2018年07月31日

8月第1主日礼拝(平和聖日)

       8月 5日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 正義は平和とキスをする音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  詩編 85編9〜14節(p.922)
讃 美 歌  27、372、490、558、499、79、25
交読詩編  詩編62編6〜13節(p.70)

・拡大青空カフェ     礼拝後〜随時       階下ホール
・CSくんせいデイキャンプ 礼拝後〜午後2時     階下ホール

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年07月30日

かいざる納税、返礼なし【マタイ22:15〜22】

聖句「すると、イエスは言われた。『では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。』」(22:21)

1.《消費税》 今や私たちは毎日のように税金を支払い続けながら暮らすようになりました。通称「消費税」、厳密には「付加価値税」です。日本政府は1989年に導入、3%、5%、8%と税率は段階的に引き上げられています。何に対して課税するか、税率は幾らか、時々の政治権力が恣意的に決定しています。正しく税金が使われているか、私たちは監視する責任があります。

2.《変な税》 ローマのヴェスパシアヌス帝は「おしっこ税」で財政健全化に努力しました。英国のジョン王は「臆病税」を諸侯に課したことが災いして「マグナ・カルタ」を押し付けられました。英国は「髭税」「窓税」「帽子税」等、変な税の宝庫ですが、財源確保のための試行錯誤の軌跡を見る思いです。日本でも江戸時代の「間口税」対策が「町屋造り」(鰻の寝床)の起源です。現代でも、肥満防止、健康対策のための「ポテトチップス税」「脂肪税」、少子化対策の「独身税」、「日曜税」「犬税」、温室効果ガス削減の「おなら税・ゲップ税」等、各国で奇妙な税金が制度化されたり、提案されたりしています。

3.《税負担》 「税金/ケーンソス」はラテン語起源です。「住民登録/ケーンスス」によって、ローマ帝国からユダヤの民は人頭税を徴収されていたのです。イエスさまを罠に掛けようと企んだ者たちが「税金を皇帝に払うべきか?」と尋ねました。彼らが持って来たデナリオン銀貨には皇帝の像と銘とが刻まれていました。そこで主は「皇帝のものは皇帝に」と仰ったのです。更に「神のものは神に」と言い添えられました。私たち人間の身心と魂には、神の像と御名、御言葉が刻まれているのです。献身は見返りを期待せずに行なうものです。全て神からお預かりしているものですから、感謝して献げるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:53 | 毎週の講壇から

2018年07月24日

7月第5主日礼拝

       7月29日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 かいざる納税、返礼なし音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 22章15〜22節(p.43)
讃 美 歌  27、121、490、559、522、24
交読詩編  詩編52編1〜11節(p.61)

・そーめん@ワークT    昼食後〜随時      階下ホール
 作業内容:草むしり、礼拝堂イス修繕、リベカ整理
 素麺を頂いた後、無理せずに休み休み、一緒に楽しくワークしましょう。

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年07月23日

一人の子を受け入れるなら【マルコ9:33〜37】

聖句「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」(9:37)

1.《岡山四聖》 「岡山四聖人」と言って、岡山県にゆかりの深い4名のキリスト者が今でも顕彰されています。「全ての人を愛する」をモットーに診療所や学校を設立したアリス・アダムス宣教師、児童の自立支援施設「家庭学校」を設立した留岡幸助、救世軍の山室軍平、そして孤児の救済に生涯を奉げた石井十次です。特に石井十次は「日本の社会福祉の父」と呼ばれています。

2.《石井十次》 石井十次は宮崎警察署に勤務していた時代に、遊郭に売られていた友人の妹と性交渉を重ねて、性病に罹患します。その治療を受けた病院の医師から聖書と医学への道を示されて岡山の医学校に進むのです。診療所で代診をしている時に、お遍路の女性から前原定一という8歳の少年を預けられたのが、孤児救済事業の始まりでした。将来、病気の子を救う医師を目指すのではなく、今目の前にいる孤児を救うという召命を受けたのです。医学校を退学した彼は、その後、濃尾地震の被災児童、日露戦争の孤児、東北冷害の離散農家の孤児などを引き取って保護するようになるのでした。

