2017年08月29日

9月第1主日礼拝

       9月 3日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 人を見る目、神を見る目=@音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  ヘブライ 11章23〜31節(p.416)
讃 美 歌  27、20、490、186、458、78、29
交読詩編  詩編147編1〜11節(p.164)

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posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年08月28日

混沌から始まる物語【創世記1:1〜19】

聖句「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』 こうして、光があった。」(1:2,3)

1.《ワンタン》 ワンタンの起源は華北料理の「餛飩/フントゥン」です。遣唐使の上陸した蘇州では「ウンドン」、目的地の長安では「ホエトエ」と発音しました。「うどん」「ほうとう」です。「餛飩」は「渾沌、混沌/フンドゥン」に通じます。中国の創造神話では、元始天尊が原初の混沌から天地を創造したとされています。しかも、その記念日はクリスマスと同じく冬至なのです。

2.《空虚混沌》 かつては「地は形なく、むなしく」と訳されていました。「漢訳聖書」の「地乃虚曠/地は即ち虚ろで曠しく」から来ているのでしょう。本来は「形の有る無し」は示唆されていません。ギリシア語「七十人訳」の「目に見えず、形が整っていない」から「形なく」が定番になったのです。しかしながら「ヘブル語聖書」の「トーフー・ワボーフー」は「空虚、虚無」という語の繰り返しです。「曖昧模糊」のように同語反復の熟語なのです。意外にも漢訳「和合本」の言う「地是空虚混沌」の「空虚混沌」に近いのです。「エレミヤ書」4章でも、神の秩序の崩壊が「大地は混沌とし」と預言されています。

3.《命の在処》 メンセンディーク宣教師が仙台青年学生センターの主事として、津波の被災地で仕分けのボランティアをしていた時、学生の「なぜ、神の物語は『混沌』で始まるのか?」との問い掛けが思い出されたそうです。「天地創造」は「神の御言葉による御業」と言われますが、「命令」ではなく「呼び掛け、語り掛け」だったのでは無いでしょうか。「光あれ」は「光であれ」と訳すことも出来るのです。認知心理学者の下條信輔の『まなざしの誕生』には「心を持つ者として扱われることによって、心は発生し成長する」とありました。神さまが語り掛けられた時、そこに「命」が生まれたのでは無いでしょうか。

朝日研一朗牧師

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2017年08月27日

ドラマと映画の落穂拾い

1.夏目漱石の妻

録画したままの番組(映画やドラマ)を、何とか夏休みの間に観ようと思ったのですが、やはり、全く消化できませんでした。NHK土曜ドラマ『夏目漱石の妻』(尾野真千子、長谷川博己の出演)は、なぜか最終回だけが未見のまま何ヶ月も放置されていたのですが、先に観た妻が「やはり、オノマチは凄く良い!」と強く勧めたこともあり、いの一番に鑑賞、漸く観終えることが出来ました。

妻のオノマチ好きは、連続テレビ小説の『カーネーション』、土曜ドラマの『足尾から来た女』、映画『きみはいい子』等、その都度、聞かされているので「ああ、やっぱり、そうなのね」…。しかし、私からすれば、どうしても長谷川博己の演技に興味が行くのです。『シン・ゴジラ』も良かったのですが、何と言ってもBSプレミアム版『獄門島』の金田一耕助の情緒不安定ぶりが衝撃的でした。特に、了然和尚役の奥田瑛二との最終バトルでの「無駄無駄無駄無駄無駄無駄!無駄ぁぁ!」という攻撃の台詞には、一緒に見ていた二男までが、思わず仰け反り、「ぎゃあ!」と声を上げた程です。マンガとアニメでお馴染み『ジョジョの奇妙な冒険』のDIO、もしくはジョルノ・ジョヴァーナの口癖なのです。

それはともかく『夏目漱石の妻』ですが、要するに夏目漱石と鏡子の夫妻を演じる二人の演技合戦なので、『獄門島』の時も思ったのですが、こうして互いに火花を散らす役柄だと、役者さん同士は共演しても、きっと仲良くはなれないのだろうなと思いました。妻視点のドラマなので、幾分ロマンチックなエンディングにしてありましたが、夫視点で描いたら、もっと渋い終わり方もあり得たかも知れません。

