2017年07月04日

7月第2主日礼拝

       7月 9日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 神の国は、飲み食いではなく=@音楽 朝日研一朗牧師
聖  書  ローマの信徒への手紙 14章13〜23節(p.294)
讃 美 歌  27、128、490、129、487、26
交読詩編  詩編143編1〜6節(p.160)

青空カフェ    礼拝後      玄関バルコニー

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年07月03日

ここに私がいます【イザヤ6:1〜8】

聖句「そのとき、わたしは主の御声を聞いた。…わたしは言った。『わたしがここにおります。わたしを遣わしてください』」(6:8)

1.《セラフィム》 かつてカトリックのミサでは「サンクトゥス/聖なるかな」の「三聖唱」の合図に、鈴を鳴らして注意喚起したそうです。礼拝の中心だったのです。聖書の中では「セラフィム」という天上の生き物が歌います。5世紀のシリアの神学者、偽ディオニシオス・アレオパギタによれば、全9段階の「天使の位階」の最上位にあって主に仕える天使とされています。

2.《声を聴く心》 「イザヤの召命」は、紀元前739年とされています。預言者を待ち受けるのは、アッシリア帝国の勃興による未曾有の国難です。モーセと同じく、イザヤも主の召命を辞退しようとします。しかし、熾天使セラフィムによって清められて、御前に召し出されるのです。昨今「得意を仕事に」のキャンペーンが盛んですが、預言者も使徒も得意だから成っていません。むしろ、自分の得手不得手、好き嫌いを超えたところで、神に召されることを「召命」と言います。この「召命」という語は、ギリシア語でもラテン語でも「天職、職業」の語源なのです。大切なのは、神の呼びかけを聴き取るか否かです。

3.《自分の仕事》 御声を聴いたイザヤは「ここにいます」と応えます。「ああ」「見よ」という感嘆語に通じる語です。「お遣わし下さい」はギリシア語では「使徒」に通じます。躊躇し不安を抱きながらも引き受けたのです。好きな事だけやっているのは子どもです。哲学者の内田樹は、「自分の仕事」ではない「みんなの仕事」を、敢えて「自分の仕事」として引き受けるのが、おとなの生き方だと書いています(『街場の共同体論』)。旧約の預言者たち、新約の使徒たち、そして誰よりイエスさま(十字架!)こそは、そのようにして自分の人生に、神の御旨を引き受けて行った人たちだったのではないでしょうか。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から