2019年04月30日

5月第1主日礼拝

       5月 5日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 信仰のパントマイム=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 6章1〜4節(p.9)
讃 美 歌  27、36、490、496、566、78、28
交読詩編  詩編102編13〜19節(p.114)

・青空カフェ      礼拝後      玄関バルコニー

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2019年04月29日

おびえる心の真ん中に【ヨハネ20:19〜23】

聖句「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち…。」(20:19)

1.《呼吸家》 加藤俊朗は独自の健康呼吸法を普及して「呼吸家」を自称なさっています。ある時、詩人の谷川俊太郎から、マザー・テレサの額入り生写真を貰って、事務所に掛けていると、マザーが現われて「キリストさん」を紹介してくれたと言います。「キリストさん」は彼に「呼吸に愛を入れなさい」と教えてくれ、以来、左の掌に愛の指文字を書いて呼吸するとのことです。

2.《不偏心》 東方正教会には「ヘシュカム」という祈りの身体技法があり、修道士は独自の呼吸法と座法によって祈ります。但し、ヨーガや座禅が技法だけ利用されて、中身の信仰が疎かにされているのと違い、大切なのは、そこで唱えられる「イエスの祈り」です。カトリックにも「サダナ」という呼吸瞑想法がありますが、その基本はロヨラの『霊操』です。「霊操」の「不偏心/indifferentia」とは「区別しない心」です。病気より健康を、貧困より裕福を、不名誉よりも名誉を求める私たちの価値判断は、被造物に偏っているのです。

3.《息吹き》 弟子たちは「恐怖/フォボス」に囚われています。「ユダヤ人恐怖症」として描かれています。自身もユダヤ人ですから、一種の自閉症です。エルサレム入城の時には得意満面だったのですが、今は自らの弱さ小ささ、ダメさ加減に打ちのめされています。しかし、そんな時に初めて、私たちは神の働きに気付かされるのです。復活の主は「真ん中に」立って、彼らに愛と赦しを宣言されます。復活のイエスさまにとっては、生と死、罪人と義人、信者と不信者、何の「区別」もありません。主が息を吹き込まれると、窒息寸前だった弟子たちは風船が膨らむように希望で満たされます。彼らは死からも、この世の生からも自由にされたのです。「主は生きて居られる」のですから。

朝日研一朗牧師

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2019年04月28日

炎と怒りの時代に

1.神殿と商人

今年の4月15〜16日、パリのノートルダム大聖堂で大規模な火災が発生し、中央の木造部分から大きな炎が上がり、無残に尖塔が焼け落ちました。丁度「受難週」(カトリックでは「聖週間」)の始まった翌日の事件でもあり、符牒めいた何かが感じられました。

古来「受難週」には、それぞれの日に読むべき聖書記事というものが決められています。それによると、日曜日(棕梠の主日)には「エルサレム入城」、月曜日は「宮清め」、火曜日は「終末の預言」、水曜日は「ベタニアでの塗油、ユダの裏切り」、木曜日(洗足木曜日)は「最後の晩餐、ゲツセマネ、捕縛と審問」、金曜日(受難日)は「ピラトの審問、ユダの死、十字架、埋葬」と成っているのです。

大聖堂に火の手が上がった月曜日は、イエスさまが「神殿から商人を追い出す」場面です。「『わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしてしまった」と、「イザヤ書」56章7節を引用しながら、神殿の境内に陣取った両替商や鳩売りの屋台を蹴り飛ばしての大暴れです。

ノートルダム大聖堂は、年間1300万人もの観光客が訪れる、パリ屈指の名所です。大聖堂再建のための寄付の呼び掛けが始まるや、1週間足らずで、8億5千万ユーロ(約1070億円)もの寄付金が集まりました(4月22日現在)。ルイ・ヴィトンやディオール等を傘下に置くLVMHグループ、グッチ等を有するケリング社、石油会社トタル、保険会社アクサ、BNPパリバ(銀行)のオーナー株主、大富豪が巨額の寄付をしたようです。更には、米国のIT大手アップル社、ディズニー等も協力を申し出ているそうです。