2.悲しき破壊神

『精霊の守り人U/悲しき破壊神』全9話も、7月末くらいから空いている時間を利用して、少しずつ消化していましたが、目出度く観終えることが出来ました。山本八重を演じたNHK大河ドラマ『八重の桜』以来、綾瀬はるかはアクション(殺陣)が出来る女優として定着した感があります。さすがに第2シーズンともなると、女用心棒バルサの役に全く違和感を抱かせなくなりました。

今回のバルサは、破壊神の依り代にされた少女アスラを守って、ロタ王国の呪術師たちと対決するのですが、ライバルのシハナ役の真木よう子の台詞回しが相変わらず舌足らずで、私は気になって仕方ありませんでした(「それが可愛い」と仰るファンがいることも知っていますが…)。因みに、妻の目撃情報によると、真木よう子は(丁度このドラマの撮影中に当たると思われる時期)目黒アトレのユニクロで下着の大量買いをしていたそうです。さぞかし、アクション演技で汗をかいたのでしょう。

第1シーズンでは、バルサは精霊の卵を宿した新ヨゴ国の王子チャグムを守って戦っていたのですが、今回、そのチャグム(板垣瑞生)は青年に成長していて、サンガル王国の捕虜になったり、海賊に助けられたり、タルシュ帝国の王子に陰謀を持ち掛けられたりと、別の国で冒険をしているのです。こうして全く平行線を進んでいた2つのドラマが、最終の第9話で繋がるのです。チャグムの母親ニノ妃から「用心棒」の依頼を受けたバルサが、絶体絶命のチャグムの所に駈け付ける、この場面では不覚にも泣いてしまいました。「いいかい、私の後ろから離れるんじゃないよ!」「忘れたのかい?私はあんたの用心棒だよ」。ああ、私もこんなカッコいいお姐さんが欲しかった…。

3.桜の花びらが

『君の名は。』で有名な新海誠監督の『秒速5センチメートル』(2007年)も、漸く観ることが出来ました。「一緒に観ようね」と男の約束を交わしていた二男(入院中)からは「裏切り者!」呼ばわりされてしまいました(これが人の世です)。しかも、実際に鑑賞してみて、内容の重さにすっかり打ちのめされてしまいました。敢えて言うならば『雲のむこう、約束の場所』(2004年)に連続する味わいです。

『雲の向こう』においては、思い出の津軽半島の風景があり、その海峡の向こうには北海道の大地が広がっています。それに比べると、東京の街は多少なりとも無機質で薄汚れていますが、それでも美しい。同じように『秒速』においても、東京と地方の風景とが、登場人物たちの「心の距離」として描かれています。

第1話「桜花抄」、両毛線岩舟駅(栃木県)の佇まい、とっぷりと暮れて雪の積もった田畑の遠くに仄かに見える岩船山(東映「スーパー戦隊」もののロケ地)の黒い影、寒くて切なくて、死ぬまで引き摺りそうな予感です。第2話「コスモナウト」、水平線と地平線に丸みを強調して、種子島(鹿児島県)の海と空を表現した風景、これは、私も都井岬の近所に住んでいたので、凄く納得できます。吹っ切れているように見えて、海の青さも空の青さも悲しみの色だったことに、後になって気付かされるような感じ。

第3話「秒速5センチメートル」は、東京で社会人になった主人公たち(貴樹、明里)の物憂い日常が描かれていますが、そのエピローグが、映画冒頭アバンタイトルのプロローグと合わせて「インクルージオ/囲い込み」の反転構造になっています。プロローグと同じく桜の季節で、桜の花びらが風に舞っています。題名の「秒速5センチメートル」とは、新海監督がノルウェーの新聞の取材インタビューで語ったところによると、「桜の花びらが舞い散る速度」なのだそうです。

地方に離れ離れになってしまった時と違い、お互いの物理的距離は狭まったのですが、互いに異なる人生を歩み出してしまった彼らの「心の距離」(秒速5センチメートルで離れて行って13年間)は埋まらず、小田急線の踏切の「すれ違い」として描かれるのでした。

牧師 朝日研一朗

【2017年9月の月報より】

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2017年08月22日

8月第4主日礼拝

       8月27日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 混沌から始まる物語=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  創世記 1章1〜19節(p.1)
讃 美 歌  27、554、490、330、205、28
交読詩編  詩編57編7〜12節(p.66)

・讃美歌練習(9月の月歌:20番)  礼拝後     礼拝堂

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2017年08月21日

新しいオルガン

7月24日、教会に新しいオルガンが設置されました。スピーカーも交換いたしました。

後日、奏楽者への説明会がありました。

新しいオルガン
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生きるにも死ぬにも【フィリピ1:15〜26】

