2018年09月19日

お泊りホサナ

9月16〜17日にYMCA東山荘でお泊りホサナを実施しました。


お泊りホサナ初日

お泊りホサナ二日目
posted by 行人坂教会 at 00:42 | 教会アルバム

2018年09月18日

9月第4主日礼拝

       9月23日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 人生の採点表=@音楽        朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 25章31節〜46節(p.50)
讃 美 歌  27、148、490、548、563、26
交読詩編  詩編96編1〜9節(p.110)

・讃美歌練習(10月の月歌:152番)  礼拝後   礼拝堂

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年09月17日

いのちの深呼吸【創世記2:6〜9】

聖句「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(2:7)

1.《夕べの風》 連続テレビ小説『半分、青い。』では、鈴愛と律が「そよ風の扇風機」の開発に取り組んでいます。聖書に登場する最初の風は、夕方のそよ風です。「日の涼しい風」(創世記3章8節、協会訳)とありますが、ユダヤ教では1日の区切りは夕べにあるからでしょう。顧みて、異常な酷暑で夕涼みの習慣も無くなった私たちは、自然の風を感じることが少なくなりました。

2.《風が必要》 以前、板橋区の園芸センターで鉢植えを物色して、温室のような店内で、観葉植物や大輪の花を観ていた時、店員に聞くと「植物には、陽の光や水や肥料だけではダメで、風が必要なのだ」と教えてくれました。植物が生きて行くために、成長するために風が必要なのだということは、植物学界で理論化されているのかどうか知りませんが、少なくとも園芸店の経験則として受け継がれているようです。目から鱗でした。「天地創造」の記事に「風の創造」は出て来ませんが、その代わりに、主なる神が吹き込んだ「命の息」があります。植物のみならず、動物や人間にとっても「風」が必要なのです。

3.《生ける魂》 関連があるのは「土」と「人」だけではありません。「生きる者」は「生ける魂」ですが、「命の息」の「命」にも「魂」の意味があります。ラテン語訳の「息/スピーラークルム」は「風窓、空気孔」です。「スピリチュアル」と言うと、胡散臭い霊媒師や自己啓発が出て来て如何にも風通しが悪い印象がありますが、真の霊性はそよ風が入って来るような爽やかさなのです。植物が花を咲かせ、実を付けるのは年に1度です。コンビニ化された社会で、私たちも成果主義に取り憑かれて「死んだ魂」と成っています。ありのままに雨風を身に受けて生きましょう。神さまは必ず良い風を送って下さいます。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:53 | 毎週の講壇から

2018年09月13日

お知らせ:婦人之友10月号の記事

婦人之友10月号

今日のいのり「人生のクロスロードで」

朝日牧師が執筆しております。


婦人之友10月号の紹介はこちらです。

posted by 行人坂教会 at 14:06 | 教会からのお知らせ

2018年09月11日

9月第3主日礼拝

       9月16日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 いのちの深呼吸音楽        朝日研一朗牧師
聖  書  創世記 2章6節〜9節(p.2)
讃 美 歌  27、148、490、314、404、26
交読詩編  詩編96編1〜9節(p.110)

・みんなでお掃除    礼拝後   礼拝堂、記念室、階下ホール

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 16:00 | 毎週の礼拝案内

2018年09月10日

聖書は食べられません【エゼキエル2:8〜3:3】

聖句「『人の子よ、わたしが与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ。』 わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。」(3:3)

1.《聖書の始末》 私の師、深田未来生はUMCの宣教師を隠退した後、米国の高齢者村で暮らして居られます。彼が手伝っている古本市に持ち込まれる聖書の処分に悩んでいるそうです。手垢が付いて汚れていれば、他の書籍は紙ゴミですが、誰かと人生を同伴して来た聖書だけに、捨てるに捨てられず、売れないことは明らかなのに、市の片隅に置いてしまうとか。米国ならではの悩みです。

2.《聖書と対話》 「バイブル」は「紙草/パピルス」から「書籍/ビブリア」と変化した語で、単に「本」という意味です。それが「聖書」として神聖視されるに至るまでには紆余曲折の歴史があります。世界中で1年間に7億冊も出版され、ホテルにも備え付けられていて、有り触れているが故に、実際には読んで貰えないという逆転現象もあります。聖書は大昔の歴史を綴った本ではなく、歴史を通して働く神を、現代の私たちに証しするものです。それによって私たちの命や人生の意味を問い直すのです。従って、その問い掛けの姿勢さえあれば、信者/非信者に関わり無く、聖書は対話の相手に成ってくれるのです。

3.《甘みと苦み》 私の知人に、実際に聖書を暗記しては1ページずつ食べた人がいます。何とか聖書の御言葉を自分のものにしたいと願われたのです。聖書には「御言葉を食べる、巻物を食べる」行為が描かれています。エゼキエルの場合には、預言者活動の通過儀礼だったのでしょう。その巻物には、神の「哀歌、呻き、嘆き」が記されていました。悲しみは「苦み」です。罪の世にありながら、人間如何に生くべきかと問うことは甘くはありません。聖書の苦みを知り、御言葉の魅力を感じるようになるためには、それ相応に、人生の苦しみ悲しみを体験しなければなりません。精神的、霊的な成長が必要なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:03 | 毎週の講壇から

2018年09月04日

9月第2主日礼拝

       9月 9日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 聖書は食べられません音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  エゼキエル書 2章8節〜3章3節(p.1298)
讃 美 歌  27、148、490、54、58、26
交読詩編  詩編96編1〜9節(p.110)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年09月03日

植わった場所で実りなさい【ルカ 13:6〜9】

聖句「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。」(13:6)

1.《しんなり生きる》 リストラや介護離職を契機に孤立した中高年、専業主婦の「ひきこもり」の存在も明らかになり、今や日本の「ひきこもり」人口は百万人を突破していると言われています。お笑い芸人「髭男爵」の「山田ルイ53世」は自身も「ひきこもり」体験者ですが、「皆がキラキラ輝かなくても良い。もっとしんなり生きても良いんじゃないですか」とコメントしていました。

2.《サポートする人》 「しんなり」は「主役」ではなく「脇役」の生き方と言っても良いでしょう。米国では「助演」がプロフェッショナルの仕事として認められています。聖書の主役は「葡萄の木」であるイエスさま、私たちはその枝、主にお仕えする者です。その意味では、いちじくは脇役ですが、決して不要な存在ではありません。葡萄園では、葡萄を移植する時には、いちじくの木に葡萄の蔓を這わせたそうです。いちじくの木は葡萄の実りを支える「葡萄棚」として利用されていたのです。しかも、葡萄園の主人は「主役」の前を素通りして、「脇」にあるいちじくの実りを熱烈に求めているのです。

3.《実を求めて待つ》 「探す−見つける」のモチーフは「ルカ」の定番です。「3年もの間」は「何年も何年も」です。主人の愛着の程が窺い知れます。彼の激しい怒りは悲しみの裏返しです。「土地を塞いで置くのか!」は「仕事をしない者、役立たず」という語ですが、彼の求める「実」は「生産性、利益還元」ではなく「創造の業、神の義に対する応答」です。「園丁」は単なる「番人、庭師」ではなく「葡萄を作る人」ですが、いちじくの木のために尽力を惜しみません。それは、彼が主人の真意を心得ているからです。葡萄園の主人こそは、手ずからいちじくを植えて、これを愛して止まないからです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:53 | 毎週の講壇から