2017年12月31日

奇妙なオルガン

1.天馬博士のオルガン

『鉄腕アトム』と言えば、手塚治虫の原作もさることながら、1963〜1966年(昭和38〜41年)に、フジテレビ系列で放映された日本初の国産アニメ(虫プロダクション)が有名です。動きがリアルで丁寧な(ディズニーや東映動画に代表される)フルアニメーションに対して、制作費と製作時間を削減するための、リミテッドアニメーション(フィルム3コマにつき1枚の動画)、バンクシステム(同じセル画の使い回し)を確立した「ジャパニメーション」草創期の作品です。

記念すべき第1話「アトム誕生」の放映は1月1日でした。また、第2話「フランケン」、第3話「火星探検」までは、手塚自身が演出を担当しています。並々ならぬ意気込みが伺えます。

第1話「アトム誕生」では、交通事故で独り息子の「飛雄」を失った天馬博士が、人間型のロボットを発明し、息子の名前を採って「トビオ」と命名します。人間と同じように細やかな感情まで持っている「トビオ」でしたが、天馬博士は次第に、人間のように成長しないトビオに苛立ちを感じるようになり、結局、サーカス団に売り飛ばしてしまうのです。「鉄腕アトム」と命名するのは、サーカス団の団長(ハム・エッグ)なのです。アトムはローマの剣闘士さながら、残酷な「ロボット対戦」をさせられるのですが…。

ところで、天馬博士が「トビオ」=「アトム」を完成させる場面ですが、彼が操作する機械は、明らかにパイプオルガンをイメージしています。但し、そこで響き渡るのはベートーヴェンの「運命」第1楽章の有名な旋律です。

2.オペラ座のオルガン

手塚治虫が映画、とりわけSF映画と怪奇映画に造詣が深かったことは有名です。「アトム誕生」の場面は、ユニヴァーサルの『フランケンシュタイン』(1931年)や『フランケンシュタインの花嫁』(1935年)、『フランケンシュタインの復活』(1939年)を思い出さない訳には参りません。あるいは、フリッツ・ラングの『メトロポリス』(1926年)におけるアンドロイド「マリア」創造の場面も思い出されます。

それにしても、天馬博士のオペレーションがオルガンであるのは、一体、どこから来ているのでしょうか。私がすぐに思い出したのは『バーバレラ』(1968年)です。デュラン・デュラン博士が自身の発明による「オルガニズム拷問マシン」(凄い洒落)に、バーバレラを入れて、パイプオルガン演奏よろしく自ら操作していました。

近くは『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』(2006年)があります。蛸のような顔をした悪霊、デイヴィ・ジョーンズが海賊船「フライング・ダッチマン号」(彷徨える阿蘭陀人!)の中で、両手のみならず、顎から垂れ下がる触手をも使って、パイプオルガンを弾いていました。海賊船の船内にパイプオルガンとは笑えるではありませんか。ともかく、怪奇趣味にはオルガンがよく似合うのです。

恐らく、その原点は『オペラの怪人』=『オペラ座の怪人』(1925年)でしょう。自分が溺愛する無名の新人、クリスティーヌを主役にするために、ファントム(「怪人、幽霊」)と呼ばれるエリックが暗躍する物語です。エリックはクリスティーヌに恋する余り、彼女を誘拐して、ガルニエ宮地下の秘密の部屋に監禁して、自分を愛するように迫ります。しかし、クリスティーヌは、エリックが一心にパイプオルガンを弾いている最中、仮面を剝ぎ取ってしまいます。そこから表われた彼の醜い素顔は…。

ガストン・ルルーの原作は知りませんが、この映画のエリックはオペラ座のオルガニストだったという設定です。それで、このサイレント(無声)映画を上映して、パイプオルガンの即興演奏を入れたリサイタルが行なわれたりしているのです。

3.パスカルのオルガン

17世紀フランスの思想家、ブレーズ・パスカルは『パンセ』の中で、人間を「奇妙なオルガン」に譬えています。

「気まぐれ。――人は普通のオルガンを弾くつもりで、人間に接する。なるほど人間はオルガンではあるが、奇妙な、変わりやすい、移り気なオルガンである。そのパイプは音階の順に並んでいない。普通のオルガンしか弾けない人は、この諧音では音を出すことができない。鍵盤がどこにあるかを知らなければならない。」(松浪信三郎訳、河出書房新社)。

最後の「鍵盤/touches」という語は、草稿に欠落して居り、多くの版本がこれを採用していますが、全く確定していません。パスカル自身、モンテーニュの『随想録』に触発されているらしいのですが、『随想録』には、以下の如き同趣旨の発言があります。曰く「1つのペダル(marche)を踏んだ者は、すべてに触れたも同然である。それは極めて協和的な音の調和であり、決して調子外れになることがない」。従って「鍵盤」ではなく「ペダル/marche」という語を補う本も出て来ています。

突然に「なるほど人間はオルガンであるが…」等と言われても、私たちは狐に摘まれたような気分に成りますが、以前にも申し上げた通り、「オルガン」のラテン語「organum/オルガヌム」とは「道具、楽器」であり、「器官、臓器」の意味にも派生しているのです。ですから「なるほど人間はオルガン」なのです。

「気まぐれ」という訳語も「一定しない事」とする訳者もいます。人間というものは難しい。人間付き合いは難しい。人に接してみると、人によって反応もまちまちで、その日の機嫌や健康状態、天候や気候によっても変わり易く、安定していないのです。だから、この人間というオルガンでは和音を奏でられない。そのようにパスカルは言っているようです。

牧師 朝日研一朗

【2018年1月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など