2018年02月20日

2月第4主日礼拝(レント第2主日)

       2月25日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 実らない無花果(イチジク)=@  朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 13章6〜9節(p.134)
讃 美 歌  27、162、490、291、313、26
交読詩編  詩編70編1〜6節(p.79)

讃美歌練習(3月の月歌:131番)  礼拝後    礼拝堂


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2018年02月19日

レント(受難節)に入りました

2月14日(水)からレント(受難節)に入りました。 2月18日(日)から消火礼拝を行っています。

レント(受難節)

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2018年02月13日

2月第3主日礼拝(レント第1主日)

       2月18日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 みんな笑った=@音楽        朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 13章31〜35節(p.195)
讃 美 歌  27、162、490、480、306、26
交読詩編  詩編70編1〜6節(p.79)

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2018年02月12日

始末の極意【マタイ27:3〜10】

聖句「…イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨30枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして…。」(27:3)

1.《節約の名人》 上方落語に「始末の極意」という噺があります。中でも「ケチと鰻屋」と呼ばれる話が傑作です。鰻屋の隣に暮らす節約名人が蒲焼きの匂いをオカズにして御飯を食べていました。それを知った鰻屋は「匂いも客寄せに使っている売り物」と名人に代金を催促します。名人は財布を取り出して、鰻屋の前で銭を落として「嗅ぎ賃やさかい、音だけでよろしかろ」と応じるのです。

2.《ユダの汚名》 イスカリオテのユダの汚名は「裏切り者」と「守銭奴」です。「ヨハネによる福音書」12章「ベタニアで香油を注がれる」の挿話と解説によって、ユダが「金入れ」を預かっていながら使い込みをしていたとされるのです。しかし、彼が会計を託されていたのは彼の有能さの証明であり、彼が横領していたと言われても、イエスさま一行に潤沢な資金が集約されていたとも思われません。「マルコによる福音書」6章「5千人に食べ物を与える」の挿話では、一行の資金では群集の食費を賄い切れない様子です。ユダの預かっていた「金入れ/グローソッコモン」も「貯金箱」「小箱」のような物だったのです。

3.《問題の共有》 ユダは「裏切りの報酬」銀貨30枚も突き返しています。彼が投げ捨てた銀貨を運用して、祭司長たちが「ヒノムの谷/ゲー・ヒンノム」に土地を買ったというのは「汚いユダは地獄(ゲヘナ)行き」という暗示です。ユダが自殺をした副作用で、教会では長い間、自死を罪悪とし、自死者とその遺族に対して冷酷な仕打ちを続けて来ました。日本社会でも自死はタブー視されています。しかし、ユダは悔い改めて罪の告白をしているのです。イエスさまがお救いにならないはずはありません。むしろ、悩み苦しむ者を「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と突き放す、私たちこそが問題です。

朝日研一朗牧師

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2018年02月06日

2月第2主日礼拝(信教の自由を守る日)

       2月11日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 始末の極意=@音楽         朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 27章3〜10節(p.56)
讃 美 歌  27、162、490、291、137、26
交読詩編  詩編70編1〜6節(p.79)


・・・当日の音声録音を聴く
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2018年02月05日

聖なる者となりなさい【レビ19:1〜18】

聖句「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である」(19:2)

1.《聖☆おにいさん》 10年以上も連載が続く中村光のギャグマンガです。ブッダとイエスがバカンスとして立川の安アパートでルームシェアをしているという設定です。二人は「聖人」を名字と勘違いした大家から「聖さん」と呼ばれています。淡々とした若者の日常生活が描かれ、そのリアルな生活感と宗教ネタのギャグとが、絶妙のバランスを生み出しているのが人気の秘密でしょう。

2.《聖とされたもの》 「聖」とは何でしょうか。私たちの身の周りにある「聖」と称されるものに思いを巡らしてみましょう。「聖書」「聖歌隊」「聖日」「聖餐式」「聖霊」…。そんなに多くはありません。プロテスタントでも、特に「聖潔」を重んじる教派、「聖会」をする福音派の教会もあります。しかし、圧倒的に「聖」が多いのは、やはりローマカトリック教会です。「聖人」「列聖」「守護聖人」「聖地」「聖家族」「聖母」「聖水」「聖職」「聖務日課」「聖省」「聖劇」「聖週」「聖婚」「聖十字架」「聖堂」…。さて、聖書は、教会の共同体を「聖徒、聖なる者」と呼んでいますが、それは本来どのような意味だったのでしょうか。

3.《日常生活の中に》 「使徒信条」の中にも「聖なる公同の教会、聖徒の交わり」と告白されています。個々人が「聖なる人」ではありません。私たち自身は「聖人、義人」ではありません。その「交わり」、コミュニティが聖霊によって聖とされるのです。レビ記の「聖潔法典」を見ると、母父を敬うこと、礼拝や献金、社会的弱者への配慮、正しい司法、復讐の否定、愛の教えと続き、全て社会生活の中の教えであることは明らかです。毎日の暮らしがあり、暮らしを営む私たちがあり、そこに聖なる主が共に居られて、それで初めて「聖なる」が生きて来るのです。これこそが「聖なる共同体」の姿なのです。

朝日研一朗牧師

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教会学校2月お茶会で

教会学校2月のお茶会で、チョコレートフォンデュ&チーズフォンデュを作りました。

2月のお茶会
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