聖句「…生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるように…」(1:20)

私をハンセン病療養所に追いやった3つの言葉

1.「わたしゃ、クリスチャンには随分いじめられたよ!
1980年夏、好善社のハンセン病療養所ワークキャンプに初めて私が参加した時に、あるおばあさんから私に投げつけられた言葉。奈良で開拓伝道に燃える私に、「クリスチャンがいじめた」とは!頭が真っ白になった。戦後間も無くのキリスト教ブームの頃、米国のララ物資の配給をめぐって、クリスチャンが優先されたことによるトラブルが背景にあったようだ。衝撃から覚めた私は、「ああ、こういう言葉を聞くために、神は私をここに追いやったのだ」と妙に納得。キリスト教会とて内と外を分け隔てする。私はその罪びとの頭!ハンセン病者を外へと追いやった日本政府の加担者だと。

2.「消え去ることをもってその使命とする教会があることを、君は忘れるな!
1985年、開拓伝道10年にして漸く会堂建設、献堂式の祝辞で、好善社の藤原理事長(故人)が言い放った。「君の教会はこれからも伸びてゆくだろう。でも消え去ってゆく教会がある。君はそれでいいのか」と。私は彼の命を受けて、毎月末に大島青松園キリスト教霊交会の講壇奉仕に14年間通うことになる。「消え去ることをもってその使命とする」の表現は誤解を生みかねない。ただ、それが現実。大島キリスト教霊交会は会員の減少により昨年その礼拝を閉じ、各療養所教会も同じ運命。

3.「ここも神の国です
1990年2月、藤原理事長に同伴して、タイ国ハンセン病療養所を訪れた。東北部の 貧しい農村ながら、孫の世話をして家族と共に暮らす元患者の姿に心が和む。旅の最終日、バンコク郊外のプラパデン・コロニーを訪れた。そこはチャオプラヤ河の岸辺、海抜ゼロメートル地帯に作られたスラム、満潮時には水があふれて下水が床下を覆う劣悪な環境にある教会。同行の若い女性が、もうお会いできないかもしれませんが、天国での再会を楽しみに、と挨拶したら、教会代表の方が、「ここも神の国です」と切り返した。彼女は泣きだし、私も衝撃を受けた。ハンセンを病み、人々に忌み嫌われ、人生に行き暮れ、漸く辿り着いたスラムの教会、「ここも神の国」とは!教会とは何と誇らしい所なのか!以来、タイに長く関わることになる。教会はキリストの体、決して消え去ることなく、キリストを証し続ける。

三吉信彦牧師

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2017年08月15日

8月第3主日礼拝

       8月20日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 生きるにも死ぬにも音楽 三吉信彦牧師(好善社代表理事)
聖  書  フィリピの信徒への手紙 1章15〜26節(p.361)
讃 美 歌  27、554、490、196、419、28
交読詩編  詩編57編7〜12節(p.66)

・ホサナ広場映画上映会    午後1時        礼拝堂
 映画:『母と暮らせば』(松竹/130分) 山田洋次監督作品
 (吉永小百合、二宮和也、黒木華、浅野忠信、他出演)

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2017年08月14日

神が私と共におられる【出エジプト3:1〜15】

出エジプト記3章の、モーセの召命です。モーセは神と直接対面し、対話した人です。神に直面して重要な任務を与えられ、さまざまな困難に耐えてイスラエル民族のエジプト脱出を成功させ、イスラエルの信仰の基礎を築いたモーセは、イスラエルの歴史の中でもっとも偉大な人といっていいでしょう。そのモーセが神に召しだされる物語です。モーセはエジプトの寄留者の子どもでした。ある日、エジプト人がヘブライ人を打っているのを見て、エジプト人を逆に打ち殺してしまいます。ミディアンに逃亡し、祭司の娘ツィポラと結婚して羊飼いとなります。その羊たちを連れて、神の山ホレブにきたところで、神との最初の出会いが起こりました。燃え尽きない不思議な柴の火を見たモーセが近づくと、神が声をかけられました。「モーセよ、ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」履物を脱ぐのは、しもべのしるしであり、聖所に入るときの習慣であり、謙遜を示すことでもあります。神は続けて「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」と言われました。神は続けてご計画を述べられます。エジプト人のもとで働いているイスラエルの人々が重労働で苦しんでいるのを見、彼らが苦しみに叫んでいるのを聞いたので、エジプトへ降って行って救い出そうと決めたと言われます。そのためにあなたを遣わすというのが神の命令でした。しかしモーセは、神の命令に素直に従いません。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」彼は神の与えられる任務の重大性と、それに伴う数々の困難を思って、当惑したでしょう。使命の大きさに対して、現在の彼は、あまりにも小さな存在でした。モーセの訴えに神はどう応えられたでしょうか。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。」「あなたは自分にどんな力があるかと心配する必要はない。わたしは必ずあなたと共にいる。わたしが共にいることこそ、あなたの力なのだ。」神が「わたしは必ずあなたと共にいる」と言われた一言で、モーセは納得しました。モーセは、重ねて問います。「・・・イスラエルの人々が『その名は一体何か』と問うとき、彼らに何と答えるべきでしょうか。」神は「わたしはある。『わたしはある』という方がわたしをあなたがたに遣わされたのだ」と言いなさい。」神が直接、「わたしは必ずあなたと共にいる」と言われたら、どんなに安心なことでしょうか。私たちはみな、神様に呼ばれてキリスト者になったのは確かなことですから、お呼びになった方は、必ずいつも傍らにいてくださることを信じて感謝して歩みたいと思います。

