2018年10月15日

光あるうちに光を信ぜよ【ヨハネ12:27〜36】

聖句「暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。…光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」(12:35,36)

1.《リプレイ》 誰でも「人生、もう1回やり直せたら」と考えることがあります。ケン・グリムウッドのSF小説『リプレイ』(1988年)では、心臓発作で死亡した主人公の意識が戻ると、18歳に戻っています。その後「強制終了」と「強制再生」が繰り返されるループと成るのですが、何度、過去をやり直しても死は避けられません。過去を変えることに大きな意味は無いのかも知れません。

2.《時がある》 何も「タイム・トラベル・ファンタジー」は小説や映画の中だけの話ではありません。私たちの肉体は時間と空間に縛られていますが、精神は自由なのです。だからこそ、私たちは、亡き人を想起したり過去を懐かしむことが出来るのです。そのジャンルの先駆けとされる、英国の児童文学者、アリソン・アトリーの小説『時の旅人』(1939年)巻頭の題辞に「時あり、時ありき、時はなし」と記されていました。人間には時の移ろい、時の流れを止めることは出来ませんが、その時を知って、決断したり行動したりすることは出来るのです。残念ながら、その時を逃してしまうこともあるのですが…。

3.《光の歩み》 イエスさまの仰る「光と闇」は「昼と夜」です。その意味で日時計を思い出させます。「日時計」は何の仕掛けも無い「ダイヤル/目盛り」に過ぎません。多くの日時計には碑銘が刻まれています。例えば「私は晴れの日だけ時を刻む」「暗い時は刻まず、日の当たる時のみを刻む」とかです。人生には明るい日も暗い日もあります。しかし、復活の光、命の光を投げ掛けられるイエスさまは、闇を抱える私たちを照らし「光の子」へと変えて下さるのです。日時計と同じく、私たちの闇の業をカウントせず、光の業だけをカウントして下さるのです。その約束の徴こそ、この日曜日の朝の礼拝なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:54 | 毎週の講壇から