2017年01月02日

幸せな生き方をしよう【マタイ13:10〜17】

聖句「しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがの耳は聞いているから幸いだ。」(13:16)

1.《メタファー》 今年は酉年ですが、本来「酉」は「鳥」ではなく「酒熟して気の漏れる」様を言います。従って「水鳥」と言ったら「酒」の隠語ですが、十二支に動物を当てたのは、庶民に分かり易く説明しようとした先人の知恵です。イエスさまの譬え話も、目に見えないものを、目に見える物や経験で表現することで、誰もが得心できるようにしているのです。

2.《譬えの意味》 神の愛など私たちには想像できませんが、「放蕩息子」の帰りを待ち侘びる父親の心情は想像に難くありません。赦しの御心など分かりませんが、迷子の小羊を発見した飼い主の喜びは分かります。それこそ、イエスさまが「譬えを用いて話す理由」に他なりません。劇作家の井上ひさしの「むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く」のモットーにも通じます。キリスト教の教義(ドグマ)を理解したり、教理問答(カテキズム)を勉強するよりも大切なことがあるのです。お百姓さんは「神の国」のことは分からないのですが、「種蒔き」なら体験として誰よりも知っているのです。

3.《幸いなる哉》 この聖書箇所では、群集には「天の国の秘密を悟ることが許されていないから」、彼らが理解できないように「譬えを用いて話すのだ」とイエスさまが言われます。むしろ、これは「マタイ」のメッセージです。「天の国の秘密」と言われている内容も驚く程のことではありません。イエスさまの福音に今出会った人たちに「幸いなるかな」と祝福しているのです。アインシュタインは「人生には2つの生き方しかない。奇跡など何一つないとして生きる生き方か、全てが奇跡であるとして生きる生き方か」と言いました。全てに奇跡を見聞きすることが出来れば、感謝と賛美に満たされるはずです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:53 | 毎週の講壇から

2017年01月01日

日課と勤行と覚醒

1.朝の顔ぶれ

朝の7時半頃、二男の車椅子を押して、スクールバスの停車場所に送って行くのが、私の日課です(お迎えは妻が担当してくれています)。朝は出勤時間、登校時間ですから、また、ジョギングや犬の散歩も日課ですから、ほぼ同じような顔ぶれの人たちと擦れ違います。やはり、朝は皆が一定の方向性をもって動き始める時間帯なのです。それに比べると、夕方のお迎え時間はバラツキが大きいようです。  最近の定番を紹介しましょう。先ず家を出ると、向かいのマンションの清掃作業員、次に隣のマンションのKさんに「お早うございます」。バーコード会社の「SATO」に出社する中年男性2〜3名(50歳代)、女性2名(30歳代)、若手社員1名(20歳代)等が歩いています。雅叙園に向かって急ぐフィリピン人の女性(30歳代)が見えます。二男の小学校時代の同級生IS子ちゃんの家の前を通ると、出勤するお母さんに遭遇することもあります。「お早うございます」。  「セブン-イレブン」の角でタバコを吸っている会社員2名(40歳代)、建設作業員1〜2名(20〜40歳代)、「セブン」から太鼓橋の間で、女子高生、40歳代OL2名、若いフリーター風男性(30歳代)、ジョギングの女性(30歳代)、太鼓橋の上で女子高生、黒いプードル3匹を散歩させる奥さん(60〜70歳代)、そして、毎日、橋の上には、コンビニのパンと珈琲の朝食を食べている若禿げで背の低い男性(30歳代)がいます。女子中学生(以前、教会学校に来ていたMMちゃん)と会うこともあります。「お早う」。

