2018年12月31日

主の恵みの年と告白しよう【イザヤ 61:1〜4】

聖句「主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人々を慰め…」(61:2)

1.《改元の年》 天皇の代替わりに伴い、2019年4月末日をもって元号が変えられます。明治天皇崩御の際に乃木希典夫妻が殉死したのは有名ですが、昭和天皇崩御の際にも全国で約10人が殉死しています。私たちが使っている年号は、私たちの時を支配するのは誰なのかという表明、謂わば信仰告白なのです。従って天皇崩御に際して殉死するのは、ごく真っ当なことなのです。

2.《紀元と暦》 イスラームはマディーナ遷都を紀元とする「ヒジュラ」、ユダヤ教徒は天地創造を紀元とする「ハルアハーイブリ」、仏教徒は「仏滅紀元」という暦を使っています。北朝鮮では全日成の誕生日を紀元とする「主体暦」を使っていて、私たちから見ると如何にも滑稽ですが、日本の皇国史観も神武天皇の即位を紀元とする「皇紀」を使っています。キリスト者は公式には元号を使いません。「西暦」と言われるのは「キリスト暦」です。実際の御降誕とは数年の誤差が生じているようですが、クリスマスを12月24〜25日にお祝いするのと同様に、教会暦として用いる分には、何の問題もありません。

3.《恵みの年》 「ルカによる福音書」4章のイエスさまの「公生涯」の始まりとして「イザヤ書」の預言が引用されています。この「主の恵みの年」という語から「紀元後」を意味する「AD/Anno Domini」が生まれました。「恵み」という語は「七十人訳」において付け加えられました。敵に対する「復讐」を思わす語も「七十人訳」の段階で「悲しむ者たちに主が報いられる」と読み替えられています。キリスト者は旧約聖書を、そのまま鵜呑みにするべきではありません。主の御言葉である聖書は生きていて、イエス・キリストの出現と宣教によって、全ての人への福音へと作り変えられているのです。

朝日研一朗牧師

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2018年12月30日

新しい時をめざし

1.大アルカナ

荒木飛呂彦の人気マンガ『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズには、ディオ・ブランドーという強烈な悪役が登場します。彼は己の野望を遂げるために、自ら「石仮面」を被り、吸血鬼と成る道を選びます。更には、魔女エンヤ婆によって「スタンド/Stand/幽波紋」と呼ばれる超能力を手に入れるのでした。「スタンド」とは、能力者(術者)が自由に操ることの出来る守護霊のような存在です。

第3部では「DIO」という名前で、大勢の「スタンド使い」を手下に加えて、世界を支配しようとしています。このDIOが操るのが「世界(ザ・ワールド)」というスタンドです。時間を停止させた上で、敵を自由に攻撃する事が出来るのです。そして、DIOがスタンドを発動させる時、「『世界(ザ・ワールド)』ッ! 時よ止まれ!」と叫びます。そして、彼が「時は動き出す」と呟いた時には、既に敵は死んでいる訳です。

「世界/ザ・ワールド」とは、タロットカードの「大アルカナ」第22番目のカードです。カード番号は0から始まりますので、「]]T」と表示されていますが、実際には22番目なのです。「大アルカナ」はヘブライ語のアルファベット22文字に対応するとされています。最終カードですから「ターウ」に該当します。「成就、完成、総合、完璧」等の意味があります。ギリシア語なら「オメガ/Ω」(「わたしはアルファであり、オメガである」)、英語なら「ゼット/Z」(『ウルトラマン』の「ゼットン」、『マジンガーZ』、『ドラゴンボールZ』、『ワールド・ウォーZ』)です。

2.時よ止まれ

「時よ止まれ!」という宣言は、恐らく、ゲーテの戯曲『ファウスト』の禁句から来ているのでしょう。この世に絶望したファウストの前に、悪魔メフィストフェレスが現われて、契約を交わします。

(メフィストフェレス)「どうです、手を打ちませんか。/御契約をなさいませんか、あなたがこの世にある限りは/わたしの術でたんと面白い目を見せて差し上げます。/まだ人間が見たこともないような面白いものをね」。(ファウスト)「己がある刹那に向かって、『とまれ/お前は本当に美しい』といったら/己はお前に存分に料理されていい。/己はよろこんで滅んで行く。/そうしたら葬式の鐘が鳴るがいい/その時は君の奉公も終るのだ。/時計が停り、針も落ちるがいい。/己のすべては終るのだ」(高橋義孝訳)。

