聖句「…イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨30枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして…。」(27:3)
1.《節約の名人》 上方落語に「始末の極意」という噺があります。中でも「ケチと鰻屋」と呼ばれる話が傑作です。鰻屋の隣に暮らす節約名人が蒲焼きの匂いをオカズにして御飯を食べていました。それを知った鰻屋は「匂いも客寄せに使っている売り物」と名人に代金を催促します。名人は財布を取り出して、鰻屋の前で銭を落として「嗅ぎ賃やさかい、音だけでよろしかろ」と応じるのです。
2.《ユダの汚名》 イスカリオテのユダの汚名は「裏切り者」と「守銭奴」です。「ヨハネによる福音書」12章「ベタニアで香油を注がれる」の挿話と解説によって、ユダが「金入れ」を預かっていながら使い込みをしていたとされるのです。しかし、彼が会計を託されていたのは彼の有能さの証明であり、彼が横領していたと言われても、イエスさま一行に潤沢な資金が集約されていたとも思われません。「マルコによる福音書」6章「5千人に食べ物を与える」の挿話では、一行の資金では群集の食費を賄い切れない様子です。ユダの預かっていた「金入れ/グローソッコモン」も「貯金箱」「小箱」のような物だったのです。
3.《問題の共有》 ユダは「裏切りの報酬」銀貨30枚も突き返しています。彼が投げ捨てた銀貨を運用して、祭司長たちが「ヒノムの谷/ゲー・ヒンノム」に土地を買ったというのは「汚いユダは地獄(ゲヘナ)行き」という暗示です。ユダが自殺をした副作用で、教会では長い間、自死を罪悪とし、自死者とその遺族に対して冷酷な仕打ちを続けて来ました。日本社会でも自死はタブー視されています。しかし、ユダは悔い改めて罪の告白をしているのです。イエスさまがお救いにならないはずはありません。むしろ、悩み苦しむ者を「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と突き放す、私たちこそが問題です。
朝日研一朗牧師