説 教 自由への招待=@

聖 書 ガラテヤの信徒への手紙 5章2〜15節(p.349)
讃 美 歌 27、121、490、226、418、78、89
交読詩編 詩編52編1〜11節(p.61)
・青空カフェ 礼拝後 玄関バルコニー
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標語 『主イエスの道を歩こう』
わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
(ヨハネによる福音書14章6節)
聖句「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。」(17:21)
1.《教会遍歴の星》 私にも各教派の諸教会を巡った教会遍歴の時代がありました。毎週日曜日にあちこちの教会の礼拝に参加して、自分らしさを認めて、受け入れて貰える教会を探しました。当時の私には、喫煙が許されることが最低限の条件でした。こうして日本基督教団の中でも、自由と平等と友愛を旨とする「組合教会」の伝統を汲む教会が残ったのでした。
2.《日本基督教団》 1941年6月24日に30余のプロテスタントの諸教派が合同して成立しました。戦時体制において、国家が宗教団体を管理統制するために合同させられたのです。宗教団体版「大政翼賛会」なのです。敗戦による戦時体制崩壊によって、多くの教派が出て行ったのも当然です。しかし、留まった教会が戦後の「教団」なのです。幕末明治に宣教師がもたらした諸教派の分立は、日本人には理解不能です。ルター派は「国教であること」を、カルヴァン派は「全体教会としての信仰告白」を、会衆派は「フェローシップ/共同体、信仰の交わり」の自主独立を重んじているのです。
3.《一つにする愛》 受難の前夜、イエスさまは十字架の死の後も、御自分が弟子たちと共にあること、弟子たちの内にあることを神に願われました。その祈りが聞かれて復活と聖霊降臨があります。それだけではなく、弟子たちの宣教を通して「世/コスモス」がイエスと共にあること、「世の中」にイエスが留まることをも祈られたのです。それは「神の愛」がイエス・キリストを通して、宣教を通して「世の中」に定着することです。日本のキリスト教人口は1%以下に過ぎませんが、今や多くの人が愛の価値を認め、愛する者との天国での再会を口にします。人と人とを結び、1つにして、神に繋ぐのは愛だけです。
朝日研一朗牧師
1.日曜は鶏料理
「毎週日曜日、私らはチキンを食べて/牧師さんは巡回する。/毎週日曜の朝には、父さんが私ら皆を街に連れてってくれる。/私らは映画に行ったり、野原のピクニックに行ったりするんだ。/ああ、これぞ庶民/そんな私に大満足」。
「日曜は鶏料理」(Chicken Every Sunday)という歌の一節です。米国のカントリー・ミュージックのシンガーソングライター、ドリー・パートン(Dolly Parton)の7枚目のソロ・スタジオ・アルバム「ジョシュア/Joshua」(1971年)の中の1曲です。
私は「牧師さん」と訳してみましたが、原詩では「the preacher/説教師」です。ドリーの祖父はペンテコステ派(チャーチ・オブ・ゴッド)の牧師であり、彼女自身も6歳から会衆の前で賛美の先唱者を務め、7〜8歳からはギターを手に讃美歌を独唱していたそうです。ペンテコステ派の教会では、牧師は何より「語り」のパフォーマンスを披露する「説教師/preacher」なのです。
「庶民」と訳した語も、原詩では「the lower class/下層階級」です。ドリーが生まれ育ったのは、テネシー州の田舎の村「グレート・スモーキー・マウンテン」で、そこはペンテコステ派の信徒が数多く居住する地域でした。父親は農業労働者と建設作業員を兼業し、ドリーには11人も兄弟姉妹がいて(文字通り「貧乏人の子沢山」!)、一家14人は一部屋しかない掘っ立て小屋(cabin)に身を寄せ合って暮らしていたそうです。
