説 教 神の家か、火事の家か=@

聖 書 テモテへの手紙T 3章14〜16節(p.386)
讃 美 歌 27、121、490、393、400、24
交読詩編 詩編52編1〜11節(p.61)
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標語 『主イエスの道を歩こう』
わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
(ヨハネによる福音書14章6節)
聖句「あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」(5:13)
1.《本当の自由主義》 社会学者の日高六郎は単なる学者ではなく、反戦運動や公害訴訟の先頭に立った人物でした。経済優先の「新自由主義」や「利己主義」ではなく、真の意味での「自由主義者」だったと思います。自由主義の原点は、個人の内面の自由を求めて、カトリックの教権と闘った宗教改革にあります。信徒は神に生かされ、信仰共同体によって健全な人生を保証されるのです。
2.《自由からの逃走》 社会心理学者のエーリヒ・フロムは、宗教改革発祥の地であるドイツが何故にナチズムに侵食されたかという問いから、亡命先の米国で『自由からの逃走』を執筆します。一個人として生きる孤独に耐え得ない者たちは、全体主義や権威主義、機械的画一性に逃れようとします。ルターやカルヴァン、宗教改革者たちですら、口では「愛」を唱えながら、その心は「罪意識による服従」を要求し、敵愾心に凝り固まっているのです。「本音と建前」に引き裂かれているのは、私たち自身の姿でもあります。怒りや憎しみ、独善や固定観念、差別や偏見から解き放たれて、本当に愛を目指して行きましょう。
3.《愛が息づく信仰》 憎しみは否定と破壊、愛は肯定です。愛する人は、相手の幸福、成長、自由を求めます。ガラテヤの諸教会に伝道した「割礼派」は「律法を守り割礼を受けねば救われない」と説いたのです。しかし、キリストの愛と救いに条件などありません。パウロは割礼の有無ではなく「愛の実践を伴う信仰こそ大切」と言います。愛が無ければ信仰も空しく、働きの無い愛は愛では無いのです。その上で尚、働きの有無すら条件ではありません。私たちを救うのは神の愛と憐れみだけです。その「愛の奴隷」として「自由へと召し出された」のが教会なのです。しかも、独りでは目指せないのです。
朝日研一朗牧師