これに対して、国内から不協和音が響いています。貧困問題には何の関心も示さない大富豪たちが、僅か一晩で何億ユーロもの巨額の資金を拠出する事を見せ付けたと言うのです。富の不平等な分配に抗議し、低所得者層の困窮を訴える「黄色いベスト/ジレ・ジョーヌ」の運動の記憶も生々しい中、時を置かずに、こういう現実が露骨に表面化すると、確かに何とも言えない複雑な気持ちに成ります。

2.教会と爆弾

大聖堂は翌朝まで燃え続けました。「受難週」の火曜日は、イエスさまの語られた譬え話、律法学者やファリサイ派との論争、終末の預言を読む日です。

特に「マタイによる福音書」23〜24章には、「小黙示録」と呼ばれるような終末預言が纏められています。「エルサレムのために嘆く」(23章37節〜39節)、「神殿の崩壊を予告する」(24章1〜2節)、「終末の徴」(3〜14節)、「大きな苦難を予告する」(15〜28節)、「人の子が来る」(29〜31節)、「いちじくの木の教え」(32〜35節)、「目を覚ましていなさい」(36〜44節)と続き、「これでもか!」と言うくらいです。

「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」(24章7〜12節)。

すると、4月21日、イースターの朝、スリランカで連続爆破テロ事件が発生してしまいました。3百人以上の死者、4百人以上の負傷者を出しました。爆弾テロの標的と成ったのは、外国人の利用が多い高級ホテルと共に、3つの教会でした。首都コロンボの「聖アンソニー教会」、その北にあるニゴンボの「聖セバスティアン教会」、この西海岸の2つはローマ・カトリック教会でした。東海岸、バッティカロアの「ザイオン教会」は、プロテスタント福音派「ライトハウス」の流れを汲む教会のようです。

2016年12月、カイロの聖ペトロ教会(コプト教会の司教座の置かれた聖マルコ大聖堂に隣接する)では、自爆テロにより25人が死亡、49人が負傷しています。翌2017年4月9日には、タンタの聖ゲオルギウス教会、アレクサンドリアの聖マルコ教会において、45人が死亡、130人以上が負傷しています。イースター1週前の「棕梠の主日」(東方教会では「聖枝祭」)を狙ったテロでした。いずれも「ISIL/アイシル/イスラム国」系の組織による犯行だったようで、決行時期や方法を見ると、今回の事件の雛形のように思われます。

3.不安と覚悟

ノートルダム大聖堂の火災、スリランカの教会に対する自爆テロ、この2つの出来事には直接の関係はありません。けれども、敵対や憎しみや不法の連鎖、宗教施設を利用して商売をする者、宗教対立を利用して敵愾心を煽る偽預言者、愛と寛容の消滅などという、極めて現代的な要素が共通して両者に混在しているように思うのです。

「イザヤ書」66章15節に「見よ、主は火と共に来られる。/主の戦車はつむじ風のように来る。/怒りと共に憤りを/叱咤と共に火と炎を送られる」という預言があります。ドナルド・トランプ大統領の暴露本、『炎と怒り/トランプ政権の内幕』(Fire and Fury: Inside the Trump White House)の題名の出典です。書名の「炎と怒り」の「怒り」は、トランプの制御不能な情緒不安定ぶりを、「炎」は米国の強大な軍事力を表現しています。強大な軍事力(核兵器や細菌兵器を含む)を動かすことの出来る超大国のトップが、歴史上かつて無い程に、情緒不安定で独善的な人物であるという事実は、それ自体が一種のホラーです。

今日、経済や政治、軍事や宗教、テクノロジーや社会制度など、私たちの周りを見ても、不安定な要因が増しているように思います。しかし、こんな邪な時代であれば尚の事、私たちは、覚悟と諦念をもって、キリストの愛を表わして行かなくてはなりません。

牧師 朝日研一朗

【2019年5月の月報より】

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2019年04月23日

4月第4主日礼拝(労働聖日、働く人の日)

       4月28日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 おびえる心の真ん中に=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 20章19〜23節(p.210)
讃 美 歌  27、335、490、522、532、513、26
交読詩編  詩編23編1〜6節(p.29)
※ 役員任職式

