2019年02月26日

3月第1主日礼拝

       3月 3日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 心のドアは内開き=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネの黙示録 3章14〜22節(p.456)
讃 美 歌  27、23、490、332、430、75、25
交読詩編  詩編24編1〜10節(p.29)

・青空カフェ      礼拝後      玄関バルコニー

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2019年02月25日

幸せを探す人の幸せ【ルカ 11:1〜13】

聖句「あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(11:13)

1.《幸福追求権》 2016年、東京地裁にて、ある訴訟事件の判決が下されました。アイドルグループのメンバーが恋愛禁止規定を破ったとして、所属事務所から990万円の損害賠償請求をされていたのです。しかし「日本国憲法」第13条の「幸福追求権」に照らし、恋愛は「人生を自分らしく豊かに生きる自己決定権」であるとして、この損害賠償請求は棄却されたのです。

2.《自己決定権》 憲法の条文に「幸福」の定義はありません。各人の心が決めるべきことであり、定義すべきものではありません。しかし、戦前までは子の幸せを親が決めていました。今も幼少時から「これがあなたの幸せ」と刷り込まれています。幸せを金、地位や名誉、美しい容姿と考えるのも、経済優先の社会やマスコミが植え付けているのです。それらは自己満足や優越感に過ぎません。幸せへの思いは各人により異なりますが、価値観を押し付けることなく、何が本当の幸せかを問い掛けながら、共に歩む道が大切です。

3.《善い在り方》 イエスさまの譬話では、友が友にパンを求めたり、子が親に干し魚や卵を求めています。昔の信徒たちが「肉の糧」「霊の糧」とお祈りされていたのを思い出します。イエスさまも最後に「天の父が聖霊を与える」という約束で締め括って居られます。友にしろ父親にしろ、愛する人たちの手が介在しています。人と人との関係性の中に生まれる「良い贈り物」なのです。「聖霊の結ぶ実」(ガラテヤの信徒への手紙5:22)も同様です。「日本国憲法」を遡ると、米国の人権宣言(1776年)を経て、17世紀英国のリチャード・カンバーランド牧師の「幸福追求権」の定義に辿り着きます。曰く、互いの「Well-being」無くして、個人の「Happiness」等はあり得ないのです。

朝日研一朗牧師

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2019年02月24日

アキレスと亀

1.クドカンは韋駄天

私は毎週、NHKの大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』を楽しみに観ています。しかしながら、何でも、前作『西郷どん/SEGODON』を超えるワースト低視聴率を記録していると聞きます。「どうして!?」「クドカン(宮藤官九郎)の脚本は、こんなに面白いのに!?」「VFX(特撮による視覚効果)で再現された明治の東京の風景も、こんなに美しいのに!?」「これだけの豪華キャストなのに!?」「音楽(大友良英)も、タイトルデザイン(山口晃)も、題字(横尾忠則)も、こんなに凄いのに!?」と、私が独りで喚いているのを、家族は冷ややかな眼差しで見詰めています。

連ドラ『あまちゃん』とカブる楽屋落ちキャスト(杉本哲太、平泉成、橋本愛、小泉今日子、荒川良々、ピエール瀧)が要所に配してあるのも愉快です。古今亭志ん生(ビートたけし)の内儀、りんの役で(志ん生の実の孫)池波志乃が出ていたりするのも粋な計らいです。森山未來、パンクバンド「銀杏BOYS」の峯田和伸、劇団「大人計画」の松尾スズキ、岩松了、田口トモロヲというコアな脇役(何と姜尚中まで登場!)、誰も彼もキャラが立っています。若い女性視聴者への目配せもあるものの(生田斗真、松坂桃李、星野源、神木隆之介)、結果的には、玄人好みに走り過ぎているのでしょう。

妻が家事をしながら台詞だけを耳で聞いていて「お芝居を観ているみたいね」と漏らしていました。結局、低視聴率の原因はこれに尽きるのか…。恐らく、クドカンは突っ走り過ぎて、マニアではない普通の人を置き去りにしているのでしょう。その意味で、クドカンこそは文字通り、現代の日本エンタメ界の「韋駄天」であることは間違いありません。

2.大森兵蔵と安仁子

さて、東京高等師範校長(にして講道館館長)嘉納治五郎(役所広司)に協力して、「大日本体育協会」を運営しているのが、大森兵蔵(おおもりひょうぞう)(竹野内豊)と安仁子(シャーロット・ケイト・フォックス)の夫妻です。ドラマの中では、アメリカ帰りの兵蔵が思わず英語を口走り、安仁子が日本語に翻訳し直すという、まるでコントを見ているような、頓珍漢な場面が頻発します。

ドラマの主人公、金栗四三(かなくりしそう)(中村勘九郎)のストックホルム五輪出場が決まるや、安仁子が英会話とマナーの特訓をするのですが、四三を「フォーティスリー!/Forty-Three!」と呼び、東京高師助教授の可児徳(かにいさお)(古舘寛治)を「ミスター・クラブ!/Mr.Crab!」と呼ぶのです。古舘の顔が本当に「蟹」のように見え始めます。