3.《一人の子》 イエスさまは「受け入れる/デコマイ」という動詞を4回も使っています。それは「受容のプロセス」を言っているように思われます。石井十次が前原定一と出会い、孤児救済の道を進んだのも、迷いや逡巡を経てのことです。私たちが他者、自らの人生、病気や障碍、老いや死など、思うようにならないものを受け入れる過程と重なります。イエスさまが引き取って抱き上げた子は「一人」ですが、その背後には大勢の「子供/パイディア」の存在があります。「一人の子供の手を取る」(引き取る/ラムバノー)ことから、何か新しいことが始まるのです。出会いこそが突破口なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:55 | 毎週の講壇から

2018年07月17日

7月第4主日礼拝

       7月22日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 一人の子を受け入れるなら音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  マルコによる福音書 9章33〜37節(p.79)
讃 美 歌  27、121、490、105、505、24
交読詩編  詩編52編1〜11節(p.61)

・讃美歌練習(8月の月歌:372番)   礼拝後   礼拝堂

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年07月16日

どっこい生きてる【Uコリント6:1〜10】

聖句「人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず…」(6:9)

1.《半分半分》 解剖学者の養老孟司は見ず知らずの学生から「もう死んだと思っていました」と言われて面食らったそうです。昔から「棺桶に片足を突っ込んでいる」と言いますが、自分から宣言すると超越的な響きがあります。ソチ五輪の後、記者会見で浅田真央が自身の進退を「ハーフハーフ」と答えました。「中途半端」と違い、「宙ぶらりん」は大変な緊張を強いられるのです。

2.《テレーマ》 タロットに「逆さ吊りの男」というカードがありますが、ウェイト版では、T字型十字架に吊るされた男に後光が差しています。罪人ではなく聖人なのです。その意味は「テレーマ/汝の意志するところを行なえ」と言われています。スランプに喘ぐアスリートや芸術家を励ます言葉にも思われますが、本来は、聖書のギリシア語「御心」です。「御心の天に成る如く」の「御心」、「私の願いではなく、御心が行なわれますように」の「御心」です。ゲツセマネでは、神の独り子ですら「御心」が分からずに苦しみ祈られたのです。御心は自明ではなく「心を新たにして自分を変えて頂く」ことが前提なのです。

3.《どすこい》 パウロは自分たちが出遭った幾多のトラブルを挙げると共に、それに対して、如何なる態度で向き合って来たかを語ります。そのトラブルには「抑圧」や「行き詰まり」など、現代社会と教会が直面する問題が含まれています。私たちも「宙ぶらりん」の状態で引き裂かれているのです。しかし、こんな時代であれば尚更、世間の評価ではなく、神さまとの関係を大切にしましょう。「見よ、私たちは生きている」「見よ、今や恵みの日」と言われています。世の人が誰も見ようとしない「御心/テレーマ」にこそ、私たちは目を向けましょう。それこそが「どっこい」「どすこい!」なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:56 | 毎週の講壇から

2018年07月10日

7月第3主日礼拝

       7月15日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 どっこい生きてる=@音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  コリントの信徒への手紙U 6章1〜10節(p.331)
讃 美 歌  27、121、490、458、431、24
交読詩編  詩編52編1〜11節(p.61)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年07月09日

神の家か、火事の家か【Tテモテ3:14〜16】

聖句「神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。」(3:15)

1.《占い師》 占いは御神籤や運勢判断など、私たちの暮らしの隅々に生き残っています。天皇代替わりに際しては亀卜が行なわれます。時に重大な決断を迫られる政治指導者も専属の占い師を雇っていたことが知られています。「三国誌」の諸葛孔明は奇門遁甲の使い手、関ヶ原の合戦の日取りを決めた閑室元佶も臨済宗の僧でした。軍師は占い師でもあり、戦争は占いに左右されていたのです。