「とまれ、お前は本当に美しい/Verweile doch! Du bist so schön」。「この瞬間よ止まれ、汝は如何にも美しい」とか「時よ止まれ、君は美しい」等、訳し方は色々ですが、要するに「それを言っちゃあ、おしめぇよ」です。禁じ手だけに強烈な力のある呪文(ファウストにとっては自己呪詛)と成っているのです。

さて、マンガの世界と違って、私たちには「時を止める」ことは出来ません。旧約聖書の「列王記下」20章(もしくは「イザヤ書」38章の並行記事)には、神さまが「日時計に落ちた影を、十度後戻りさせ」て、つまり、時を巻き戻して、ヒゼキヤ王の病を癒して寿命を延ばす徴としたというエピソードがあります。しかし、神ならぬ人の身である私たちには、勿論、時間を巻き戻すことも出来ません。

しかし、一つだけ出来ることがあります。新しく出発することです。元日に新年の抱負を語り合ったり、その決意を書初めにしたりするのも、再出発のチャンスとするためです。初夢にその年の運勢が表われると言ってみたり、初詣に行った人たちが御神籤を引いてみたりするのも、仕切り直しでしょうか。日本で「正月三が日」を休んでいるのは、仕事を休むことで、象徴的に「時を止める」宗教的な儀礼なのかも知れません。

3.新しい時を

古今東西、新年は大きな節目とされて来ましたが、毎日を新しい日として受け止めることも出来ると思います。例えば、古代エジプトでは、1日は夜明けと共に始まるとされていました。日本と同じです。ところが、メソポタミアでは、1日は夕方から始まったのです。ギリシアでは、1日は日没から日没までとされていました。ローマでは、現在と同じく夜半から1日の時間経過を考えていました。このように国や文化、宗教によって「始まり」の感覚は違うのです。

旧約聖書でも幾つかの文脈では、1日が朝から始まったとする表現があります。しかしながら、比較的後期の文書では、1日は日没から日没までとしているのです。そして、ユダヤ教では1日を日没から考えるように成りました。旧約聖書の中ですら、異なる考え方があったということです。

ともかく、毎日毎日を新しく生きることが望ましいのですが、残念ながら「日日是好日」として「日々新たにされて」生きるのは、案外と難しいことなのです。

そこで1週間ごとに「新たにされて」出発しようというのが「主日礼拝」を守る習慣です。古代のクリスチャンたちは「週の初めの日」を「主の日/キュリアケー・ヘメラ、ヘーメラ・トゥ・キュリオゥ」として守りました。ラテン語で「Dies Domini/ディエース・ドミニ」と言いました。フランス語の「ディマーンシュ/dimanche」もイタリア語の「ドメニカ/doménica」もスペイン語の「ドミンゴ/domingo」も「ドミヌス/Dominus/主」という語が起源です。日曜日ごとに復活の主を礼拝し、日々の罪を赦され、思い煩いを取り払われ、イエスさまの慰めと励ましを頂いて、再出発することが出来るのです。

現代人は肉体の健康や美容にばかり目を奪われて、魂の健康と美容は疎かにしているように思います。新しい年、主日を守る生活をすることで、内面から輝こうではありませんか。

牧師 朝日研一朗

【2019年1月の月報より】

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2018年12月25日

12月第5主日礼拝(2018年歳晩礼拝)

      12月30日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 主の恵みの年と告白しよう=@音楽  朝日研一朗牧師
聖  書  イザヤ書 61章1〜4節(p.1162)
讃 美 歌  27、233、490、431、266、88
交読詩編  詩編25編1〜11節(p.30)

・・・当日の音声録音を聴く
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2018年12月24日

2018クリスマスイヴ礼拝

20181224クリスマスイヴ礼拝
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2018クリスマスイヴ賛美礼拝の音声録音


クリスマスイヴ賛美礼拝の音声録音です。

約55分にわたる礼拝の内容が録音されています。
説教は録音開始後、約24付近〜42分付近までの約19分間あります。

試聴は次の箇所をクリックしていただくと、PCにインストールされている音楽プレーヤー(WindowsならMedia playerなど)で再生できます。

ここをクリックして下さい

posted by 行人坂教会 at 21:23 | 教会からのお知らせ

わたしのこころのほし【フィリピ2:12〜18】

聖句「よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き…」(2:15)