大森兵蔵は日本初のオリンピック代表チームの監督となります。彼は同志社普通校(同志社大学)、東京商業学校(一橋大学)を中退して渡米、スタンフォード大学、国際YMCAトレーニングスクールを卒業して、東京YMCA初代体育主事となった人物です。バスケットボールとバレーボールを日本に導入したのも大森です(因みに、可児徳はドッヂボールを日本に導入した人物です)。

大森安仁子こと、アニー・シェプリーは兵蔵と結婚した時、既に50歳で、兵蔵は19歳も年下でした(Ch・K・フォックスは若くて綺麗過ぎです)。ドラマの中でも、永井道明(ながいどうめい)(杉本哲太)と可児徳の二人が、「あの出しゃばり女め!」「何でも兵蔵はあの女のハウスボーイだったらしいですよ」「ハウスボーイって何だ?」「小僧ですよ!」「道理で尻に敷かれているはずだよな!」と陰口を叩く場面があります。ところが何と、衝立(ついたて)の向こうには大森夫妻がいて、何もかも筒抜けだったのです。冷や汗を流す二人に、安仁子が憎々しげな表情で「何にも、聞こえませんでした!」と怒鳴る所は抱腹絶倒の名場面でした(この時、兵蔵が咳き込んでいるのは、後々の伏線です)。

大森夫妻は私財を投じて、貧困のため学ぶことの出来ない子どもたちのための教育と生活文化向上のための施設「有憐園」を、淀橋区柏木(現・西新宿8丁目)に開設します。日本のセツルメント事業の草分けです。

大森夫妻はクリスチャンでしたが、欧米の信仰や文化を一方的に押し付ける人たちでは無かったようです。ですから、兵蔵が英語を口走るとか、安仁子のマナー教室に四三が疲れ果てるとか、それは飽く迄、コントのネタです。何しろ、安仁子は日本文化にも造詣が深く、64歳の時には「紫式部日記」「和泉式部日記」「更級日記」を併せて英訳し(土居光知と共訳)、それは後に米国で出版されているのです(「Diaries of Court Ladies of Old Japan」)。

3.日本の走るコース

「韋駄天」はヒンドゥー教の軍神「スカンダ/Skanda」が仏教に入って来たものです。スカンダは常に雷神インドラをライバル視していて、決着をつけるため、二人はカイラス山の周りを走って競争するのです。恐らく、この話から「足の速い人」のことを「韋駄天」と呼ぶように成ったのでしょう。

西洋で「韋駄天」と言えば、ギリシア神話の「アキレウス/Achilleus」でしょうか。トロイア戦争の形勢を逆転させた英雄ですが、弱点の踵(かかと)を、敵将パリスの弓で射抜かれて(アキレス腱)、壮烈な戦死を遂げます。そこで思い出されるのが「アキレスと亀」というゼノンのパラドックスです。この世で最も歩みの遅い亀と、最も速いアキレスが徒競走をするのですが、ハンデを貰って先の地点から出発した亀を、アキレスは永遠に追い抜くことが出来ないという数学上のパラドックスです。

アキレスでは無いにせよ、猛ダッシュで西欧文明に追い付こうとした明治日本、戦後日本ですが、未だに追い付けないでいるように思います。何だか、私たちは当初から、自分の走るべきコース(走路)を間違えてしまっていたような気がしてならないのです。

牧師 朝日研一朗

【2019年3月の月報より】

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2019年02月19日

2月第4主日礼拝

       2月24日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 幸せを探す人の幸せ音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 11章1〜13節(p.127)
讃 美 歌  27、5、490、66、343、24
交読詩編  詩編147編1〜11節((p.164)

・讃美歌練習(3月の月歌:23番)  礼拝後     礼拝堂

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2019年02月18日

頂き物のお裾分け【Tコリント4:6〜13】

聖句「…いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなったような顔をして高ぶるのですか。」(4:7)

1.《屑と滓》 パウロはキリストの使徒たる自らの有様を「見世物」に譬えています。これは彼の「自虐ネタ」です。コリントの信徒たちに対しては、痛烈な皮肉と成っています。何しろ使徒は侮辱され迫害され、罵られた上に、汚い「ゴミ屑」や「汚物」のように蔑まれているのです。これは、パウロ自身が体験した恥辱の数々、悲しみと悔しさから滲み出た言葉です。

2.《別れ道》 公衆の面前で受ける耐え難い屈辱も「キリストのために」生きることなのだと言うのです。普通なら、怨念に囚われてしまうでしょう。しかし、それを契機として、十字架(謙遜と従順の世界)を目指すのが、本当の信仰です。自分を侮辱した者を「見返してやろう」と現世的成功を追求する伝道者、「終末の日には見てろよ」と復讐心から来る価値の摩り替えに溺れてしまうキリスト者の、何と多いことでしょう。怨念と復讐心では人は救われません。自らの救いに酔い痴れる優越感は、その傲慢さ故「地獄行き超特急」です。

