2018年10月14日

キリスト教こんにゃく問答]]V「戦争について」

1.遠く離れた雷鳴

インドの名匠、サタジット・レイ監督に『遠い雷鳴』(Ashani Sanket)という映画があります。1973年の作品です。ベンガルの片田舎を舞台に、バラモンの貧しい若夫婦の生活が描かれています。バラモンはカースト最上位ですが、僧職や教職以外の仕事に就いて労働することが禁じられています。バラモンなりの不自由さがあるのです。

舞台は1942年、一見すると、戦争の影響など感じられぬ、穏やかな農村生活から始まります。しかし、米の価格が上昇して行きます。日本軍がシンガポールに進駐したために、一袋4ルピーが6ルピーに上がり、主人公ガンガの家に、隣村から同じバラモンの老人が食べ物の無心にやって来ます。バラモンの掟では無視することは許されません。

やがて日本軍がビルマに進駐し、米の価格は18ルピーにまで跳ね上がります。米屋では略奪騒動が起きます。ガンガの妻アナンガは農作業で日銭を稼ごうとします。ガンガは遠くの村まで出掛けて、妻の腕輪を売った代金で、闇米を買い求めようとしますが、果たせません。アナンガの女友だち、チェトキは米を手に入れるために、煉瓦職人に身を投げ出します。飢えは日に日に深刻になって行きます。

映画のラストでは、あの隣村のバラモンの老人が子や孫たちを引き連れて、ガンガの家に向かって歩いて来るではありませんか。アナンガは「これから私たちはどうするの?」と夫に問い掛けます。余りのことに笑ってしまいそうになりながら、ガンガは「いや何、二人が十人になるだけさ」と呟きます。すると、アナンガが「いいえ、十一人よ」と答えます。彼女の胎には新しい命が宿っていたのです。嬉しいような困ったような、複雑な表情で妻を見詰め返すガンガ…。

老人一家の行進は、真っ赤な夕焼けを背にして、何百人という集団の大行進のシルエットへと変わって行きます。そして、このような字幕が出て映画は終わります。「1943年、ベンガル地方において、五百万人が飢えと疫病のために死んだ。人間によって作られた飢饉によってである」。

ガンガとアナンガの台詞は、サタジット・レイの黒澤明に対するオマージュです。あの『羅生門』(1950年)のラスト、貧しい樵(志村喬)が捨て子を愛しそうに抱きしめながら、「おらのとこには子供が六人おる。六人育てる苦労も七人育てる苦労も一緒だ!」と呟くのです。雨が上がり、羅生門を跡にして家路へと向かう樵に、天からの光が射しています。

2.アメリカひじき

それにしても、戦火の直接及ばなかったはずの、しかも世界有数の米の生産地である、ベンガル地方で数百万人もの餓死者が出ていたという現実に、私は胸を突かれました。ベンガルはガンジス川の河口の平原地帯で、そこから数百キロ北東には、マニプル州インパールがあります。

悪名高い「インパール作戦」(1944年)では、兵站の確保が難しいまま、「援蔣ルート」遮断を戦略目的として、日本陸軍はインパール攻略戦に九万の兵を送り込みました。二万六千人の戦死者を出していますが、その半数近くが餓死、戦病死(マラリヤと赤痢)でした。何の補給も増援もなく、前線は「食うに糧なく、撃つに弾なし」という状況で、同胞の死体を食べるしか無かったと言われています。

この作戦を従軍取材した火野葦平は「前線にダイナマイトを百キロ送ったら、五十キロしかないと報告がきた。兵隊が食うのである」と記しています。佐藤幸徳中将は「軍は兵隊の骨までしゃぶる鬼畜と化しつつあり」と、大本営に対して繰り返し撤退を進言するも聞き入れられず、最終的には死刑覚悟で、師団の独断退却を実行しています。

前年の「ガダルカナルの戦い」でも、数多くの日本軍将兵が餓死、戦病死しています。部隊から離脱した挙句、飢えた兵士が人肉食を行なったことも知られています。戦争とは、即ち飢えなのです。