1.《ページェント》 教会附属の幼稚園保育園では、園児たちが「降誕劇」を開催する季節です。しかし本来、ページェントとは聖人祝祭日の山車や神輿の意味でした。街中を練り歩いて、礼拝堂に導くのです。「野外劇」の含みもあります。教会の降誕劇でも、役の取り合いや押し付け合いもあって社会の縮図を思わせます。必ず一人一役を担うのも、裏方が必要なのも社会の隠喩です。

2.《星の光は心に》 ジョセフ・スレート作、フェリシア・ボンド画の絵本『やまあらしぼうやのクリスマス』は、降誕劇の悲喜こもごもを描いた名作です。動物の子どもたちの降誕劇に、ヤマアラシ坊やも出ようとしますが、その棘の故に他の出演者から嫌がられて、役も付かず、裏方と掃除役に甘んじます。しかし当日、幕が上がってみると、樅の木の天辺にベツレヘムの星がありません。観客も出演者も動揺する中、ヤマアラシ坊やが樅の木に登って、自らの体を使って星を演じたのでした。それを見たお母さんヤマアラシは「私の心の星」と、そっと呟いたのでした。皆から嫌われたトゲトゲが美しく光り輝いたのです。

3.《星を動かす心》 ヤマアラシ坊やにお母さんは「あなたは私の心の光」と繰り返し呼び掛けます。この慰めと励ましとが子どもたちに生きる力を与え、その人生を支えるのです。「星のように輝き」は有名な聖句ですが、ギリシア語原典では「星々/アステロス」とは言わず「フォーステロス/光るもの」と言います。しかも、イエスさまが「私は世の光」と仰った「フォース/光」そのものではありません。松田明三郎牧師の詩に、星を動かす裏方の役を務める少女が描かれています。ただ、お母さんだけが誰が星を動かしているのか知って、そこに少女の喜びがあったと言います。あなたの事は神が御存知です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から

2018年12月23日

クリスマス礼拝・愛餐会

20181223クリスマス礼拝・愛餐会
posted by 行人坂教会 at 21:10 | 教会アルバム

2018年12月18日

クリスマス(降誕節)礼拝

      12月23日(日) 午前10時30分〜正午
説  教 わたしのこころのほし=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  フィリピの信徒への手紙 2章12〜18節(p.363)
讃 美 歌  27、233、490、279、271、69、72、88
交読詩編  詩編25編1〜11節(p.30)

・クリスマス愛餐会(新入会者歓迎会)  礼拝後〜午後2時  階下ホール
  会費:おとな500円、こども300円、入会者・未就学児無料

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年12月17日

摩訶不思議アドベンチャー【マタイ2:1〜12】

聖句「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(2:2)

1.《西方への旅》 『西遊記』は唐代の僧侶、玄奘三蔵が6万キロに及ぶ旅をして仏教の経典を持ち帰った史実が基に成っています。「西域への旅」と言ったら「占星術の学者たち」も同じです。東方(メディア、ペルシア、パルティア、バクトリアまでを含む)からユダヤまで往復4千キロです。玄奘三蔵には及びませんが、大変な苦難の旅であったろうことは想像に難くありません。

2.《時間の経過》 16世紀の天文学者ケプラーは、惑星運動の立場からキリスト降誕を紀元前7年と特定しました。キリスト降誕日については、最近では、英国のデイヴィッド・ヒューズ説(紀元前7年9月15日)、米国のマイケル・モルナー説(紀元前6年4月17日)等もあります。モルナー説で感心したのは、その距離と時間感覚です。博士たちが東方で星を見たのが4月、ペルシアから旅に出発したのが9月、御子のもとに辿り着いたのが12月だと言います。イエスさまは既に生後8ヶ月、離乳食を食べてハイハイをしています。博士たちは3ヶ月も掛けて旅をした末に、漸くキリストに相見えたのです。

3.《冒険が準備》 降誕日が何日に成ろうと、私たちが教会暦に従ってクリスマスをお祝いすることに変わりありません。大切なのは「キリストを礼拝すること=クリスマス」だからです。「アドベント」はラテン語の「アドウェントゥス/到来」です。「待つ」ことは副次的なことです。むしろ、私たちに求められているのは「冒険/アドベンチャー」かも知れません。欧米には「make a difference/違いをもたらす、世の中を変える」ために、この季節に何か1つ新しい試みをする習慣があります。神さまは、愛する独り子を世に送るという大変な冒険を為さったのです。私たちも小さな愛の冒険をしましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:55 | 毎週の講壇から

CSクリスマス礼拝・祝会

20181216CSクリスマス礼拝・祝会
posted by 行人坂教会 at 18:29 | 教会アルバム