・讃美歌練習(5月の月歌:36番)  礼拝後     礼拝堂

・・・当日の音声録音を聴く
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2019年04月22日

イースター

20190421イースター礼拝

イースター礼拝の後、みなさんで記念写真を撮りました。

20190421記念写真

イースター愛餐会です。

20190421イースター愛餐会
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墓守綺譚【ヨハネ20:11〜18】

聖句「マリアは園丁だと思って言った。『あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。…』」(20:15)

1.《七つの顔の男》 片岡千恵蔵演じる探偵「多羅尾伴内」は、色々な職業、面相の人物に変装して潜入捜査をします。そして毎回、クライマックスで犯罪組織のボスに「貴様は誰だ!?」と言われると、「ある時は競馬師、ある時は私立探偵、またある時は画家、ある時は片目の運転手」と列挙、「しかして、その実体は、正義と真実の使徒、藤村大造だ!」と名乗りを挙げ、銃撃戦に突入します。

2.《復活のイエス》 復活の主もまた一筋縄では行きません。ある時には、エマオの旅人の同行者、ある時には亡霊、ある時には岸辺の物乞い、またある時には墓守の園丁です。まるで他の人のようにして御姿を現わされるのです。生前とはすっかり外見が変わってしまっているのです。そうでなくては、こんなに弟子たちが戸惑うはずはありません。パウロは、復活によって「自然の命の体」が「霊の体」に変えられると論じていますが(コリントの信徒への手紙T15章)、何だか彼の言うようには、輝かしくも力強くも無いようです。

3.《最も小さい者》 「園丁、園の番人、園の管理人、庭師」等と訳されますが「墓守」のことです。穢れた場所とされた墓を管理する墓守は賤業とされていました。マグダラのマリアも声を掛けたのが墓守だと思って、キツイ物言いをしています。御生前、弱い立場に置かれた人たち、差別される人たちと共に生きられたイエスさまは、死んで後も、復活された後も、そのような人たちの姿に身をやつして、弟子たちの前に御姿を現わしておられるのです。「マタイによる福音書」25章の「この小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたこと」に通じるものがあります。サン・テグジュペリの「庭師は愛によって、地球のあらゆる土地と、あらゆる樹木に結ばれていた」との言葉も思い出されます。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:55 | 毎週の講壇から

教会学校とイースター

教会学校のこどもたちが植えたチューリップが咲きました。

2019チューリップの花

イースターエッグを作りました。

                                     庭の杏で作った杏酒です。↓

2019イースターエッグ作り
posted by 行人坂教会 at 13:47 | 教会アルバム

2019年04月21日

平和を食べる人は幸せか?

彼女(結城アンナ)と彼女の妹?(小学生)が無邪気に踊りながら、「わたし作る人」と言います。テーブルで待っているボーイフレンド(佐藤佑介)が笑顔で「ボク食べる人」と言います。最後に、三人並んで出来立てのラーメンを食べるのでした。一九七五年、ハウス食品の「シャンメン醤油味」(インスタントラーメン)のテレビ広告です。その当時、「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」から、性的役割分業を固定化する性差別的表現として叩かれたものです。

イエスさまの「山上の説教」の巻頭に置かれている「八福の教え」「真福八端」(ラテン語では「ベアーティテュードー/Beatitudo」と言います)、その七番目の祝福は「平和を実現する人々は、幸いである」です(「マタイによる福音書」五章九節)。むしろ、少し直訳的に「平和をつくり出す人たちは…」「平和をつくる者は…」と訳した方が良いと思います。ギリシア語の「エイレーノポイオス/仲介者、調停者」それ自体が「エイレーネー/平和」と「ポイエオー/つくる、生み出す、創造する」の合成語だからです。

どの翻訳聖書も「つくる」という動詞に力点を置いています。ラテン語訳「ウルガタ聖書」は、平和を「フィンゴー/造り上げる、創造する」人、ドイツ語訳「チューリヒ聖書」は、平和を「フェルティゲン/製造する」人です。フランス語訳「エルサレム聖書」に至っては平和の「アルチザン/職人、熟練工」としています。

