2017年05月28日

教会の臓器移植

1.怪盗ニック

短編ミステリーの名手、エドワード・D・ホックの代表作に「怪盗ニック」というシリーズがあります。現在、翻訳で『怪盗ニック全仕事』(木村二郎訳、創元推理文庫)第1〜2巻が入手できます(以後、第6巻まで刊行予定)。

「怪盗ニック」こと、ニック・ヴェルヴェットは2〜3万ドルという高額な報酬を受けて、依頼品を盗み出すプロの「泥棒代行業者」です。「価値のないもの、もしくは誰も盗もうとは思わないもの」を専門にしています。当然、依頼は珍妙極まるものばかりです。「プールの水を盗め」「既に公演が終了した芝居の切符を盗め」「服役中の囚人のカレンダーを盗め」「大リーグの弱小野球チームを盗め」「シャーロック・ホームズのスリッパを盗め」「博物館のティラノサウルス骨格標本の尾を盗め」…。

第1巻の6話目にあるのが「聖なる音楽を盗め/The Theft of the Sacred Music」、「教会の巨大なパイプオルガンを盗め」という依頼です。近日中に、オルガン奏者としても知られる高名な医師が、近所の聖公会の教会のオルガンを演奏し、それをレコード会社が録音しにやって来る予定です。それまでにオルガンを盗み出し、その後は元通りに戻して欲しい(依頼人は「教会の人たちには何の恨みもないので…」)と言うのです。

その依頼の場面が傑作です。キャロル・オランダー夫人は「怪盗ニック」に、臓器移植の専門医にして高名なオルガン奏者、ドクター・エルキンの話をした後、「オルガンを盗んでいただきたいのです」と依頼します。それを受けて、ニックは「心臓とか腎臓といった内臓器官(オルガン)のことですか?」と聞き返すのです。

2.オルガヌム

オルガンはラテン語で「オルガヌム/organum」と言います。「道具、楽器、オルガン、器、器官、臓器」と意味が派生して行きます。因みに、近年よく使われる「オーガニック/有機的な」という語も「オルガニクス/organicus/道具の、機械の、楽器の、音楽の」が語源になります。

以前にも、私は「オルガンは教会の内臓」という趣旨の文章を書いたことがあります。今回は、その「教会の内臓」の「臓器移植」についてのお話です。

我らが行人坂教会では、ドイツ製の「アルボーン/Ahlborn」というメーカーの電子オルガンを使って参りました。今は無き「クロダオルガン/クロダトーン」が輸入していたオルガンです。伊藤多恵子さん(元フェリス女学院オルガニスト、伊藤義清牧師の夫人)が主唱されて、1983年12月に導入したオルガンです。『行人坂教会百年史』には「天上の高い礼拝堂に響くその音色はパイプオルガンに勝るとも劣らぬ素晴らしいものである」と絶賛されています(まあ、パイプオルガンも「ピンからキリまで」ありますしね)。

パイプオルガンに比して如何かはともかく、私たちは30年以上も、あのオルガンの演奏で瞑想し、あのオルガンの伴奏で讃美を歌い続けて来たのです。礼拝堂が満員の時もガラガラの時も、葬式の時も結婚式の時も、喜びの日も悲しみの日も、牧師の離任の時も着任の時も、無牧師の月日も、変わらずに、あのオルガンが私たちを力付け続けてくれたのです。あの音色には、深い愛着を感じています。

しかし、数年前から急に音が出なくなったりすることが発生し始めました。オルガニストの咄嗟の機転で、スイッチを切り替えたら、音が出るようになったこともあったようです。それこそ宥(なだ)め賺(すか)して、騙し騙しして、何とか保って来たのです。けれども、昨年秋の特別音楽礼拝の際、音楽指導に来て下さった飯靖子さん(霊南坂教会、青山学院大学オルガニスト)から遂に、「もう、いつ壊れても不思議ではない」「新しいオルガンの購入を計画した方が良い」と「余命宣告」を受けたのでした。

それ以来、牧師とオルガニスト、役員会の間では「もしも、礼拝中に突然音が出なくなったら、ピアノ伴奏に切り替えましょう」と話し合いをしていたのです。

3.夢見る者ら

「壊れても部品が無い」「修理を請け負う代理店も無い」と「無い無い尽くし」の中で、オルガンが鳴らなくなったら「建築等基金を取り崩してオルガンを購入しようか」等と、役員会では話し合っていました。そんな時、大口献金をして下さった方があったのです。聖句を添えて献金して下さった方の献身の祈りを、私たちの礼拝を導くオルガン(器官)として活かすことが、御心に適っていると確信しました。

そこで役員会での決議の後、教会音楽委員会に業者と機種の選定をして頂くことになりました。相談に乗って頂いた飯靖子さんからは「アーレン/Allen」を推薦されました。また、非公式ながら伊藤多恵子さんからも「今買うならアーレンね」とのご意見も伺いました。飯さんから、日本での代理店「パックスアーレン」の社長さんを御紹介いただき、3月30日に、お話を伺うことが出来ました。また、4月5日には、オルガニストが実際に弾き比べて機種選定が出来るように計らって頂きました。