2.去り行く人

こうして毎朝、同じような顔ぶれを見ていると、挨拶を交わさぬ人であっても、自ずと親近感が湧いて来るものです。そうかと思えば、ある時から、急に見なくなる顔もあるのです。転勤、転居、退職、労働時間帯の変更もあるかも知れませんが、場合によっては、その人の不在が、そのまま「その人の死」を意味します。  例えば、「ヤマト運輸」に務めていた男性(50歳代)は、教会に集金に来ていた時期があったので、顔馴染みでしたが、ある日、太鼓橋の上を、お連れ合いの介助を受けつつ、脚を引き摺りながら歩いているのを見て、驚いたものです。それから時折り、朝のリハビリに出会っていたものの、挨拶を交わすだけで、お尋ねする余裕はありませんでしたが、恐らく、脳梗塞か何かで麻痺した体で散歩されていたのです。しかも、その何ヶ月か後には、車椅子に乗ったお連れ合いを、今度は、彼が押していたのです。最近お見掛けしませんが、回復されて仕事を再開されたのなら良いのですが…。  昨年までは、日出高校の男女生徒が登校する姿をよく見掛けたものです。余りにも仲が良さそうなので、私たちは「高校生夫婦」と名付けていました。その昔、鶴見辰吾と伊藤麻衣子が主演した『高校聖夫婦』という大映ドラマがあったのです。戯れ合いながら登校している姿を遠目に見ながら、私は思わずビートルズの「All You Need Is Love」を口ずさんでしまいました。「Love,love,love」という歌い出しは、二男も知っていて(子ども番組の「ポンキッキーズ」で流れていたからでしょう)、目の前を歩く二人の姿と音楽が重なったと見えて、笑いを堪えるのに必死だったようです。  朝、二人を見る度に、私たち親子は「Love,love,love」と(勿論、本人たちの耳には届かないように)囃し立てて、歌っていたものです。二人が蛸のように吸い付いて歩いている日もあれば、喧嘩をしているのか、距離を置いて歩いている日もありました。しかし、私たちは変わらず「Love,love,love」と歌い続けました。卒業してしまったらしく、今年度から姿を見なくなってしまいました。今も仲良く暮らしているでしょうか。あれだけ私たちを笑わせてくれたのですから、別れていなければ良いのですが…。

3.宙吊り状態

エドガー・アラン・ポーの短編に『ヴァルデマール氏の病気の真相』という恐ろしい作品があります。催眠術の研究をしている「私」は、友人のヴァルデマール氏の協力を仰ぎ、彼の臨終の瞬間に催眠術を掛けるのです。すると、ヴァルデマール氏はトランス(催眠夢遊)に陥りつつ、尚も生き続けている「宙吊り状態」に成ってしまうのでした。肉体は死んでいるのに意識が半分残っているのです。  やがて、彼の肉体は腐敗が進み、周囲の人間が耐え難い程に成りました。それでも意識が完全に失われることがありません。遂に「私」は催眠術を解く決心をして、彼の意識を覚醒させます。そして、意識が覚醒すると同時に、忘れていた死の現実がヴァルデマール氏の精神に流れ込んで来て、瞬時にして肉体は崩れ去って行くのでした。  毎日、同じことを繰り返していると、ヴァルデマール氏のような状態に置かれているような気分に成ることがあります。同じ電車に乗り、同じ職場や学校に通い、同じような顔ぶれで、同じようなことを繰り返しているような錯覚に陥ります。  しかし「宙吊り状態」は「サスペンス/緊張状態」でもあるのです。タロットカードにも「宙吊りにされた男」があります。逆さに吊るされていて手も足も出ませんが、実は、大きな可能性を秘めたカードなのです。  私は、朝のルーティーンな日課であっても、意識することによって、トランスからリアルへの移行が出来ると考えています。「宙吊り状態」は不安なので、誰もが逃れたいと思いますが、実は、そこに心を向けることによってしか、私たちは現実を生きることは出来ないのです。「聖務日課/Liturgia horarum」とは、1日の定時に祈るための祈祷文ですが、同じ務め(勤行)を繰り返すことで、初めて信仰生活は深められるのです。

牧師 朝日研一朗

【2017年1月の月報より】

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