それは「銃後」においても同じこと。『火垂るの墓』で知られる野坂昭如の短編小説に『アメリカひじき』(1967年)があります。「玉音放送」の流れた日、米軍の飛行機から落下傘で物資が送られます。それは米人捕虜のために投下された食糧でしたが、中からは、チョコレートやガム、豆の缶詰やチーズ、ジャムや砂糖、ベーコンやハム等が出て来て、町内会の人たちは溜め息混じりに眺めつつ、その宝物を分配するのでした。主人公の俊夫の母親も宝物の分配に与りますが、一つだけ不明な食品がありました。黒い縮れた糸くずのような物です。近所のおばさんが「ひじきに似とる」と言うので、煮込み、岩塩を加えてみますが、湯が赤茶色に変わるだけで食べられたものではありません。

「アメリカのひじきはアクが強いんやわ」と母は言いますが、ひもじさ故に捨てられもせずに、何とか食べてしまいます。町内会長が「どうやら、ブラックテーいう物(紅茶の葉)らしいで」と教えてくれた時には、もう既に、どの家の「アメリカひじき」も無くなってしまっていたというエピソードです。

3.母親が子を食う

旧約聖書にも「戦争とは、即ち飢えのことだ」と思わせる場面があります。「列王記下」6章25節には「アメリカひじき」ならぬ「鳩の糞」が出て来ます。紀元前9世紀末、北王国イスラエルはアラムとの間で戦争を続けていました。アラム王がイスラエルの王都サマリアを包囲した時、折り悪くサマリアは食糧不足、忽ち住民は飢饉に陥りました。この時、「ろばの頭一つが銀80シェケル(約1キロ)、鳩の糞4分の1カブ(1カブは1リットルと少し)が5シェケルで売られるようになった」と書いてあるのです。

律法では、ろばは「食べてはならない動物」とされていました。その頭が高値で取り引きされたと言うのです。そして「鳩の糞」ですが、幾ら飢えていても鳥の糞までは食べられるものではありません。紀元1世紀のユダヤの歴史家ヨセフスは「鳩の糞」を「食塩の代用」にしたと書いていますが、これは眉唾でしょう。「鳩の糞」は「エジプト豆」のことだという説があります。

また、アラビア人が「オカヒジキ」「ミルナ/水松菜」を「雀の糞」と呼んでいることから、「鳩の糞」も野草の俗称だったのでは無いかと言われています。聖書事典によると「ベツレヘムの星」と呼ばれる植物で、この茎は生で食べると中毒を起こすが、煮るか焼くかすると食べることが出来たそうです。パレスチナの丘陵や岩場に、白い六弁の花を咲かせるので「ベツレヘムの星」と呼ばれるのですが、それが一斉に咲いて断崖を覆う様は、さながら「鳩の糞」で白く成ったように見えるとか。

日本の「オカヒジキ」は、さっ湯通しして和え物やおひたし、汁の具や炒め物に使いますが、「鳩の糞」は乾かして粉にして砕き、麦粉に混ぜて食べていたようです。勿論、サマリア包囲の状況下で糧食は尽きていますから、麦粉などはありません。

「列王記下」の物語は、この後、更に恐ろしい話に変わります。アハブ王が城壁を歩いていると、一人の女が「我が主君、王よ、救ってください!」と叫んで訴えます。彼女の話によると、女友だちが「今日はあなたの子を食べ、明日は私の子を食べましょう」と言うので、自分の子を煮て食べたのに、翌日に成ると、その女は自分の子を隠してしまったと言うのです。王はそれを聞くと悲嘆の余り自らの衣を引き裂きます。

二人の女性が一人の子どもを取り合う図は、「列王記上」3章の「ソロモンの知恵」にも見られます。同じ時に出産した遊女が、互いに「生きているのが我が子で、死んだのはお前の子だ」と主張し合って譲らない話です。「大岡政談」の「子争い」のモトネタです。しかし、それは、どちらが本当の母親であるかと、我が子を引き合う人情話です。嘘をついている母親の姿もまた、哀れを誘います。

ここでは、我が子の肉を食べてしまった母親が、今度は「あんたの子を食べる番だよ」と要求するのです。グロテスク極まりない話です。戦争は飢餓を生み、飢餓は人間を食い尽くすのです。


【会報「行人坂」No.257 2018年10月発行より】

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