2017年05月01日

わたしが働く理由【ヨハネ5:9b〜18】

聖句「イエスはお答えになった。『わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。』」(5:17)

1.《労働は自由にする》 北海教区の青少年ワークキャンプでは、若者たちが活動休止中の教会の建物修繕に取り組んでいました。門柱を立てて、そこに牧師が「労働は自由にする」と書きました。しかし、それはナチスの強制収容所の門に掲げられたスローガン「Arbeit macht frei」と同じでした。以来、何の考えもなしに「労働」を賛美することに危機感を抱くようになりました。

2.《呪いとしての労働》 現代日本社会の労働環境にも問題が山積しています。「過労死」「労働災害」「非正規雇用」「ブラック企業」「ワーキングプア」「外国人の不法就労」…。労働は自由をもたらすどころか、企業による奴隷化を生み出しているのです。「創世記」3章には、堕罪したアダムに「罰としての、呪いとしての労働」が言い渡されます。これが労働の起源であるかに思われますが、その前の2章を見ると、アダムが園を「耕し、守る」働きをしているのです。「守る」は「環境保全」、「耕す」は明らかな誤訳で「仕える、礼拝する」と訳すべきです。自然を守り、自然に仕えていた時、労働の苦しみはなかったのです。

3.《祈り、そして働け》 38年間も病に苦しみながらも、ベトサダの池の側でイエスさまに癒された人がいます。しかし、彼は悪人でした。安息日に床を運ぶ姿を見咎められるや、責任転嫁をした挙句に、イエスさまのことを密告するのです。ユダヤ教徒が命を投げ出して守り続けて来た「安息日」律法を、イエスさまは平気で破ります。イエスさまの働きこそが「労働」ではなく「安息」、「呪い」ではなく「祝福」だからです。ベネディクト修道会の標語に「祈り、そして働け/Ora et labora」があります。「勤労の中に祈りあり」「内に祈りを秘めていてこそ、真の勤労なり」と、その文字に表現されています。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:51 | 毎週の講壇から