その結果報告などを踏まえて、4月23日の定例役員会、5月21日の臨時役員会において「アーレンオルガンCHANCEL(チャンセル)CF-4型」と決定、再度細かいことを協議して契約を承認しました。8月末に納入予定の運びと成りました。秋から春にかけての、新オルガン購入についての急展開は、まるで夢を見ているようでした。

「詩編」126編1節「主がシオンの捕らわれ人を連れ帰られると聞いて/わたしたちは夢を見ている人のようになった」。お献げ下さった御家庭、オルガニストの方々に感謝します。そして何よりも、主に栄光を帰したいと思います。ハレルヤ。

牧師 朝日研一朗

【2017年6月の月報より】

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2017年05月23日

5月第4主日礼拝(アジア・エキュメニカル週間)

       5月28日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 憐れみは裁きに打ち勝つ=@    朝日研一朗牧師
聖  書  ヤコブの手紙 2章1〜13節(p.422)
讃 美 歌  27、 、490、 、 、 、 
交読詩編  詩編93編1〜5節(p.107)

・讃美歌練習(6月の月歌:135番)  礼拝後     礼拝堂

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2017年05月22日

希望が生きる力だ【ローマ8:18〜25】

聖句「わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(8:25)

1.《希望という名》 1970年、シャンソン歌手の岸洋子が「希望という名のあなたを訪ねて…」と歌って大ヒットしました。その頃から、親が子に「希望」を意味する名前を付けるようになりました。名付けは、新しく生まれた子に親が託す願い、親の祈りです。「信じる」「愛する」に比べると地味ですが、「望む」という価値観も、徐々に日本社会に浸透しつつあるのです。

2.《主を待ち望む》 親子の路線対立が表面化するのは、ズッと後の話で、誕生直後には、親も子を純粋な「希望」として抱き締めます。手塚治虫は90年代の講演で「子どもは未来人」というスローガンを広めました。しかし、ロシアの教育学者ソロベイチクは、80年代の著作で、子どもは我々の未来ではあるが、人としては成熟していないので、未来人にする責任、未来を用意する責任は我々にあると言っています。ヘブル語では「希望/ティクヴァー」は「待ち望む/カーヴァー」から来ています。希望とは待ち望むことです。ぼんやりした未来志向ではなく、主の救い、主の平和、御心の実現を待ち望むことなのです。

3.《産みの苦しみ》 新約聖書で「希望」を考える場合、「苦難」が前提になっています。希望は「現在の苦しみ」から生まれているのです。人間だけではなく全ての被造物が「虚無に服し」「呻き」「苦しんでいる」のです。但し、この苦しみは「産みの苦しみ」です。それ故に「希望」なのです。しかも、独りでは無く「共に呻き、共に産みの苦しみを味わっている」のです。「信・愛・望」は観念ではなく「信仰の働き、愛の労苦、希望の忍耐」です。現代は、誰にとっても生き辛い時代ですが、私たちが「目に見えないものを望むなら」、それは「産みの苦しみ」であると分かるはずです。主は贖って下さいます。

朝日研一朗牧師

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2017年05月16日

5月第3主日礼拝

       5月21日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 希望が生きる力だ=@音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  ローマの信徒への手紙 8章18〜25節(p.284)
讃 美 歌  27、166、490、473、224、106、24
交読詩編  詩編93編1〜5節(p.107)
※新生児祝福式

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年05月15日

愛を加えなさい【Uペトロ1:3〜11】

聖句「だから、あなたがたは、力を尽くして信仰には徳を…信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」(1:5-7)

1.《引き算の文化》 欧米の語や文化が「足し算」であるのに対して、日本語や日本文化は「引き算」だと言われます。日本料理や武道、礼儀作法など無駄なものを削ぎ落として行きます。しかし、単なる美意識だけではなく、そこには哲学や理念もあるのです。世阿弥の言うように、美は移ろい易いものですが、「まことの花」は咲き続けているのです。これを私たちは「信仰」と言います。

2.《サプリメント》 実は、日本は「足し算の文化」でもあるのです。それこそ「和」と言われる通りです。ピュタゴラス学派の「ハルモニア・ムンディ/世界の調和、天球の音楽」にも通じます。英訳聖書は「加えなさい」を「サプライ/不足を補う」としています。近代以降、私たちの聖書の読み方は個人主義的、自己完結的に成り過ぎてしまい、教えを独りで達成しよう等と思うから無理があるのです。「あなたがたは…」と書いてある通り、これはコミュニティに託された課題です。ここに挙げられた8つの徳目も、コミュニティ全体で担いながら、お互いに補い合うべきことなのです。

《教会はスープ》 スタートの「信仰」は教会生活、信徒生活です。「徳」は人柄の良さ、「知識」は神の御心を思い、受け取って行く心、「自制」は包容力、「忍耐」は苦難に遭っても耐える胆力、「信心」は悲しみに彩られた慈しみ、「兄弟愛/フィラデルフィア」と聞けば、ウィリアム・ペンの祈りや『ロッキー2』のロードワークを忘れる訳には参りません。「愛」は主の御声に応えて労苦することです。お互いがお互いを必要としているのです。そのために、主は私たちを「持ち込まれた」のです。その意味で、教会は「スープ」だと思います。いや、毎週注ぎ足しながら熟成させた「秘伝のタレ」でしょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:51 | 毎週の講壇から

