロが言いたいのは「誰にも借りや負い目を作るな」ではなくて、愛し合うことの大切さです。愛には「借りがあっても良い」のです。借りがあれば、期間内に返済するのが、私たちの社会の約束事であり秩序です。しかし、愛には負債があってもよいし、返済期限もありません。貸すばかりで損する人がいても、借りるばかりで、返さない人がいても良いのです。

朝日研一朗牧師

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2017年01月03日

1月第2主日礼拝

       1月 8日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 借り暮らしもあり得るって音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  ローマの信徒への手紙 13章8〜10節(p.293)
讃 美 歌  27、145、490、477、530、28
交読詩編  96編1〜13節(p.110)

・青空カフェ      礼拝後      玄関バルコニー

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