2017年11月21日

11月第4主日礼拝(特別伝道礼拝)

      11月26日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 向こう側を通る =@       大西秀樹
聖  書  ルカによる福音書 10章25〜37節(p.126)
讃 美 歌  27、569、484、57、89
交読詩編  詩編51編1〜11節(p.59)

・讃美歌練習(12月の月歌:245番)  礼拝後     礼拝堂
・ランチ会     讃美歌練習後〜午後0時45分   階下ホール
 メニュー:鉄板焼きソバ

特別公開講座         午後1時〜2時      礼拝堂
 講演:「がん医療の中でみつめてきた生と死について」大西秀樹医師
 入場無料
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年11月20日

神さまの大きな背中【イザヤ 46:1〜4】

聖句「わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(46:4)

1.《抱っこ》 最近では、街中で赤ちゃんを「おんぶ」している人を見掛けなくなりました。若いパパママはベビーキャリアを装着して抱っこしています。世界でも「おんぶ」する民族は少数派ですが、背中であやしながら、開いた両手で料理や洗濯が出来る凄い文化です。但し、周囲の共同体に対する信頼があることが前提です。「周りは他人」の都市文化では「おんぶ」は難しいのです。

2.《おんぶ》 欧州人に「おんぶ」の習慣はありませんから、聖母子像や降誕の聖画を見ても「抱っこ」です。唯一の例外が、幼いイエスさまを「おんぶ」して川を渡った、聖クリストフォロスの伝説です。それでも絵画を見ると、肩車か立ち乗りに成っています。欧州人に「おんぶ」は分からないのです。キリスト教が欧州に伝えられる以前、つまり、聖書を見ても「背負う」の表現はありますが、それは「赤ん坊を負ぶる」ことではありません。芝居の『屋根の上のヴァイオリン弾き』の「サンライズ・サンセット」の歌詞を見ると、寝た子を抱いてベッドに運ぶ「carryed」を「いつもおんぶしてた」と訳しています。

3.《踏み台》 聖書には「おんぶ」こそありませんが、子どもを抱きかかえて運ぶ「抱っこ」はあります。バビロンの神々の偶像は神輿として人間が担ぎ、家畜に背負わせる物だが、創造主である私は、あなたがたが胎にある時から年老いるまで「抱っこ」すると、主は仰るのです。「私が/アニー」の語が繰り返されて「おんぶに抱っこ」です。但し「甘えっ放し」には為さいません。その時々に「受容の背中」「拒絶の背中」「模範の背中」を示して、私たちの成長を促されるのです。子が「偶像」ではなく、真実を求めて生きるように導くのが大人の責任です。そのためには、自ら踏み台と成ることも厭わないのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:51 | 毎週の講壇から

2017年11月14日

11月第3主日礼拝

      11月19日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 神さまの大きな背中音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  イザヤ書 46章1〜4節(p.1137)
讃 美 歌  27、569、490、403、305、80、89
交読詩編  詩編51編1〜11節(p.59)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年11月13日

水のこころ【イザヤ 55:9〜11】

聖句「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ…」(55:10)

1.《奇跡の人》 岡田惠和が脚本を担当し、「銀杏BOYZ」の峯田和伸と麻生久美子が出演したドラマが昨年放映されました。流されるまま生きて来た万年青年が、盲聾の7歳の娘を抱えて、毎日サバイバルのような生活を送る元ヤンのシングルマザーに恋をして、自分はその娘の「サリヴァン先生になろう」と決意するところから、泣き笑いの奮闘が始まるのでした。

2.《家庭教師》 アン・サリヴァンは「盲聾唖の三重苦」を負ったヘレン・ケラーを教育した家庭教師です。ヘレンは1歳9ヶ月の時、猩紅熱の後遺症で視覚と聴覚を失い、言葉も話せなくなりました。両親は電話の発明者、ベル博士を通じて、パーキンス盲学校を紹介されます。自身もトラコーマによる失明状態の中から立ち上がり、盲学校を首席で卒業したサリヴァンが家庭教師として、ヘレンの家に来ることになったのです。その時、彼女は弱冠20歳でした。こうして赤ちゃん状態に等しかったヘレンに、指文字で言葉を教える懸命の教育が始まりました。芝居や映画では、この二人の格闘が最大の見せ場です。