柳下 仁牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から

2017年08月12日

旭日亭菜単(続き)その40

  • 「ブラウン神父の不信」(ギルバート・キース・チェスタトン著、中村保男訳、創元推理文庫)
    「神父の不信(incredulity)」という逆説が、この短編集のモチーフです。合理主義、科学実証主義、唯物主義、無神論などを標榜する御仁が、いとも容易く呪いやオカルト、奇跡やお告げ、迷信や亡霊に引っ掛かって右往左往する中、独りブラウン神父が冷静な推理によって事件の真犯人と真相を暴いて行くのです。「天の矢」「翼のある剣」「ムーン・クレサントの奇跡」「ダーナウェイ家の呪い」と、密室殺人を扱ったものが多く、ディクスン・カーの先駆となっています。勿論、神父の説教も健在です。「本物の神秘家は神秘を隠さない。それをあまねく啓(ひら)くのです。真っ昼間の太陽のもとにそれを高くかかげる。みんながそれを見る。それでもなおそれは神秘なのです」。「人が神を信じなくなると、その第一の影響として、常識をなくし、物事をあるがままに見ることができなくなる」。「聖職者の仕事は、祝福と呪いだという事実をお忘れですな」。「わたしは奇跡を信じておる。…奇跡がほしければ、どこにさがしにいったらよいか、それをわたしは承知しておる」。「あらゆるものは神のお恵みです。とりわけ、理性や想像力など精神の偉大な能力ほど神のおかげなのです。こういったものはそれ自体としては善なるもので、たとえそれがゆがめられた場合にもその源を忘れてはならんのです」。「パドアの聖アントニオもユーモラスにこう言ってますよ―ノアの洪水に生きのこるのは魚だけ、とね」。
  • 「戦国の軍隊」(西股総生著、角川ソフィア文庫)
    著者はNHK大河『真田丸』の軍事考証を担当した城郭研究者。戦後日本の歴史学が論じようとして来なかった「軍事」の問題に取り組んでいます。そこから、旧来、戦国時代についての「常識」が覆され、結果として、私たちの先入観や固定観念が見事に氷解して行くのは快い程に見事です。戦国の軍隊は隊列を組まない。小田原合戦に秀吉は苦戦。戦国時代の戦は農繁期も農閑期も無関係。足軽は非正規雇用の傭兵部隊。雑兵はバイトの輜重隊(輸送部隊)。織豊勢力の強さは鉄炮にあるのではなく「業務拡張中により年中募集広告の出ている会社のようなもの」だったから…等々、目から鱗でした。この本の面白さは、事例の挙げ方の妙にあります。南雲中将と長尾景虎の反転の意味に始まり、西洋のマスケット銃一斉射撃発展史と長篠の鉄炮三段撃ち神話を語ります。スイスの長槍(パイク)部隊と足軽の長柄隊、三十年戦争の傭兵隊長ヴァレンシュタインと足軽大将、薙刀とハルベルトの共通性。アイゼンハワーの「戦争は兵站」という視点から戦国の軍隊を見直します。漸く「あとがき」で開陳されるのですが、その論考には、現代日本を取り巻く国際状況、社会問題に対する確かな視点も盛り込まれています。「北の脅威論」や「領土問題」等のデマゴーグに対して、説得力のある有効な反論を提出できないのは、「軍事を論じてこなかった戦後歴史学の無残な敗北」と厳しく指摘しています。
  • 「ぼくが死んだ日」(キャンデス・フレミング著、三辺律子訳、創元推理文庫)
