2017年10月02日

ほんとうに生きている道【ヨハネ14:1〜14】

聖句「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。」(14:6)

1.《道を尋ねる》 私は方向音痴なので、知らない所に行く時には、前日に入念な準備をします。その癖、迷った時に素直に道を尋ねることをしませんでした。道に迷う男性が他人に道を尋ねないのは、自分が無能だと思われることを恐れているからだという研究結果があります。英国の保険会社の調査によると、迷った男性が誰にも道を訊かずに、当ても無く自動車を走らせる距離は、年平均444キロに達するそうです。それこそ「迷走」ですね。

2.《脱システム》 英国の探検家、トリスタン・グーリーによると、女性に比べて男性が道を尋ねない理由は、自分たちが作ったシステム(方位、地図)に固執していて、機能しなくなっても拘泥しているからだそうです。その点、女性の方がシステムから自由で、目的のためには、利用可能な手段を全て駆使することが出来るのです。勿論、性差による分類は相対的なものです。性差に関係なく、今や私たちはシステムに雁字搦めにされて、身動きが取れなくなっているのです。システムそのものが悪いとは言いません。しかし、システムが機能しなくなった時に、その拘りを離れて、謙虚に道を尋ねる必要があると思います。

3.《踏まれる命》 教会は道を尋ねる場所、また問われる場所でもあります。ペトロもトマスも、イエスさまに「主よ、どこへ行かれるのですか」と尋ねています。それに対して、主は「私は道である」と答えられます。福岡のバプテスト教会の牧師(幼稚園長)が、園児から「じゃあ、イエスさま踏まれちゃうんだね」と反応された衝撃を書いて居られました。遠藤周作の小説『沈黙』のクライマックスで、踏絵に足を掛けたロドリゴに「踏むがいい」と囁く主の御声を思い出します。それは「棄教」ではありません。私の足がキリストを踏み付けにしている、その認識から始まる信仰もあるのではないでしょうか。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:51 | 毎週の講壇から