2019年02月12日

2月第3主日礼拝

       2月17日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 頂き物のお裾分け=@音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  コリントの信徒への手紙T 4章6〜13節(p.303)
讃 美 歌  27、5、490、9、214、24
交読詩編  詩編147編1〜11節((p.164)


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2019年02月11日

人に従うよりも、神に従う【使徒言行録5:27〜32】

聖句「ペトロとほかの使徒たちは答えた。『人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。』」(5:29)

1.《建国記念日》 戦前の「紀元節」です。初代天皇とされる神武天皇が即位したのが紀元前660年2月11日だと言うのです。縄文時代末期とも弥生時代前期とも言われる(日本では)先史時代です。勤労感謝の日が「新嘗祭」(宮中の収穫祭)であるように、日本の祝日は皇室祭祀の大祭をベースにしている「祭日」が多く、戦前は各家庭で日の丸を掲げるよう指導された「旗日」でした。

2.《信教の自由》 キリスト教会が2月11日を「信教の自由を守る日」として守っているのは、戦前、神社参拝を強制され、礼拝においても「宮城遥拝」を強要された苦い歴史があるからです。それどころか、自ら進んで教団統理が伊勢神宮(天皇家の氏神)に参拝しました。朝鮮の朱基徹牧師が「神社参拝は偶像礼拝」と主張した時には、教団から「神社は宗教ではない」と説得に出向いたりしています。自らの命を賭して抵抗した牧師や教派を切り捨てて、宗教団体としての生き残りを図ったのです。その罪の歴史を忘れてはなりません。

3.《神への従順》 後にスコットランド改革派教会の牧師となるグッドマンは、メアリー1世の迫害を逃れて大陸に亡命します。暴君の支配する祖国に思いを馳せながら、信仰者は政治権力と如何に対峙すべきかを考えました。古来、教会では、君主は神が立てたという教説の故に、君主に対する「受動的服従」を教えて来ましたが、彼は「人に従うよりも神に従う」の聖句から「積極的抵抗」を主張しました。君主と言えども、不敬虔、不信仰であるならば抵抗すべきなのです。私たちは弱い存在ですから、強大な政治権力に負けてしまうかも知れません。しかし、負けてしまっても何も気付かないよりマシです。その苦い挫折が、いつか私たちを、使徒ペトロのようにしてくれることでしょう。

朝日研一朗牧師

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2019年02月05日

2月第2主日礼拝

       2月10日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 人に従うよりも、神に従う音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  使徒言行録 5章27〜32節(p.222)
讃 美 歌  27、5、490、503、508、24
交読詩編  詩編147編1〜11節((p.164)

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2019年02月04日

希望はどこから来るのだろう【ローマ15:7〜13】

聖句「希望の源である神が、信仰によって…喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」(15:13)

1.《それでも》 ナチスの強制収容所で4年間を過ごした精神科医、フランクルが、そこでの体験を綴ったのが『夜と霧』です。原題は「それでも人生に然りと言う」です。絶望的な状況にありながら、それでも敢えて人生を肯定するのです。祈りと音楽(感動)とユーモア、この3つが耐え難い苦しみの中にあって、生きる希望を人に与えるのです。この3要素は教会にも与えられています。

2.《希望の源》 収容所では「クリスマスに解放される」という噂が流れて、それが空しく潰えた翌日に大勢の人が死んだそうです。「在り来たりな希望」ではダメなのです。パウロは「教会の希望は神にある」と宣言します。当時の教会では、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者との対立が問題に成っていました。背景には根深い差別と偏見があります。対立の現実を何とかして乗り越えようとする根拠は、信仰にあります。だから、パウロは「互いに相手を受け入れなさい」と説きます。主が私たち罪人を「仲間として迎え入れて」下さったように…。

3.《聖霊の力》 「信じること」は「聖霊の力」、「希望」とは「喜びと平和」です。「満たす」は「プレローマ/充満」です。ストア哲学の用語で、対立する世界を包み込み「一なる世界」を形成するものです。何より聖霊の働きを表わす語です。ユダヤ人の救いのためには、異邦人も救われなければならないのです。救いというものは、自分だけが救われることではありません。それは、むしろ地獄です。私たちが神に期待するのではなく、神が私たちに何を期待して居られるか、それが問題です。私たちが人生に絶望しても、主は私たちに絶望なさっていません。私たちが神に問うのではなく、神が私たちに問うて居られることを覚えましょう。私たちには「受け入れる」という使命があるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:52 | 毎週の講壇から