2018年01月16日

1月第3主日礼拝

       1月21日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 豊かに暮らす道=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  フィリピの信徒への手紙 4章10〜14節(p.366)
讃 美 歌  27、191、490、485、536、25
交読詩編  詩編72編1〜7節(p.81)

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2018年01月15日

祈りがあなたを解き放つ【マタイ6:5〜15】

聖句「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。」(6:5)

1.《ギリシア劇》 古代ギリシア演劇と言われても、私たちにとって馴染み深いものではありません。しかし、オーケストラ、シアター、シーン、コーラス、コメディ、トラジディ、パントマイム、ソックス等、ギリシア演劇に由来する用語は今も生きています。イエスさまの仰る「偽善者/ヒュポクリテース」もギリシア演劇の「役者」を意味する語です。仮面を被って所作をするのです。

2.《偽善者仮面》 古代ギリシア演劇では、舞台に立つ役者は二、三人に限定されていましたから、交替で仮面を取り替えながら演じました。役柄の性別や年齢や地位に合わせて仮面(プロソーポン)を被ったのです。この仮面をラテン語では「ペルソナ」と言います。『シン・ゴジラ』のゴジラの動きを演じたのは、狂言師の野村萬斎です。樋口真嗣監督によると、野村がお面を被った瞬間に「もう人では無くなっていた」そうです。同じく、仮面を被ることで、その役柄が役者に憑依するのです。聖書の「偽善者/役者」は、この社会の役割や立場、人の評価や自意識によって、素面の自分を見失ってしまった人たちのことです。

3.《解放の祈り》 現代においては、このイエスさまの御言葉は浅薄な「偽善者批判」の道具としてではなく、自己吟味のために読むべきです。私たちは、神さまの望まれる生き方をしているでしょうか。マザー・テレサが「解放」という祈りを残してくれました。愛され、評価され、認められたいという思い、見下されたり忘れられたり非難中傷されたりする恐れからの解放を祈ると共に、人間的な弱さを正直に告白しています。イエスさまは「役者じゃないんだから、仮面を被ったまま、お祈りしちゃダメだよ」と教えて下さっているのです。祈る時、人に向かって祈るのではなく、心を神さまに向けているでしょうか。

朝日研一朗牧師

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2018年01月09日

1月第2主日礼拝

       1月14日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 祈りがあなたを解き放つ音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 6章5〜15節(p.9)
讃 美 歌  27、191、490、136、204、25
交読詩編  詩編72編1〜7節(p.81)

・青空カフェ      礼拝後        バルコニー

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2018年01月08日

折が良くても悪くても【Uテモテ4:1〜5】

聖句「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。」(4:2)

1.《牧師館殺人事件》 アガサ・クリスティの「ミス・マープル物」第1作ですが、この推理小説の御蔭で、牧師は中世ヨーロッパの荘園領主のような屋敷に住んでいるかのような印象を与えてしまいました。日本の牧師の住まいの現実は「牧師宿舎」と呼ぶのが相応しいと思います。因みに『牧師館殺人事件』の翻訳者の1人には、牧師の子として生まれ育った中村妙子も居られます。

2.《都合の良し悪し》 所謂「牧師館」に訪ねて来られる人の中には、所用の会員や教友のみならず、飛び込みの相談者もあります。牧師も生活者ですから、都合の悪い時もあります。その時、脳裏を掠めるのは「どんな場合にも」「良き音ずれをもたらす者」として「自分の務めを果たしなさい」と勧める、この聖書の段落です。これまでは専ら、私の側の「都合の良し悪し」や「便不便」に関係なく「福音を宣べ伝えなさい」という内省的な勧めとして語られて来ましたが、それは余りに限定的ではないでしょうか。「折」と訳された「カイロス/時」は、量的な時間(クロノス)ではなく、神が与えられるチャンスです。

3.《時代と共にある》 時計の針が文字盤に刻む時ではなく、私たちの魂に刻まれた時なのです。故に永遠と繋がる「霊的な時間」でもあるのです。但し、聖書の神は、人間の歴史に生きて働かれます。この時代と無関係ではありません。私たちが生きる時代も、神からチャレンジとして与えられたものです。「御言葉」はキリスト・イエス、「励みなさい」は「傍らに立つ、先頭に立つ、歩み寄る」です。悩む人の側に立つ主の御姿、時代の先頭に立ち、時代状況に歩み寄るのです。勿論、時流に上手く乗るとか、時代に迎合するとかの意味ではありません。時に誤りを指摘したり、時に慰め励ます。これが私たちの役割です。

朝日研一朗牧師

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2018年01月02日

1月第1主日礼拝(2018年新年礼拝)

       1月 7日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 折が良くても悪くても=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  テモテの手紙U 4章1〜 5節(p.394)
讃 美 歌  27、191、490、564、461、71、25
交読詩編  詩編72編1〜7節(p.81)

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2018年01月01日

向こう岸に渡ろう【マルコ4:35〜41】

聖句「その日の夕方になって、イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。」(4:35)

1.《降誕節の主日》 本日が正真正銘の「クリスマスの主日礼拝」です。プロテスタント教会では何よりも「主日礼拝」を重んじるので、ローマカトリック教会が12月24日から25日にかけて、徹夜のミサをするような習慣がありません。「特定の日」を重んじるのではなく、毎日を神さまからのプレゼントとして感謝して受け、その上で、週に一度、日曜日を主に奉げているのです。

2.《冬至は年越し》 3世紀初め、アレキサンドリアのクレメンスが、キリスト降誕日を5月20日と推測した記録が最古の記録です。4世紀初めには、キリスト教が公認されたローマを中心にして、12月25日のクリスマスが祝われるようになりました。ミトラ教の太陽神の誕生日、農耕神サトゥルナリア祭、豊穣の女神フレイアに犠牲を奉げる北欧のユール等の信仰や風習が流れ込んでいます。クリスマスは文字通りクリスチャンだけのものではないのです。中国の二十四節気では、冬至は陰気から陽気に転ずる変わり目です。季節の変化、年の変わり目に、皆で集まり、姿勢を正して、神に感謝を奉げるのです。

3.《私の向こう岸》 イエスさまは事も無げに「向こう岸に渡ろう」と仰いますが、弟子たちにとっては「向こう岸/ペラーン」は「限界、境界、果て/ペラス」を意味しました。荒れ狂う湖は、弟子たちの不安な心中そのものです。実際、向こう岸は、豚を食べるギリシア人の植民都市、ゲラサ人の地方で、墓から悪霊に取り憑かれた人も出て来ます。住井すゑの『橋のない川』の「川向こう」です。差別する者とされる者との間に広く深い川が横たわっているのです。イエスさまは、そこに橋を架けよう、そこと舟で行き来しようとされるのです。決して楽なことではありません。でも、古い自分を脱ぎ捨てて、自分が引いた境界線を乗り越えるのです。私たちの舟には、主が共に居られるのです。

朝日研一朗牧師

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