    少女の幽霊に導かれ、「子ども専用墓地」に入り込んだ少年マイクは、そこで9人の幽霊から「私が死んだ日」の話を聴かされることになります。マイクを墓地に導いた少女の名はキャロルアン、映画『ポルターガイスト』の末娘の役名であり、実際の子役が幼くして事故死してしまいましたね。@サイコパスの転校生に濡れ衣を着せられ殺されたジーナ、A棺桶荒らしが災いして、古代シュメールの呪文で殺されたジョニー、B心霊スポット探検が災いして、ガーゴイルに殺されたスコット、C妹が通販で買ったモンスターに食い殺されたデイヴィッド、D美人の姉に嫉妬する余り「悪の鏡」に吸い込まれたエヴリン、E「猿の手」の呪いで恋人を失った悲嘆の中で死んだリリー、F悪霊憑きの暴走カーと共に地獄に落とされたリッチー、G「没入癖」から精神に異常を来たし無残に殺されるエドガー、H叔母の隠匿する金貨を失敬しようとしてゴミ屋敷で焼け死ぬトレイシー、それぞれに異常な死に方(殺され方)をします。小学校の推薦図書には、毒が強過ぎるかも知れませんが、これはこれで児童文学の一種かも知れません。
  • 「HUNTER×HUNTER」第34巻「死闘」(冨樫義博作、集英社)
    これが噂に聞いていたヒソカVSクロロ団長の「死闘」ですか。両雄に華を持たせて、半端に引き分け(痛み分け?)にするのではなく、一方が他者を殺すという勝敗の決着を与えたのは潔いと思います。前の33巻が推理サスペンスで、文字情報の夥しさに辟易しただけに、巻頭からアクションの連続で「やっとマンガらしくなった」と思いました。それでも、クロロの念能力の説明はクドイ。もっと簡潔にすることが出来るはずです。旅団員2名が大した見せ場もなく、呆気なく瞬殺されてしまうのも腑に落ちません。「幻影旅団編」での扱いに比べて、如何にもお粗末です。「暗黒大陸編」に移った段階で、作者が関心と愛着を失った結果、モブキャラ扱いされてしまった訳です。登場人物を矢鱈に増やした挙句、古いキャラを切り捨てる作者の薄情さに苛立ちを覚えます。もっと丁寧な殺し方は無かったのでしょうか。そもそも物語が入れ子型の四重構造になっていて、こんなに複雑にするから収拾できなくなるのでは無いでしょうか。「ジャンプ」らしく、少しシンプルにした方が良いです。
  • 「東京自叙伝」(奥泉光著、集英社文庫)
    東京の地霊(ゲニウス・ロキ)が憑依した6人の人物の人生を通して、幕末からフクシマ原発事故までの東京と日本の歴史を回顧する、一種の大河小説です。しかし、今の若い人たちが読み易いように、1項目が1〜3ページに細かく区分されて纏められています。御丁寧に各項目には表題まで付けられています。要するに「日本史」の教科書の体裁なのです。大雑把に数えてみると、幕末明治サムライ篇24、大正昭和陸軍篇51、焼け跡実録ヤクザ篇35、高度経済成長篇73、バブル経済風雲篇55、原発派遣労働者篇31でした(数え間違っていたら御免なさい)。但し、一貫して語り手は「あれは私だ」「あれを作ったのは私だ」「あの犯人は実は私だ」「あれを始めたのは私だ」と語り続けます。そう言えば、東京には、そういう語り口の人(騙り)が、実に大勢いるように思います。まさに東京人の特徴です。福島原発立地点は東京の「飛び地」なのであって、あそこは東京、従って東京が被曝しているのと同じという論法には感心しました。つまり。日本近現代史の到達点として、フクシマのメルトダウンがあるという展開です。東京の地霊が東京人、及び日本社会の滅亡を空想するのは、荒俣宏の『帝都物語』のパロディでしょう(平将門も出て来ますしね)。
posted by 行人坂教会 at 13:54 | 牧師の書斎から

2017年08月08日

8月第2主日礼拝

       8月13日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 神が私と共におられる=@音楽    柳下 仁 牧師
聖  書  出エジプト記 3章1〜15節(p.96)
讃 美 歌  27、554、490、16、419、28
交読詩編  詩編57編7〜12節(p.66)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内