「日曜は鶏料理/chicken every sunday」は、貧しい庶民の御馳走の事です。貧しいながらも、主の復活を祝う日曜日だからと奮発して、御馳走のチキンを食べるのです。ジョージ・シートン監督(『三十四丁目の奇蹟』)の映画にも、同タイトルの『日曜は鶏料理』(1949年)という人情喜劇があったことが思い出されます。こちらは、ヤマッ気が多いくせに、お人好しの夫が、何かと借金を作って来るので、家政の遣り繰りに苦労する主婦の話です。
2.聖日厳守主義
牧師としての最大の苦悩は、日曜日の礼拝に信徒が集まらないことです。年々、礼拝に集う信徒の数が減って行くというのに、それに対する策が1つしか思い当たらないことです。しかも、その策は、リベラル(自由主義的)な立場を採る教会にとっては、既に「禁じ手」とされてしまっている事柄なのです。
それは「聖日厳守主義」とか「安息日主義」と呼ばれるものです。英語で「サバタリアニズム/Sabbatarianism」と言います。日曜日を、あたかもユダヤ教の「安息日/Sabbath」であるかのように、特に聖別された日として、厳守を強制するのです。
キリスト教において、日曜日を「新しき契約の日」「新しき創造の日」「聖霊による約束の成就の日」と説いたのは、セビリアの大主教イシドルス(Isidorus/560〜636)が嚆矢とされます。以来、「主の日/ドミニカ/Dominica」は、ユダヤ教の安息日との類比で取り上げられることが多くなり、中世末期には、厳格な就業禁止令が敷かれることとなります。
「聖日厳守主義」は、聖書主義を掲げるプロテスタント諸教派にも受け継がれます。例えば、ジャン・カルヴァン(Jean Calvin/1509〜64)が神権政治を確立したジュネーヴでは、市民には日曜日と水曜日に教会に行く義務が課せられていました。誰か義務を怠っている者はいないかと、警察官が街路、店、家庭を巡回しました。彼らは市民を尋問し、カルヴァンの信仰に反すると判断された人は処罰され、投獄されたのです。
英国においても、ニコラス・バウンド(Nicholas Bownde/〜1613)が、1595年に『安息日の真の教説』という著書の中で、日曜日にピューリタンが集会を行なう権利と義務を主張しました。それを汲んで、ピューリタン革命後には、繰り返し日曜厳守の法的裏付けが議論されました。遂に1718年には「主日遵守に関する法令/Lord’s Day Observance Act」が議会を通過し、日曜日には遊技場が閉鎖(スポーツ禁止)されることになりました。
スコットランドでも、17世紀には「聖日厳守主義」が影響力を強め、日曜日には宗教書以外には手を触れないとか、世俗音楽の演奏と鑑賞を控えるという習慣があったそうです。
3.悲しい日曜日
日本の教会でも、戦前からの信徒が「日曜日」を「聖日」と呼ぶことが多いのは、背景に「聖日厳守主義」があります。「十戒」の「安息日を憶(おぼ)えて、これを聖潔(きよく)すべし」と教えられたことを忠実に守って居られるのです。一昔前には、信徒の戸主は家族を引き連れて、礼拝に出席するのが当たり前でした。妻も子も入信するのが当然でした。教会生活や信仰が、ある種の強制力を持っていたのです。
20世紀末からは、律法主義的に礼拝出席を強制する「聖日」ではなく、「喜びの日、光の日、慰めの日、憩いの日」(「讃美歌21」204番)である「主日」を、多くの牧師たちは呼び掛けて来ました。私自身もその一人です。礼拝への主体的参加(自由意志による出席)が期待されていたのです。しかし、残念ながら、このような自由主義的な風潮は、強制力の無さ故に、結果的に礼拝出席者の減少と、リベラルな教会の衰退を招いています。個人主義、高齢化、人口減少なども相俟って、この傾向には歯止めが掛かりません。
従って、今後のキリスト教界全体の趨勢としては、保守反動化して、再び「聖日厳守主義」が主流に成ることでしょう。組織としての生存本能から言って、そのように成らざるを得ないかと思います。「日曜日に礼拝に集わなければ祝福されない」のです。裏を返せば「日曜日に礼拝に集わない者は呪われる」のです。かつて、某牧師は信徒に「這ってでも来い!」と怒鳴って説教していました。また、そんな時代がやって来ます。
