2019年03月11日

怒りの葡萄【マルコ12:1〜12】

聖句「まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。」(12:6)

1.《離農者たち》 1930年代の米国中南部では、世界恐慌と機械化、乱開発と環境破壊が招いた砂嵐によって、何十万人もの離農者が出ました。スタインベックの『怒りの葡萄』は、カリフォルニアを目指すオクラホマ農民の一家の苦難を描いた物語です。過酷な旅の途中で老人たちは死に、若者は失踪します。漸く辿り着いた新天地でも、資本家の搾取や洪水が一家を襲うのです。

2.《人間圧搾機》 暗澹たる『怒りの葡萄』が発表当時、北米でベストセラーに成ったのは聖書の物語だからです。物語の骨格は「出エジプト記」ですし、題名も「ヨハネの黙示録」14章から来ています。大鎌を手にした「収穫の天使」サリエルが「神の怒り」によって発動し、罪人を刈り取って、搾り桶に入れて踏み付けると大量の血液が葡萄汁のように流れ出るというグロテスクな描写です。「ワインプレス」ならぬ「人間プレス」です。しかし、スタインベックの小説では、踏み付けにされた葡萄(農民たち)が怒り、社会を告発しているのです。

3.《十字架の血》 譬え話の葡萄園の主人は神さまですから、レンタル料も無く、葡萄園を農夫たちに貸し与えています。しかし「収穫」を受け取ろうと、僕たち(預言者)を遣わしますが、迫害されたり殺されたりします。最後に独り子を送りますが、農夫たちに殺害されて捨てられるのです。神の求める「収穫」は金銭でも財産でも、業績でもありません。「信仰の実り」です。だから、主人は僕たちが殺されても、農夫たちが悔い改めるのを辛抱強く待ち続けていたのです。無料で貸し与えられた「葡萄園」とは、私たちに与えられた人生です。イエスさまの犠牲の血による「収穫」は、神にとって怒りと悲しみに溢れていたはずです。聖餐の度に、私たちも「怒りの葡萄」を味わい知るべきです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:53 | 毎週の講壇から