2018年10月28日

喧嘩上等 Bring It On!

1.けんかえれじい

バザーの終わった翌日、NHK-BS「プレミアムシネマ」で、鈴木清順監督の『けんかえれじい』(1966年)が放映されていて、思わず見入ってしまいました。子どもの時に観た時には、何とも思わなかったことが、とても印象深く感じられるのです。

時代は昭和10年、南部麒六(高橋英樹)は、カトリック信者の家庭に下宿して、旧制第二岡山中学に通っていました。下宿の娘で岡山聖心の女学生の道子(浅野順子)に秘かに思いを寄せる優しい男の子です。日曜日には、道子と一緒にミサにも通っています。

ところが、麒六は「キリストと先輩の命令と、どちらが大切なんや」と、無理難題を押し付ける上級生を、思わず殴り飛ばしてしまいます。その場面を目撃したOBのスッポン(川津祐介)に喧嘩の才能を見出され、喧嘩の極意を教わるのです。実は、麒六の父親も、スッポンもまた、カトリック信者なのです。

喧嘩修行の後は、師匠の勧めで、第二中学の硬派団体「OSMS(オスムス)団」(「岡山セカンド・ミドル・スクール」の略称だそうな)に入団して、喧嘩の実践を積み、忽ち「喧嘩キロク」と仇名され、副団長にまで上り詰めます。ところが、軍事教練の教官に楯突いたことから、岡山を出奔する事に成るのでした。ここまでが前半です。

会津若松の親戚の家に転がり込んだ麒六は、喜多方中学に転校しますが、ここでも喧嘩に明け暮れることに成ります。何かと言えば「会津魂」を口にする癖に、余所者をからかい、強い教師には萎縮し、弱腰の教師は舐めて掛かる同級生の態度に立腹して「会津魂とか、勿体ぶったことを抜かし居るが、お前らケツの赤い山猿じゃ!」と叫びます。

この後、同級生の金田と、肥え溜めの中を転げ回る喧嘩をやり、会津中学の「昭和白虎隊」相手の大立ち回りへと続きます。

2.爆走する機関車

映画には、道子と麒六が通うカトリック教会が出て来ます。ミサの帰り道でしょうか、二人が桜並木を歩いていると、道子が嬉しそうに話します。「今年のイースターも素晴らしかった。去年のイースターはお父様と一緒だった。今年のイースターは麒六ちゃんと」。思わず、道子の手を握る麒六…。そんな二人を見咎めた「OSMS団」の団長、タクアンは麒六を「軟派」「軟弱」となじり、二人は取っ組み合いの一触即発。その場はスッポンの介入で事無きを得ましたが、別れ際、悔し紛れに、タクアンがステッキで満開の桜の枝を叩くと、麒六と道子に桜の花びらが舞い散ります。この辺りが清順美学なのです。

後半の会津篇でも、喜多方中学の同級生を怒鳴り付けて、そのまま下校する麒六の背景には、なぜか教会の尖がり屋根が映っています。特徴的な尖がり屋根が気になって、ロケ地を調べると、何と、『けんかえれじい』は全編、長野県上田市でロケされていたのです。岡山も喜多方も会津若松もありません。会津若松の鶴ヶ城公園とされている場面も、実は上田城跡公園。岡山のカトリック教会は上田カトリック教会。旧制岡山第二中学は上田高等学校。尖がり屋根は、日本基督教団上田新参町(しんざんちょう)教会なのでした。

因みに、上田新参町教会を設計したのは、古橋柳太郎(1882〜1961年)という建築家です。大谷石を使った安中教会「新島襄記念会堂」、旧後楽園球場、麻布中学・高等学校校舎などを手掛けた人物です。新参町教会は、1897年(明治30年)創立ですが、1935年(昭和10年)に現在地に移転新築しています。「昭和10年」を設定した本作にはピッタリです。

映画の幕切れで、麒六と同級生の杉田が「東京で青年将校が叛乱」の号外を駅で見ます。「喧嘩だ、大喧嘩だ!」「これを見なくちゃ男が廃る。行こう」と叫ぶ杉田。麒六は号外に見覚えのある男の顔を発見します。「叛乱の思想的指導者、北一輝」と記された写真は、会津若松のカフェーで見た眼光鋭い男だったのです。思わず叫ぶ麒六、「杉田、東京に行くぞ!」。吹雪の中を東京に向けて爆走する蒸気機関車。

アニメファンなら御承知かと思いますが、この場面はOVA版『機動警察パトレイバー』(1988年)第5話「二課の一番長い日/前編」で、そのまま使われているのです(監督は押井守、脚本は「平成ガメラシリーズ」の伊藤和典)。苫小牧の泉野明(のあ)(富永みーな)の実家に来ていた篠原遊馬(あすま)(古川登志夫)がテレビを見ていると、「自衛隊がクーデター」のニュースが流れます。「遊馬、行こう。ここでやらなきゃレイバー隊の名が廃る」と野明。画面に映し出された「反乱の思想的指導者」の写真に「蕎麦屋で見た男!」と気付き、「野明、東京に行くぞ!」と叫ぶ遊馬。吹雪の中を爆走する蒸気機関車。

3.踏まれる十字架

それに先立って、道子が遠路遙々、喜多方まで麒六に別れを告げに来る場面があります。「長崎の修道院に入る決心をした」と言うのです。麒六の下宿を出た彼女が、雪の降り積もった狭い道を歩いていると、唐突に、次々と兵士たちが走って来て、彼女は弾き飛ばされて倒れたまま、誰からも助け起こして貰えません。彼女の大切にしていたロザリオが軍靴に踏み付けられて、白い雪の下に沈んで行きます。

子どもの頃には、全く脈絡が摑めず、意味も分からず、ただただ、その異様な雰囲気に圧倒されたのですが、今見直してみると、「二・二六事件」勃発を受けて緊急出動した、会津若松の歩兵第29連隊(第2師団派遣部隊)だった訳です。また、これは、彼女が長崎の原爆によって亡くなるのでは無いかと予感させる場面でもありました。

第29連隊に蹂躙される十字架は何を意味しているのでしょうか。旧制中学の大らかなバンカラの気風も喧嘩三昧も、青春の悶々も純情も、否応なしに軍国主義と戦争の渦の中に巻き込まれて行くのです。「無垢の終わり/End of Innocence」とでも言いましょうか。

牧師 朝日研一朗

【2018年11月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など