3.《死刑囚》 パウロは使徒を「死刑囚」にも譬えています。ローマの闘技場の試合に赴く剣闘士「死に行く者たち/モリツリ」かも知れません。あるいは、お昼休みの座興に公開処刑される重罪人かも知れません。パウロが繰り返し「高ぶるな」と命じているように、死ぬべく運命づけられているのは使徒たちだけではありません。コリントの信徒たちは、自分たちが何か特別な存在にでもなったと思い込んで、すっかり「金持ち」「王様」気分なのです。しかし、本当に救われている人は「救われている」ことを自慢したりしません。他の人を見下して「未だ救われていない」等と言ったりしないのです。私たちは値無く、無条件に頂いた神の愛を、共に生きる人たちにお裾分けすれば良いのです。

朝日研一朗牧師

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2019年02月12日

2月第3主日礼拝

       2月17日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 頂き物のお裾分け=@音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  コリントの信徒への手紙T 4章6〜13節(p.303)
讃 美 歌  27、5、490、9、214、24
交読詩編  詩編147編1〜11節((p.164)


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2019年02月11日

人に従うよりも、神に従う【使徒言行録5:27〜32】

聖句「ペトロとほかの使徒たちは答えた。『人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。』」(5:29)

1.《建国記念日》 戦前の「紀元節」です。初代天皇とされる神武天皇が即位したのが紀元前660年2月11日だと言うのです。縄文時代末期とも弥生時代前期とも言われる(日本では)先史時代です。勤労感謝の日が「新嘗祭」(宮中の収穫祭)であるように、日本の祝日は皇室祭祀の大祭をベースにしている「祭日」が多く、戦前は各家庭で日の丸を掲げるよう指導された「旗日」でした。

2.《信教の自由》 キリスト教会が2月11日を「信教の自由を守る日」として守っているのは、戦前、神社参拝を強制され、礼拝においても「宮城遥拝」を強要された苦い歴史があるからです。それどころか、自ら進んで教団統理が伊勢神宮(天皇家の氏神)に参拝しました。朝鮮の朱基徹牧師が「神社参拝は偶像礼拝」と主張した時には、教団から「神社は宗教ではない」と説得に出向いたりしています。自らの命を賭して抵抗した牧師や教派を切り捨てて、宗教団体としての生き残りを図ったのです。その罪の歴史を忘れてはなりません。

3.《神への従順》 後にスコットランド改革派教会の牧師となるグッドマンは、メアリー1世の迫害を逃れて大陸に亡命します。暴君の支配する祖国に思いを馳せながら、信仰者は政治権力と如何に対峙すべきかを考えました。古来、教会では、君主は神が立てたという教説の故に、君主に対する「受動的服従」を教えて来ましたが、彼は「人に従うよりも神に従う」の聖句から「積極的抵抗」を主張しました。君主と言えども、不敬虔、不信仰であるならば抵抗すべきなのです。私たちは弱い存在ですから、強大な政治権力に負けてしまうかも知れません。しかし、負けてしまっても何も気付かないよりマシです。その苦い挫折が、いつか私たちを、使徒ペトロのようにしてくれることでしょう。

朝日研一朗牧師

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2019年02月05日

2月第2主日礼拝

       2月10日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 人に従うよりも、神に従う音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  使徒言行録 5章27〜32節(p.222)
讃 美 歌  27、5、490、503、508、24
交読詩編  詩編147編1〜11節((p.164)

・・・当日の音声録音を聴く
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2019年02月04日

希望はどこから来るのだろう【ローマ15:7〜13】

聖句「希望の源である神が、信仰によって…喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」(15:13)

1.《それでも》 ナチスの強制収容所で4年間を過ごした精神科医、フランクルが、そこでの体験を綴ったのが『夜と霧』です。原題は「それでも人生に然りと言う」です。絶望的な状況にありながら、それでも敢えて人生を肯定するのです。祈りと音楽(感動)とユーモア、この3つが耐え難い苦しみの中にあって、生きる希望を人に与えるのです。この3要素は教会にも与えられています。

2.《希望の源》 収容所では「クリスマスに解放される」という噂が流れて、それが空しく潰えた翌日に大勢の人が死んだそうです。「在り来たりな希望」ではダメなのです。パウロは「教会の希望は神にある」と宣言します。当時の教会では、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者との対立が問題に成っていました。背景には根深い差別と偏見があります。対立の現実を何とかして乗り越えようとする根拠は、信仰にあります。だから、パウロは「互いに相手を受け入れなさい」と説きます。主が私たち罪人を「仲間として迎え入れて」下さったように…。

3.《聖霊の力》 「信じること」は「聖霊の力」、「希望」とは「喜びと平和」です。「満たす」は「プレローマ/充満」です。ストア哲学の用語で、対立する世界を包み込み「一なる世界」を形成するものです。何より聖霊の働きを表わす語です。ユダヤ人の救いのためには、異邦人も救われなければならないのです。救いというものは、自分だけが救われることではありません。それは、むしろ地獄です。私たちが神に期待するのではなく、神が私たちに何を期待して居られるか、それが問題です。私たちが人生に絶望しても、主は私たちに絶望なさっていません。私たちが神に問うのではなく、神が私たちに問うて居られることを覚えましょう。私たちには「受け入れる」という使命があるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:52 | 毎週の講壇から