3.《流れる水》 漸く人間らしさを回復しつつあったヘレンでしたが、両親の下に戻るや、再び動物のように振る舞い始めます。水差しを零したヘレンをサリヴァンが連れ出し、ポンプから流れ出る水に、ヘレンが「水」と叫ぶ場面は感動的です。しかし、これは劇作家ウィリアム・ギブスンの創作です。ヘレンの自叙伝によると、散歩の途中、忍冬の香りに誘われて泉に行った時の出来事だそうです。いずれにせよ、生きた水の流れがヘレンに言葉と魂の目覚めを与えたのは事実です。『奇跡の人』の原題「The Miracle Worker」はサリヴァンのことですが、奇跡を起こした働き手は、天から与えられた水だったのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:45 | 毎週の講壇から

2017年11月12日

2017収穫感謝合同礼拝

子どもたちも、司式や聖書朗読をしました。

2017収穫感謝合同礼拝

礼拝後、収穫感謝愛餐会がありました。持ち寄った食材で作った豚汁、果物、海の幸、鉄板焼きをいただきました。 餅つきもしました。

2017収穫感謝日記念パーティー
posted by 行人坂教会 at 22:15 | 教会アルバム

2017年11月10日

2017年11月07日

11月第2主日礼拝(収穫感謝日合同礼拝)

      11月12日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 水のこころ音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  イザヤ書 55章8〜11節(p.1153)
讃 美 歌  27、569、62、絶望の中に主はよみがえる、355、89
交 読 文  マルティン・ルター「詩編130編講解」より

・収穫感謝日愛餐会     礼拝後      階下ホール
 豚汁、焼きソバ、餅つき(無料、カンパお願いします)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年11月06日

死と陰府の鍵を持っている【黙示録1:9〜20】

聖句「わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。」(1:17,18)

1.《玄関の鍵》 とある婦人から問い合わせがありました。「バザー会場に鍵を落としたかも知れない」と仰るのです。外出から戻って、玄関の扉を開けようとした時に、鍵が見付からなくて慌てた経験は、誰にでもあるでしょう。昔は外から閉める自宅の鍵は存在せず、夜間に内側から閂をするだけでした。自宅には必ず誰かしら家人が居り、帰宅すれば「お帰りなさい」と迎えてくれたのでした。

2.《聖書の鍵》 宝物庫や蔵のために鍵はあり、それを持っているのは王と祭司、豪商でした。つまり、特別な力と権威の象徴だったのです。魔道書『ソロモンの鍵』は、ソロモン王が72匹の悪魔を使役したという伝説から生まれた魔法の解説書です。「ダビデの鍵」(3章7節)と言ったら、「ダビデの子」「ダビデの孫生」「ダビデの若枝」と同じく、メシアの力と全権を意味しました。ディオクレティアヌス帝の迫害時、エーゲ海のパトモス島に流刑され抑留されたヨハネに、キリストの幻が顕われ、「死と陰府の鍵を持っている」と仰るのです。

3.《人生の鍵》 「最初の者/プロートス」「最後の者/エスカトス」に加えて「生きている者」でもあります。人間の原型と最終形態、そして刻々と変化する全ての「命/ゾーエー」でもあるのです。生も死も超越した御方である故に「死んだが、生きている」ではなく「死んで、尚生きている」と読みたいのです。「陰府」は「冥界の王ハデス」、「死」は「死神タナトス」です。今や命の主であるキリストが「冥王」や「死神」に取って代わられたのです。いずれ私たちも臨終の時を迎えます。その時、決して独りぼっちではないのです。イエスさまが傍らに居られ、永遠の命へと導いて示して下さるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:52 | 毎週の講壇から