2019年05月06日

信仰のパントマイム【マタイ6:1〜4】

聖句「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。」(6:3,4)

1.《マルセ太郎》 形態模写芸人、マルセ太郎が「スクリーンのない映画館」という独り芝居をしていました。映画を1本そのまま演じてしまうのです。粗筋や結末が分かれば、映画の楽しみは半減するものですが、マルセの芸は却って映画の味わいを深めるものでした。彼の芸によって、私たちの映画を観る意識が変化したのです。聖書と説教(聖書解釈)との関係にも似ているかも知れません。

2.《秘すれば花》 マルセ太郎の芸名はパントマイムのマルセル・マルソーにあやかったものです。パントマイムは能楽の影響も受けています。世阿弥が「秘すれば花、秘せずば花なるべからず」と教えたのにも通じます。イエスさまも「右手の為す事を左手に知らせるな」と仰います。これが「信仰のパントマイム」です。聖書の施しは心情的なものではなく、神との契約、律法の履行です。「貧しい者に手を開く」ことなのです。手を開くのは誰かに援助を提供するため、手を結ぶのは誰かと契約や信頼を繋ぐため、まさに「むすんでひらいて」です。

3.《主の見習い》 ルター研究で知られる石居正己牧師は「信徒の生活はパントマイム伝道、週日、キリスト者は言葉ではなく、生活を通して福音を伝える」と教えています。日常生活、社会生活で私たちに求められているのは、言葉によらぬ証、行為や立ち居振る舞いによる証です。「善行、施し」も福音伝道もチャーミング、粋であるべきです。「パントマイム」、ギリシア語「パントミームス」の語根「ミームス」は「芝居」、「ミーモス」は「見習う、手本にする」です。大工や左官、看護師、戦前の士官にも「見習い」がありました。私たちの見習うべきはイエスさま、私たちの人生は「見習い期間」なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:55 | 毎週の講壇から