私が「礼拝に集って欲しい」と願うのは、そんな「悲しい日曜日」はイヤだからです。
牧師 朝日研一朗
【2018年7月の月報より】
聖句「ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」(4:8)
1.《岩波書店》 岩波書店の商標は「種まく人」です。創業者の岩波茂雄は長野県諏訪郡の農家の生まれで、苦学の末に書店を開いた人です。戦時下にも公然と軍部批判をする硬骨漢でした。青年時代に内村鑑三の影響も受けています。労働と質素と深い思索を重んじるが故に、ミレーの「種まく人」をモチーフにしたのです。勿論、ミレーの絵は「種を蒔く人」の譬えに由来しています。
2.《種は色々》 実は「マルコ福音書」の「種を蒔く人」の譬え話には「種/スペルマ」という語は出て来ません。「マタイ」「ルカ」の並行記事では「種は御言葉」との解説が添えられていますが、「マルコ」にはありません。あなたが蒔くものが、世に善を、人に幸せをもたらすなら、御言葉に囚われなくて良いのです。但し「種を蒔く人/スペイローン」という主体、「種を蒔く/スペイロー」という行為は明記されています。「種を蒔く」ことは「労働、業、働き」であり、そのために労苦するのは私たちです。1粒の「種」のように、小さく目立たないことでも、その思いは天高くに向けられているのです。
3.《種まく人》 イエスさまの譬え話は、芽を出さず、根を張れず、成長できずに枯れて行く種から始まります。農作業に付き纏う徒労感を、主は知って居られるのです。当時の農業技術では、1粒の麦の種から収穫される麦は多くて25粒でした。「30倍、60倍、百倍」は現実の農業ではあり得ないのです。しかし、成長させて下さるのは主なのです。オランダの画家、ゴッホも「種まく人」を描いています。「神の言葉を蒔く人になりたい」と、牧師を志しながら挫折した彼ですが、その絵は今も人の魂を打ちます。「我々の足が続く限り歩き続けよう。足が疲れても、苦難が大きくても、人生を進み続けよう」。
朝日研一朗牧師
10月の教会バザーの準備が始まりました。
今回の手作り会はステンシルをしました。 楽しいエコバッグがたくさん仕上がりました。
聖句「大麦のパン菓子のようにそれを食べなければならない。それを人々の目の前で人糞で焼きなさい。」(4:12)
1.《うんこドリル》 昨年「うんこ学習ドリル」という学習教材が出版されて、以来、爆発的に販売を伸ばしています。表紙や挿絵に「うんこ先生」というキャラクターが配されているだけではなく、その例文にも必ず「うんこ」が用いられているのです。子どもたちにとって「うんこ」は非常に愉快な存在なので、学習意欲の向上に繋がっているようです。
2.《巻き糞の誘惑》 しかし、どうして私たちは「うんこ」と言うと、とぐろを巻いたマーク、即ち「巻き糞」を連想するのでしょうか。誰も、あんな物は出したことがないはずです。実際、私の少年時代に『トイレット博士』というマンガが大人気で、小学校の男子は競い合って巻き糞を出そうと研鑽を重ねましたが、2巻き目を達成した者は誰一人いませんでした。私たち人間の腸の長さは7メートルしかありません。それに対して牛の腸は50メートルです。『Dr.スランプ』のアラレちゃんが手にする「うんちくん」は牛糞という設定なのです。
3.《うんこケーキ》 西アジアからアフリカに及ぶ地域では、牛糞に刻んだ麦藁を混ぜて、天日干し乾燥で「うんこケーキ/dung cakes」を作り、竃の燃料に利用します。紀元前589年、バビロンの軍勢によるエルサレム包囲を、エゼキエルは預言します。この未来を言葉によらず、奇妙なデモンストレーションによって預言するのです(象徴預言)。飲食物の欠乏、燃料の欠乏を「牛糞ではなく、人糞を焚き付けにして料理せよ」と主は命じられます。実演によるドリル(反復練習)です。私たちが毎週、礼拝を守っているのも、真の幸せを目指すため、人と神を愛するため、御もとに行くための「ドリル」なのです。
朝日研一朗牧師