2018年04月29日

味覚が変わる面白さ

1.果実酒の味

ある若者の話です。彼は何事に対しても渇きを感じていました。金にも女にも、世の中に対しても渇いていました。ある日、森の中を通り過ぎようとすると、彼を呼び止める声がありました。それは、毒々しく赤く色付いた果実を、その枝という枝に湛えた大きな果樹でした。果実の重みに苦しむ樹は若者に言いました。「ねぇ、あんた、私を食べて」。

若者は躊躇しました。これだけ沢山の実を結んでいるというのに、人が果実を取り入れたり、野の鳥が啄ばんだ様子もありません。しかし、樹は改めて呼び掛けます。「遠慮しなくていいからさ。さあ、食べてみて」。若者は渇きを覚えていたので、思い切って果実に手を伸ばし、口に含んでみました。果実は苦く、思わず若者は吐き出して文句を言いました。「折角だけど、こんな物は食べられないよ」。樹は笑いました。「何だ、未だ熟していないんだわ、きっと」「じゃあ、持ってお帰りなさい。そして瓶に詰めて、アルコールにでも浸して置きなさい。何年かしたら、きっと、あんたの舌に合うお酒に成るわよ」。彼は言われた通りにして、棚の奥に瓶を仕舞いました。

その後、若者は御多分に漏れず、知らなかった世界を少しずつ味わいました。時には失望したり、嫌悪を感じたりもしましたが、そんな事にも慣れっこに成りました。結婚をして、人の親にも成りました。ある日、彼は棚の奥に仕舞い込んだまま忘れていた果実酒の瓶を見付けました。「どう成ったろう」「もう飲んでも良いのだろうか」。

グラスに注いだ酒を恐る恐る飲んでみると、意外なことに、とても甘かったのです。彼はその不思議な感覚のギャップに酔いました。「あんなに強い香りだった酒が、こんなに甘く溶けている」。そうしてみると、今度は反対に、あの時に感じた苦さが、何か、もう手の届かない懐かしい痛みのように甦って来るのでした。

2.失われた味

それから更に、また何年か過ぎたある日、今やすっかり成長した息子が、赤く色付いた果実を両手に抱えて帰って来ました。それを見て、今やすっかり年齢を重ねて、若者ではなくなった父親が尋ねました。「お前、その果実をどこで手に入れたんだ」。若者は応えました。「貰ったんだよ。今は食べられないから果実酒にしろってね」。

父親はその答えに目を輝かせて言いました。「それだ!」「その実だ!」「お父さんにその果実を1つくれないかね?」。若者は躊躇しました。「だって、苦くて食えたものじゃないよ」。父親は益々、目を輝かせて言いました。「知ってるよ」「お父さんは、それが欲しいんだ。そいつを酒にした物がここにある。お前には、こっちの方が甘くて、口に合うだろう。飲んでみてごらん」。

若者は果実酒を一口含んで顔をしかめました。「苦い」「どっちも同じ味だよ」。…「そんなはずはない。その酒は…」、そう言いながら、父親は息子の持って帰って来た果実を手に取りました。果実を食べてみると、やはり甘かったのです。昔はあんなに痛い程に苦く感じたのに…。彼はそこで初めて気付いたのです。月日が変えていたのは、果実の味ではなく、彼自身の方だったのだと…。

これは、高橋葉介の短編集にあったマンガです。内容はメモに書き留めてあったので、辛うじてお伝えすることが出来ましたが、原本は古本屋行きと成って久しく、どうしても題名が思い出せません。しかし、残酷な味わいの幕切れで、とても印象に残っています。私自身、二十歳の頃に読んだのですが、今や物語の通りに、盛りを過ぎた父親の立場に成っています。今改めて、物語の展開を復誦してみると、加齢による「味覚障害」のこと等も思われて、単なるアナロジーに終わらぬリアリティも感じます。

3.味覚の変化

少年時代に観た映画、見逃していた映画をBS録画して観ているのですが、何より自分の感覚の変化に驚いています。フランコ・ネロ主演のマカロニ西部劇『真昼の用心棒』(Tempo di Massacro)〔1966年〕は、ドスの利いた主題歌が有名な作品で、期待して観てみたら大変な肩透かしでした。ところが、同じフランコ・ネロ主演のマカロニでも、『ガンマン大連合』(Vamos a Matar,Compañeros)〔1970年〕には痺れました。マカロニ終焉期の作品なのですが、今一番この時代に(いや、自分自身に)足りない野蛮なエネルギーに満ち溢れているように感じました。

試しに『ドクトル・ジバゴ』(Doctor Zhivago)〔1966年〕を久しぶりに観てみたら、明らかに自分の感覚が変わっていることに気付きました。子どもの頃に観て印象に残っているのは、第一次大戦の敗残兵の場面とか、パルチザンと白衛軍との戦闘場面とか、優しい苦学生から恐怖の殺戮者に変貌するストレルニコフとかだったのです。ところが、今に成って心魅かれるのは、ラーラとトーニャの間で揺れ動く、中年医師ユーリのモジモジぶりだったりするのです。やはり、中年にしか中年男の気持ちは分かりません。

長く見逃したままだった『王になろうとした男』(The Man Who Would Be King)〔1975年〕は、この年齢に成ってから観て良かったと思いました。こちらも、中年に差し掛かった英国の退役軍人2人が、欧米人の未踏の地「カリフスタン」(アフガニスタンの奥地か)に乗り込んで、対立する部族を統一して王国を立てようとする話です。野望を実現したと思われた矢先に、全て水泡に帰するのですが、この苦み走った後悔に満ちた幕切れは、公開当時に観ていても理解できなかったでしょう。

年齢を重ねると共に、味わいが変わります。映画だけの話ではなくて、小説も美術も、お酒も、聖書も味わいが変わるのです。勿論、変わったのは私たち自身の方なのです。

牧師 朝日研一朗

【2018年5月の月報より】

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