説 教 息の長い生き方をしよう=@

聖 書 出エジプト記 6章2〜9節(p.101)
讃 美 歌 27、23、490、527、310、25
交読詩編 詩編24編1〜10節(p.29)
・定期教会総会 正午〜午後3時 階下ホール
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標語 『求道〜道を尋ね求める〜』
主よ、あなたの道をわたしに示し、あなたに従う道を教えてください。
(詩編25章4節)
聖句「正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」(4:7)
1.《町田樹選手》 2014年のフィギュアスケート世界選手権で、町田選手は「エデンの東」の演技で自己最高得点を弾き出しました。大会終了後の記者会見で、彼は「ティムシェル/汝、治むる事を能ふ」を「自分の運命は自分で切り拓く」と解釈したと言って話題になりました。「ティムシェル」はヘブライ語で、スタインベックの原作『エデンの東』のキーワードです。
2.《エデンの東》 前半はアダム・トラスクの「受難物語」です。出生直後に母を亡くし、暴君の父や気性の荒い異母弟に振り回され、キャシーとの結婚も破局を迎えます。彼女は美人で聡明ですが、その魂は歪んでいて、アダムの弟を誘惑して双子を出産、しかも、その子たちを捨てて出奔するのです。そんな中、アダムは親友サミュエル、中国人の使用人リーと共に聖書の学びを続け、「カインとアベル」の物語から人間の原罪について考えます。リーは、人間には罪を治めることが出来る、選びの可能性が与えられていると教えるのでした。
3.《戸口に罪が》 ジェームズ・ディーン主演の映画『エデンの東』は、その後日譚です。成長したアダムの息子たちの確執が「カインとアベル」の物語を下敷きにして描かれるのです。愛されない者が抱く怒りが復讐心を呼び、その復讐心が罪をもたらすのです。「創世記」4章には、神がカインの献げ物を選ばれなかった理由は明記されていません。私たちの人生も、そのような謎に満ちているのです。聖書は私たちに謎を提示するのであって、答えを与えてくれるのではありません。むしろ、謎に直面した時、そこに岐路が生まれるのです。神、人、世の中を恨んで生きるのか、それとも出来る限り前向きに生きようとするのか…。私たちを罪の呪縛から解き放つのが、イエスさまの十字架です。
朝日研一朗牧師
2月の日曜日朝、教会に集まって来た子どもたちと雪を作りました。 (粉に水を混ぜ雪を作る実験玩具です)
雪だるまフィギアに目と口を書き、瓶に詰めてちょっとした雪の世界。
聖句「わたしはぶどう園を与え、アコル(苦悩)の谷を希望の門として与える。そこで、彼女はわたしにこたえる。」(2:17)
1.《トルストイ》 帝政ロシア時代の文豪、レフ・トルストイはキリスト教信仰篤い作家として知られていますが、ロシア正教会からは破門されています。ロシア正教会が皇帝や支配階級と癒着して、貧しい民衆を圧迫していることを批判したからです。更にトルストイは、ドゥホボール教徒(プロテスタントにも似た分離派)を支援するために『復活』の印税を全て使ってさえいるのです。
2.《イワンの死》 トルストイの中編小説『イワン・イリッチの死』は、中央裁判所の判事にまで昇進し、家族も円満、友人にも恵まれ、立派な新居も完成間近の45歳の男が、突然「死に至る病」に直面する物語です。迫り来る死の不安の中で、イワンは孤独と絶望感、自己嫌悪に責め苛まれます。彼の成功の人生が単なる虚飾に過ぎなかったこと、それがあるがために却って、彼自身を苦しめていることを、トルストイは見事に描き出しています。19世紀に書かれた小説なのですが、イワンの苦悩は21世紀に生きる私たちと変わりません。
3.《開かれた門》 ホセアは紀元前8世紀の北王国の預言者です。神の召命によって「淫行の女」ゴメルと結婚しますが、彼女は別の男たちの子どもを3人産むのでした。恐らく、ゴメルは異教の大地豊穣を司る巫女(神殿娼婦)だったのでしょう。姦通した女性は石打ちで殺される時代です。不妊や料理の不出来を理由に女性が離縁される時代です。にも拘わらず、ホセアはゴメルを心から愛していたので、売り飛ばされた彼女の身請けさえするのです。ここに主なる神の深い愛が表現されているのです。その愛の故に、神さまはアカン一族が石打ちで処刑された「アコルの谷」、死の谷を「希望の門」へと変えて下さるのです。私たちにとっては、それこそが御子イエスの十字架です。
朝日研一朗牧師
聖句「まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。」(12:6)
1.《離農者たち》 1930年代の米国中南部では、世界恐慌と機械化、乱開発と環境破壊が招いた砂嵐によって、何十万人もの離農者が出ました。スタインベックの『怒りの葡萄』は、カリフォルニアを目指すオクラホマ農民の一家の苦難を描いた物語です。過酷な旅の途中で老人たちは死に、若者は失踪します。漸く辿り着いた新天地でも、資本家の搾取や洪水が一家を襲うのです。
2.《人間圧搾機》 暗澹たる『怒りの葡萄』が発表当時、北米でベストセラーに成ったのは聖書の物語だからです。物語の骨格は「出エジプト記」ですし、題名も「ヨハネの黙示録」14章から来ています。大鎌を手にした「収穫の天使」サリエルが「神の怒り」によって発動し、罪人を刈り取って、搾り桶に入れて踏み付けると大量の血液が葡萄汁のように流れ出るというグロテスクな描写です。「ワインプレス」ならぬ「人間プレス」です。しかし、スタインベックの小説では、踏み付けにされた葡萄(農民たち)が怒り、社会を告発しているのです。
3.《十字架の血》 譬え話の葡萄園の主人は神さまですから、レンタル料も無く、葡萄園を農夫たちに貸し与えています。しかし「収穫」を受け取ろうと、僕たち(預言者)を遣わしますが、迫害されたり殺されたりします。最後に独り子を送りますが、農夫たちに殺害されて捨てられるのです。神の求める「収穫」は金銭でも財産でも、業績でもありません。「信仰の実り」です。だから、主人は僕たちが殺されても、農夫たちが悔い改めるのを辛抱強く待ち続けていたのです。無料で貸し与えられた「葡萄園」とは、私たちに与えられた人生です。イエスさまの犠牲の血による「収穫」は、神にとって怒りと悲しみに溢れていたはずです。聖餐の度に、私たちも「怒りの葡萄」を味わい知るべきです。
朝日研一朗牧師