2018年09月03日

植わった場所で実りなさい【ルカ 13:6〜9】

聖句「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。」(13:6)

1.《しんなり生きる》 リストラや介護離職を契機に孤立した中高年、専業主婦の「ひきこもり」の存在も明らかになり、今や日本の「ひきこもり」人口は百万人を突破していると言われています。お笑い芸人「髭男爵」の「山田ルイ53世」は自身も「ひきこもり」体験者ですが、「皆がキラキラ輝かなくても良い。もっとしんなり生きても良いんじゃないですか」とコメントしていました。

2.《サポートする人》 「しんなり」は「主役」ではなく「脇役」の生き方と言っても良いでしょう。米国では「助演」がプロフェッショナルの仕事として認められています。聖書の主役は「葡萄の木」であるイエスさま、私たちはその枝、主にお仕えする者です。その意味では、いちじくは脇役ですが、決して不要な存在ではありません。葡萄園では、葡萄を移植する時には、いちじくの木に葡萄の蔓を這わせたそうです。いちじくの木は葡萄の実りを支える「葡萄棚」として利用されていたのです。しかも、葡萄園の主人は「主役」の前を素通りして、「脇」にあるいちじくの実りを熱烈に求めているのです。

3.《実を求めて待つ》 「探す−見つける」のモチーフは「ルカ」の定番です。「3年もの間」は「何年も何年も」です。主人の愛着の程が窺い知れます。彼の激しい怒りは悲しみの裏返しです。「土地を塞いで置くのか!」は「仕事をしない者、役立たず」という語ですが、彼の求める「実」は「生産性、利益還元」ではなく「創造の業、神の義に対する応答」です。「園丁」は単なる「番人、庭師」ではなく「葡萄を作る人」ですが、いちじくの木のために尽力を惜しみません。それは、彼が主人の真意を心得ているからです。葡萄園の主人こそは、手ずからいちじくを植えて、これを愛して止まないからです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:53 | 毎週の講壇から