2019年04月15日

子ろばに乗って【マタイ21:1〜11】

聖句「弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。」(21:6,7)

1.《ロバは珍獣》 昭和30年代には「ロバのパン屋」の移動販売が一世を風靡しましたが、馬車を牽いていたのはポニーでした。ロバの来日は飛鳥時代に遡りますが、日本で飼育が拡がることはなく、今も珍獣のままです。日本国内のロバは約2百頭です。馬7万頭、山羊2万頭、羊1万7千頭と比べて少な過ぎます。世界中で飼育されているロバが、どうして日本に定着しなかったのでしょう。

2.《ロバは聖獣》 美術の世界では、降誕場面にもエジプトへの逃避の場面にも、傍らにロバの姿が描かれています。聖書的な根拠は「イザヤ書」1章3節です。ロバは、降誕前から、降誕の時にも、降誕後も主と共にいたのです。そして飼い葉桶と十字架は繋がっていて、イエスさまのエルサレム入城に際して再びロバが登場するのです。イエスさまの一行は、エリコからエルサレムまで25キロの距離を歩いて来ましたが、残り1.5キロのベトファゲに来た時、イエスさまがロバを所望されます。入城に際してロバが必要だと思われたのです。

3.《母子のロバ》 メシアはロバに乗ってエルサレムに入るという預言を成就されるためでした。謂わば「メシアの自覚」です。但し、御自分を立派に輝かしく見せよう等という自己演出のためではありません。この時ハッキリと、イエスさまが十字架の死を覚悟されたのではないでしょうか。「マタイによる福音書」では、母ロバと子ロバの2頭が連れて来られるのですが、ギリシア語原文を細かく読むと、どうやら2頭に交互に乗って行かれたようです。「子ロバ」と言っても「4歳以下の雄」という意味です。母子のロバが仲良く奉仕したことに意味があるのかも知れません。この道がゴルゴタに続くことを、弟子たちも群集も知りませんでした。しかし、主の道をロバは知っていたのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:53 | 毎週の講壇から

2019年04月14日

朝日牧師の書評

「信徒の友」5月号に朝日牧師が書評を執筆しています。

「信徒の友」5月号
posted by 行人坂教会 at 15:26 | 教会からのお知らせ

2019年04月09日

4月第2主日礼拝(棕梠の主日)

       4月14日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 子ろばに乗って=@音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 21章1〜11節(p.39)
讃 美 歌  27、335、490、308、296(4〜6)、26
交読詩編  詩編23編1〜6節(p.29)

・・・当日の音声録音を聴く
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2019年04月08日

その人たちの信仰を見る【マルコ2:1〜12】

聖句「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた。」(2:5)

1.《パラリンピック》 英語の「下半身の麻痺した人/パラブリージア」とオリンピックの合成語です。「手術よりもスポーツ」を合言葉にして、英国の病院の競技会から始まりました。ランナーには伴走者、ボッチャには介助者が付くことで障碍や麻痺を持った人も競技をすることが出来るのです。障碍があっても、精神と魂と肉体の力によって、そこから出発して動くことが出来るのです。

2.《体の麻痺した人》 脳卒中の後遺症による麻痺を、昔の人は「中風、中気」と呼びました。「邪気、悪い風に中(あた)った」のが原因と考えたのです。ここで「中風の人」と訳されているのが「パラリュティコス/身体麻痺の、身体不随の人」です。一昔前は「脳卒中は老人の病気」という固定観念があり、聖書事典には「若年性脊髄炎、もしくは脊柱カリエスによる麻痺であろう」と解説されていました。しかし近年では、若年層の脳梗塞や脳出血も事例が多く、医学の常識も入れ替わりました。病因の追究よりも大切なのは「生きること」です。

3.《精神と魂を救う》 イエスさまは先ず「罪の赦し」を宣言されます。当時の人たちは、病因は本人や家族の罪にあると考えていたからです。肉体を癒される前に、精神と魂を癒されたのです。そんな主の御言葉に神学的思弁を費やす律法学者たちとは対照的に、家の屋根を剥がして天井から吊り下げてまで、患者をイエスの御もとに連れて行こうとする人たちがいます。指一本動かさず、座ったままの律法学者を尻目に、主は「彼らの信仰を見た」と書かれています。私たちは4人の奮闘に目を奪われて、患者本人のことを忘れがちです。しかし、御もとに行くことを望んだのは「体の麻痺した人」本人です。4人はサポーターでした。主が御覧になったのは、その中心にいる患者その人です。

朝日研一朗牧師

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2019年04月02日

4月第1主日礼拝(レント第5主日礼拝)

       4月 7日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 その人たちの信仰を見る=@音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  マルコによる福音書 2章1〜12節(p.63)
讃 美 歌  27、335、490、417、296(1〜3)、76、26
交読詩編  詩編23編1〜6節(p.29)

・青空カフェ      礼拝後      玄関バルコニー

・・・当日の音声録音を聴く
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2019年04月01日

息の長い生き方をしよう【出エジプト記6:2〜9】

聖句「モーセはそのとおりイスラエルの人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった。」(6:9)

1.《ブッチャー》 プロレスで悪名を馳せたブッチャーの現役引退セレモニーが行なわれました。「スーダン出身の黒い呪術師」の触れ込みで、アラビア風の衣装で入場、凶器攻撃や毒針エルボーでリングを鮮血に染めたものです。リング名の「アブドーラ」は「アブド/しもべ」+「アッラー」、イスラム教徒の名前の定番です。旧約聖書にも「主のしもべ/アブデー」が何回も出て来ます。

2.《奴隷の労働》 勿論「奴隷」という悪い意味もあります。「厳しい重労働」と訳されているのは「過酷な奴隷状態」です。労働そのものもエジプト人の厭う3K労働をさせられていたのですが、それ以上に、自らの意志や意欲を奪われた奴隷労働の方が残酷なのです。ピラミッド等の巨大建造物建設に駆り出されたという情景は、絵画や映画の作ったフィクションです。しかし、エジプト人の監督に打たれて労働をさせられていたのです。日本の植民者も旧満州国で満人の召使を「躾」と称して叩いたり打ったりして使っていたと聞いています。

3.《神の深呼吸》 モーセはファラオに民の出国を要請しますが、逆ギレしたファラオは更に重い労働を課して「この怠け者が!」と罵ります。モーセは解放の幻、約束の土地の幻も語りますが、民は耳を貸しません。奴隷労働は、働く者たちから魂を半分奪い取ること(シモーヌ・ヴェイユ)なのです。「意欲を失って」は「息が短くなる、魂が削られる」の意味です。モーセは同胞の「息を長く」する必要があったのです。それがエジプトに対する「十の災厄」だったのかも知れません。「しもべ」は「他の誰かのために働く人」のことです。奴隷になることは魂を半分奪われることです。私たちは奴隷にならず、神さまのために仕えて参りましょう。それが魂を取り返す唯一の道なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:54 | 毎週の講壇から