2.《火の家》 タロットカードの絵札に「塔」があります。落雷によって王冠が開き、塔は炎に包まれ、人が転落しているのです。マルセイユ版では「神の家」と言います。「火事の家/La Maison de Feu」が「神の家/La Maison Dieu」と誤記されたとも言われます。壇一雄の『火宅の人』、その題名の由来である法華経の「三車火宅」も思い出されます。しかし、その絵柄は「キリストの陰府降り」と類似しています。地獄の門を壊して、主が亡者たちを解放されるのです。バベルの塔が単なる「混乱」を嘆く話ではなく、統制や隷属からの「解放」の物語、多様性の主張でもあったことを忘れてはなりません。

3.《神の家》 教会が「神の家」だとしても完全無欠と言いたいのではありません。むしろ、世にある教会は問題続出の「火事の家」でもあるのです。それこそが「信心の秘められた真理」「信心の奥義」なのです。「信心/エウセベイア」とは「よく礼拝する、深く敬う」の意味です。「信仰」に比べて具体的な生活態度を言う語です。暮らしに根差した信仰が「信心」なのです。「火事の家」さえも「神の家」に変えて下さる神の奥義、「災い転じて福と成す」神秘の奇跡を愚直に信じることです。時に落雷や火事に見舞われ、問題山積の教会ですが、それこそ、この地上に立てられ、生きていることの証なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:52 | 毎週の講壇から

2018年07月03日

7月第2主日礼拝

       7月 8日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 神の家か、火事の家か=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  テモテへの手紙T 3章14〜16節(p.386)
讃 美 歌  27、121、490、393、400、24
交読詩編  詩編52編1〜11節(p.61)


・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年07月02日

自由への招待【ガラテヤ5:2〜15】

聖句「あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」(5:13)

1.《本当の自由主義》 社会学者の日高六郎は単なる学者ではなく、反戦運動や公害訴訟の先頭に立った人物でした。経済優先の「新自由主義」や「利己主義」ではなく、真の意味での「自由主義者」だったと思います。自由主義の原点は、個人の内面の自由を求めて、カトリックの教権と闘った宗教改革にあります。信徒は神に生かされ、信仰共同体によって健全な人生を保証されるのです。

2.《自由からの逃走》 社会心理学者のエーリヒ・フロムは、宗教改革発祥の地であるドイツが何故にナチズムに侵食されたかという問いから、亡命先の米国で『自由からの逃走』を執筆します。一個人として生きる孤独に耐え得ない者たちは、全体主義や権威主義、機械的画一性に逃れようとします。ルターやカルヴァン、宗教改革者たちですら、口では「愛」を唱えながら、その心は「罪意識による服従」を要求し、敵愾心に凝り固まっているのです。「本音と建前」に引き裂かれているのは、私たち自身の姿でもあります。怒りや憎しみ、独善や固定観念、差別や偏見から解き放たれて、本当に愛を目指して行きましょう。

3.《愛が息づく信仰》 憎しみは否定と破壊、愛は肯定です。愛する人は、相手の幸福、成長、自由を求めます。ガラテヤの諸教会に伝道した「割礼派」は「律法を守り割礼を受けねば救われない」と説いたのです。しかし、キリストの愛と救いに条件などありません。パウロは割礼の有無ではなく「愛の実践を伴う信仰こそ大切」と言います。愛が無ければ信仰も空しく、働きの無い愛は愛では無いのです。その上で尚、働きの有無すら条件ではありません。私たちを救うのは神の愛と憐れみだけです。その「愛の奴隷」として「自由へと召し出された」のが教会なのです。しかも、独りでは目指せないのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:53 | 毎週の講壇から