2017年05月14日

母の日

母の日にカーネーションを飾りました

カーネーション

カーネーション
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2017年05月09日

5月第2主日礼拝

       5月14日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 愛を加えなさい=@音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  ペトロの手紙U 1章3〜11節(p.436)
讃 美 歌  27、166、490、494、483、24
交読詩編  詩編93編1〜5節(p.107)

・青空カフェ      礼拝後      玄関バルコニー
・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年05月08日

教会に隠された宝が…?【マタイ13:44〜50】

聖句「畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠して置き、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」(13:44)

1.《聖ロレンツォの夜》 イタリアのトスカーナ地方では、聖ロレンツォの聖日(8月11日)夜の流れ星に、愛する人のことを思って願い事をすると叶うと言います。その流れ星は「聖ロレンツォの涙」と呼ばれています。その日は、ローマのラウレンティウス(聖ラウレンチオ助祭)の殉教日とされています。人々は彼の殉教の苦しみを偲びつつ、願い事も託したのです。

2.《聖ロレンツォの涙》 3世紀前半、ローマ教皇に使える筆頭執事に取り立てられたラウレンティスは教会の財務を担当していました。しかし、皇帝の迫害により教皇が斬首され、難を逃れたラウレンティウスも、教会財産を皇帝に差し出すように命じられます。ラウレンティウスは、体の不自由な人たち、病気の人たち、貧しい人たち、年老いた人たちを大勢伴って、皇帝の前に行き、「この人たちこそが教会の宝です」と訴えるのです。『黄金伝説』によると、「この人たちの手が、宝を天国に運んで行く」という言葉もあります。「宝/テサウロス」とは古代の「貯金箱」で、持ち主が地中に隠して置くのが常でした。

3.《宝物を受け継ぐ人》 「畑に宝が隠されている」のを発見した人は小作人の農夫です。その喜びは彼に「持ち物をすっかり売り払う」という人生の大転換をもたらします。「宝」は畑の収穫物(業績)とは無関係です。私たちは業績に価値があると勘違いしていますが、それは人間の価値付けに過ぎません。やがて朽ち果てるか燃える炉に投げ込まれるのです。折角、父親が畑に宝を隠していたのに、それに気付かぬまま、相続した畑を売ってしまった馬鹿息子の話として読むことも出来ます。私たちが生きて行くために大切なのは何でしょうか。業績や貨幣価値とは異なる人生の価値を、若い世代に伝えて参りましょう。

朝日研一朗牧師

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2017年05月02日

5月第1主日礼拝

       5月 7日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 教会に隠された宝が…?=@音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 13章44〜50節(p.26)
讃 美 歌  27、166、490、477、579、74、24
交読詩編  詩編93編1〜5節(p.107)


・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年05月01日

わたしが働く理由【ヨハネ5:9b〜18】

聖句「イエスはお答えになった。『わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。』」(5:17)

1.《労働は自由にする》 北海教区の青少年ワークキャンプでは、若者たちが活動休止中の教会の建物修繕に取り組んでいました。門柱を立てて、そこに牧師が「労働は自由にする」と書きました。しかし、それはナチスの強制収容所の門に掲げられたスローガン「Arbeit macht frei」と同じでした。以来、何の考えもなしに「労働」を賛美することに危機感を抱くようになりました。

2.《呪いとしての労働》 現代日本社会の労働環境にも問題が山積しています。「過労死」「労働災害」「非正規雇用」「ブラック企業」「ワーキングプア」「外国人の不法就労」…。労働は自由をもたらすどころか、企業による奴隷化を生み出しているのです。「創世記」3章には、堕罪したアダムに「罰としての、呪いとしての労働」が言い渡されます。これが労働の起源であるかに思われますが、その前の2章を見ると、アダムが園を「耕し、守る」働きをしているのです。「守る」は「環境保全」、「耕す」は明らかな誤訳で「仕える、礼拝する」と訳すべきです。自然を守り、自然に仕えていた時、労働の苦しみはなかったのです。

3.《祈り、そして働け》 38年間も病に苦しみながらも、ベトサダの池の側でイエスさまに癒された人がいます。しかし、彼は悪人でした。安息日に床を運ぶ姿を見咎められるや、責任転嫁をした挙句に、イエスさまのことを密告するのです。ユダヤ教徒が命を投げ出して守り続けて来た「安息日」律法を、イエスさまは平気で破ります。イエスさまの働きこそが「労働」ではなく「安息」、「呪い」ではなく「祝福」だからです。ベネディクト修道会の標語に「祈り、そして働け/Ora et labora」があります。「勤労の中に祈りあり」「内に祈りを秘めていてこそ、真の勤労なり」と、その文字に表現されています。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:51 | 毎週の礼拝案内