多くの英訳聖書では「平和をつくる人」は「ピースメーカー」と訳されます。そこから拝借して、(西部劇でお馴染み)コルト社の45口径6連発回転式拳銃「SAA/シングル・アクション・アーミー」の通称、冷戦時代のコンヴェア社の戦略爆撃機(六発)「B-36」の愛称として使われているのは、何とも皮肉な話です。北米大陸への植民者が圧倒的な武力を用いて彼らの平和を作って来た歴史(卑怯な「飛び道具」から無差別攻撃を意味する「戦略爆撃」に至るまで)を思わされます。

そして改めて「平和をつくる」とは、一体どんなことなのだろうかと考えた時、自然と「わたし作る人、ボク食べる人」という往年のキャッチコピーが思い出されたのです。イエスさまは「平和をつくる人たち」を祝福されましたが、祝福の裏には、必ず呪詛があることを忘れてはなりません。「平和を食べる人たち」「平和を貪る人たち」もいるはずです。もしかしたら、私たちは、したり顔で「平和の尊さ」等を説きながら、その実、自分たちの平和と安逸を貪っているだけなのではないでしょうか。

今と成っては、笑顔で「ボク食べる人」と言って、テーブルで待っているだけの男の子など、如何にも幼稚で依存的にしか見えません。佐藤佑介は「脆弱な美少年」キャラ(『恋は緑の風の中』『スプーン一杯の幸せ』)だったのですが、まさか、私たちに、そんな態度が許されるはずはありません。況して、私たちがイエスさまから召し出されている使命は「ラーメンを作ること」ではなくて「平和をつくること」なのですから。私たちには、身近な所から、人と人とを和解させる務めが与えられているのです。


【会報「行人坂」No.258 2019年4月発行より】

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イースター(復活日)礼拝

       4月21日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 墓守綺譚=@音楽          朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 20章11〜18節(p.209)
讃 美 歌  27、335、490、322、323、77、26
交読詩編  詩編23編1〜6節(p.29)

・イースター愛餐会   記念撮影後〜午後2時予定  階下ホール
  会費:大人500円、小学生300円、未就学児は無料

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2019年04月15日

子ろばに乗って【マタイ21:1〜11】

聖句「弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。」(21:6,7)

1.《ロバは珍獣》 昭和30年代には「ロバのパン屋」の移動販売が一世を風靡しましたが、馬車を牽いていたのはポニーでした。ロバの来日は飛鳥時代に遡りますが、日本で飼育が拡がることはなく、今も珍獣のままです。日本国内のロバは約2百頭です。馬7万頭、山羊2万頭、羊1万7千頭と比べて少な過ぎます。世界中で飼育されているロバが、どうして日本に定着しなかったのでしょう。

2.《ロバは聖獣》 美術の世界では、降誕場面にもエジプトへの逃避の場面にも、傍らにロバの姿が描かれています。聖書的な根拠は「イザヤ書」1章3節です。ロバは、降誕前から、降誕の時にも、降誕後も主と共にいたのです。そして飼い葉桶と十字架は繋がっていて、イエスさまのエルサレム入城に際して再びロバが登場するのです。イエスさまの一行は、エリコからエルサレムまで25キロの距離を歩いて来ましたが、残り1.5キロのベトファゲに来た時、イエスさまがロバを所望されます。入城に際してロバが必要だと思われたのです。

3.《母子のロバ》 メシアはロバに乗ってエルサレムに入るという預言を成就されるためでした。謂わば「メシアの自覚」です。但し、御自分を立派に輝かしく見せよう等という自己演出のためではありません。この時ハッキリと、イエスさまが十字架の死を覚悟されたのではないでしょうか。「マタイによる福音書」では、母ロバと子ロバの2頭が連れて来られるのですが、ギリシア語原文を細かく読むと、どうやら2頭に交互に乗って行かれたようです。「子ロバ」と言っても「4歳以下の雄」という意味です。母子のロバが仲良く奉仕したことに意味があるのかも知れません。この道がゴルゴタに続くことを、弟子たちも群集も知りませんでした。しかし、主の道をロバは知っていたのです。

朝日研一朗牧師

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