2018年05月29日

6月第1主日礼拝

       6月 3日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 祈りはシンフォニー=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 18章18〜20節(p.35)
讃 美 歌  27、316、490、500、101、77、89
交読詩編  詩編32編1〜7節(p.37)

・みんなで会堂掃除    礼拝後     会堂・階下ホール
・青空カフェ       礼拝後     玄関バルコニー

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年05月28日

訪れを待ちながら【ヤコブ5:7〜20】

聖句「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。」(5:13)

1.《現場を大切に》 バラエティ番組で「料理が出て来るのが速い店」ランキングをしていました。その背景に政府や企業が推進する「働き方改革」「時間短縮」があると知ってゲンナリしました。「上」から命じられることは、実際には待遇改善に結び付きません。却って「改悪」「害悪」に成る場合が多いのです。どの業種にせよ、真の改革は「現場」から始まるのです。

2.《コンテキスト》 聖書の諸文書にも各々の「現場」があるのです。イエスさまの御言葉の受け止め方が、福音書によって異なるのも、パウロの手紙の内容が宛て先によって異なるのも、現場である教会が異なり、抱えている課題が違うからです。それを「コンテキスト/文脈」と言います。単なる文章の前後関係のことではなく、文書が書かれた時代背景や状況、そこに生きた人たちの信仰を丁寧に解きほぐして吟味するのです。そのためには、私たちもまた、常に自らの「現場」から考え、発言して行くことが求められているのです。

3.《教会に留まる》 「忍耐」は「マクロス/大きい」と「テュミア/心」で「寛大な心」です。「気長に、根気強く待つ」ことです。苦難の時の「忍耐」には「ヒュポメノー/生き永らえる、持ちこたえる」が使われています。恙無く過ごす平穏な日々も、苦難に見舞われ悩む日々も、大切なのは祈りと賛美です。苦しい時に神に祈るのは当たり前ですが、上手く行っている時にも、その喜びを神への賛美に向けるのです。共に賛美する時、そこには悩み苦しむ人もいて、それは1つに溶け合って、嘘偽りのない真の賛美へと昇華されるのです。教会生活こそは私たちの「現場」、人生の「場面」、私の「所在地」なのです。

朝日研一朗牧師

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2018年05月22日

5月第4主日礼拝(三位一体主日)

       5月27日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 訪れを待ちながら=@音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  ヤコブの手紙 5章7〜20節(p.426)
讃 美 歌  27、129、490、15、430、88
交読詩編  詩編15編1〜5b節(p.19)

・讃美歌練習(6月の月歌:316番)  礼拝後    礼拝堂

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2018年05月21日

祈りが勇気を呼び覚ます【使徒言行録4:23〜31】

聖句「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」(4:29)

1.《出る杭は》 アンドレ・レノレ神父は「労働司祭」として、川崎の建設現場で働き、仲間と共に「貸工」の労組を結成しました。彼の『出る杭はうたれる』は25年前の著書ですが、日本社会が個々人を大切にせず、個性や主体性を圧殺する全体主義的傾向(権力構造)が余り変わっていないことを思わされます。しかし、その中にあっても、声を上げる人たちは確実に増えているのです。

2.《仲間の所》 聖霊降臨と言うと、2章ばかりが採り上げられ、「激しい風」や「炎の舌」等の表面的な描写に囚われがちです。「多言語」か「異言」かの解釈の対立もあります。けれども、大切なのは使信(メッセージ内容)です。4章にも「新しい聖霊降臨」と呼ばれる場面があるのです。神殿の境内で、キリストの死と復活を宣べ伝えた廉で、ペトロとヨハネは逮捕され、最高法院の議員たちの前で証を立てるのです。九死に一生を得て釈放された二人は「仲間のところ」へ戻って来ます。仲間と言っても数人、10人弱に過ぎません。

《大胆不敵》 その仲間たちが「心を一つにし、神に向かって声を上げて」祈った時、聖霊降臨の出来事が起こったのです。「心を一つに」は「命を合わせる」ことです。しかも、彼らは神の助けではなく、大胆に御言葉を語るための勇気を祈り求めたのです。我が身可愛さに主を裏切り見捨てた弟子たちが、自らの弱さと罪、主の赦しの力の大きなことを体験したればこその祈りです。「大胆に」とは「言論・行動の自由、確信をもって」の意味です。自由意志の奪われた「迷信・妄信」ではありません。「大胆不敵」と言いますが、私たちも少数者ながら、誰をも敵とせず、勇気と確信をもって「声を上げ」たいものです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:27 | 毎週の講壇から

2018年05月15日

ペンテコステ(聖霊降臨日)日礼拝

       5月20日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 祈りが勇気を呼び覚ます=@音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  使徒言行録 4章23〜31節(p.220)
讃 美 歌  27、129、490、344、345、76、88
交読詩編  詩編15編1〜5b節(p.19)

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posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年05月14日

海の星【出エジプト記15:19〜21】

聖句「アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。」(15:20)

1.《海星と暁星》 カトリック教会では「聖母マリア」に「海の星」「暁の星」という称号を冠しています。学校の「海星」「暁星」もマリア会の設立です。航海技術の発達していない時代、夜に海上を行く人たちは北極星と金星を頼りにしていたのです。そこから、人生行路を渡る時に、明らかに道を示してくれるのが「海の星」なる「聖母マリア」であるとの信仰が生まれたのでしょう。

2.《海の雫から》 カトリックの国に行くと、海辺や岬に聖母マリアの像や教会が建立されています。聖母賛歌には「めでたし海の星」と歌われています。マリア、即ちミリアムの名前の意味を「海の星」と言ったのは、「ウルガタ聖書」の翻訳で知られるヒエロニムスとされています。しかし、ヒエロニムス自身は「海の雫」としていたらしい。実は、写本で「海の雫」が「海の星」と誤記されてしまったのです。その後、ローマ教会は現世権力と結び付き、「マリア崇敬」を推し進め、遂にマリアは「天の元后」とされ、王冠に星を輝かせる図像で描かれるように成ってしまったのです。誤記も意図的なものだったのかも知れません。

3.《大海の一滴》 マリアの原型であるミリアムは、「葦の海」の奇跡が起こった時、主を賛美する「海の歌」を踊り歌いました。「デボラの歌」と並んで、旧約聖書最古の詩文とされています。文字が出来て文書化され編集される遥か以前から、何百年も口伝として、親から子へ子から孫へと歌い継がれていたのです。聖書の御言葉は、私たちが「海の雫」の一滴を取り出して吟味する時、「海の星」として輝きを放つのです。ミリアムは「水」と結び付いた存在です。彼女が死んだ時、忽ち民は枯渇するのです。因みに、現代では「ミリアム」の名前は、古代エジプト語の「愛」から来ているというのが定説です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:53 | 毎週の講壇から

2018年05月13日

行人坂教会の絵

当教会の絵を笛田正之さん(聖学院教会会員)が描いてくださいました。

行人坂教会の絵
posted by 行人坂教会 at 22:57 | 教会アルバム

2018年05月08日

5月第2主日礼拝(母の日)

       5月13日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 海の星=@音楽           朝日研一朗牧師
聖  書  出エジプト記 15章19〜21節(p.118)
讃 美 歌  27、129、490、187、318、88
交読詩編  詩編15編1〜5b節(p.19)

・青空カフェ      礼拝後      玄関バルコニー

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年05月07日

弱さが神の原動力【Uコリント 12:1〜10】

聖句「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。」(12:9)

1.《氷点と花束》 『氷点』で一世を風靡した三浦綾子は、24歳から13年間も結核で入院生活を送り、その後も「病気のデパート」と言われる程に沢山の持病を抱えながら執筆活動を続けました。パーキンソン病の薬のために、家の中に幻の花束が見えるようになったそうです。副作用の幻覚や妄想に悩まされる患者が多い中、彼女は幻の花束の出現を心待ちにしていたそうです。

2.《アンゲロス》 パウロは何等かの病気か障碍に苦しんでいたようで、それを「棘」「私を打つサタンの使い」と表現しています。シュヴァイツァーは「癲癇の発作」ではないかと言います。当時は原因も分からず、悪霊憑きとされていました。しかし、そんな状態のパウロを使徒として、ガラテヤの人たちは迎え入れ、福音を受け入れたのです(ガラテヤの信徒への手紙4章13〜14節)。「サタンの使い」に苦しむパウロを、不思議なことに、ガラテヤの人たちは「神の使いであるかのように」受け入れたのでした。「使い」は「アンゲロス/天使」です。自分の中に闇を抱えている方が福音は光り輝くのかも知れません。

3.《神の力の種》 物質的な豊かさが実現された現代、何もかも全て揃って、整えられて生まれて来ることが当たり前のことだと、多くの人が錯覚しています。病気や障碍、挫折や弱さを恥ずかしいことと考えて隠そうとする人もいます。しかし、神の光を当てて透かして見たら別のことが見えて来ます。パウロは自らの弱さを通して神の力の働くことを実際に経験したのです。神の力は人の弱さの中で実現する、成し遂げられるのです。私たちが自らの力量に自信を持っている時には、神の力の「種」が蒔かれていることに気付きません。自らの弱さ、無力さと向かい合わざるを得なくなった時、それは発芽するのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:53 | 毎週の講壇から

2018年05月01日

5月第1主日礼拝

       5月 6日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 弱さが神の原動力=@音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  コリントの信徒への手紙U 12章1〜10節(p.339)
讃 美 歌  27、129、490、217、451、75、88
交読詩編  詩編15編1〜5b節(p.19)

・みんなで会堂掃除   礼拝後    礼拝堂・階下ホール

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