2019年06月18日

6月第4主日礼拝

       6月23日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 聴く耳はあるのか=@       朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 8章4〜10節(p.118)
讃 美 歌  27、339、490、53、577、29
交読詩編  詩編33編4〜11節(p.38)

・讃美歌練習(7月の月歌:86番)   礼拝後     礼拝堂

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2019年06月17日

冬があるから花は咲く【イザヤ35:1〜2】

聖句「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ。砂漠よ、喜び、花を咲かせよ 野ばらの花を一面に咲かせよ。」(35:1)

1.《飼い犬の死》 日本の昔話「花咲か爺さん」を御存知でしょう。心の優しい老夫婦が飼い犬の示す所を掘ってみたら、大判小判が出て来ます。隣家の意地悪な老夫婦が犬を借り受け、同じように掘りますが、出るのは瓦や瀬戸片ばかり。無残にも犬は殺されますが、犬の墓の傍らに植えた木が成長して、それで臼を作り、老夫婦が餅を搗くと宝物が出て来ます。意地悪夫婦が同じことをすると汚物が出て来ます。彼らは臼を焚き付けにして灰にしてしまうのです。

2.《塵と灰から》 老夫婦が灰を集めて帰って来ると、夢に犬が現われ、「桜の枯れ木に灰を撒け」と言います。爺さんが灰を撒くと枯れ木が蘇り、花咲き、通り掛かりの殿様から褒美を貰います。死んだ愛犬の遺体が木に、臼に、灰に生まれ変わるのです。そして、その灰が死んだ桜を蘇らせて花を咲かせるのです。灰は死んでしまった大切な誰かです。大切な人を喪った悲しみのシンボルです。けれども、その悲しみの灰が次に新しい命を与えてくれるのです。命は塵と灰から生まれます。本当の命は悲しみの中から生まれるのです。

3.《薔薇の名前》 聖書の神さまは、まるで「花咲か爺さん」です。半世紀もバビロンに捕らわれていた民が故国に帰還する、その旅路を、花を飾って、喜び迎えて下さるのです。花は喜びや悲しみの共感を示すのです。「野ばら」と訳されていますが、サフラン、クロッカス、水仙、百合とも訳されます。球根植物も種から始まります。種から育てると開花までに数年かかります。絵本作家のターシャ・テューダーは「冷たい冬があるから、美しい花が咲くのよ」と言います。私たちの人生にも凍える冬の季節、灰と塵に塗れて悲しみに沈む日があります。しかし、だからこそ、新しい命に目覚める日が来るのです。

朝日研一朗牧師

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2019年06月11日

6月第3主日礼拝(子どもの日・花の日)

       6月16日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 冬があるから花は咲く=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  イザヤ書 35章1〜2節(p.1116)
讃 美 歌  27、339、62、U26、173、29
交 読 文 

・・・当日の音声録音を聴く
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2019年06月10日

孤児の叫びに応える霊【ヨハネ14:15〜24】

聖句「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」(14:18)

1.《あしなが》 昭和30年代には、交通事故死者数が年間1万人を超えて「交通戦争」と呼ばれました。そんな中で「交通遺児支援あしなが運動」を始めたのが玉井義臣と岡嶋信治のお二人です。お二人の家族も暴走車や酔っ払い運転の犠牲に成っているのです。現在「あしなが育英会」は、病気や災害、自死によって親を亡くした子どもたちを肌理細やかに援助する活動を展開しています。

2.《孤児物語》 「あしなが」とは、ウェブスターの児童文学『あしながおじさん』から来ています。思えば、19〜20世紀の児童文学は「孤児文学」でもあったのです。『アルプスの少女ハイジ』『赤毛のアン』『秘密の花園』『小公女』『トム・ソーヤーの冒険』『オリバー・ツイスト』…『ハリー・ポッター』シリーズに至るまで、主人公は皆、親を亡くした子どもたちです。Ch・ブロンテの『ジェーン・エア』も孤児です。『レ・ミゼラブル』のコゼットも、孤児として虐待されているのをジャン・ヴァルジャンに救い出されるのでした。

3.《愛する霊》 ペンテコステは「聖霊降臨節」ですが、私たち自身も、聖霊についてはよく分からないのです。むしろ、正直に「よく分からない」と言うべきなのです。神の御心を何もかも分かっているかのように嘯く者の方が、却って不敬虔です。よく分からないからこそ、信じるのです。イエスさまは弟子たちに、聖霊(パラクレートス/助け手、慰め手、弁護者)を送って、「あなたがたを孤児のままに捨て置かない」と約束なさいました。つまり、ネグレクト(育児放棄や虐待、愛さないこと)の反対なのです。孤児(寄る辺ない思いに苦しむ者)を受けて入れて、我が子として愛することです。

朝日研一朗牧師

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ペンテコステ礼拝

ペンテコステ礼拝です。

20190610ペンテコステ礼拝
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2019年06月04日

ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝

       6月 9日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 孤児の叫びに応える霊=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 14章15〜24節(p.197)
讃 美 歌  27、339、490、341、352、80、29
交読詩編  詩編33編4〜11節(p.38)

・ペンテコステ愛餐会     礼拝後       階下ホール
 メニュー:鉄板焼きそば、会費:無料(カンパ大歓迎)

・・・当日の音声録音を聴く
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2019年06月03日

す巻きにして海に沈めろ!【マルコ9:42〜50】

聖句「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。」(9:42)

1.《コンクリ》 東京湾には、コンクリで固めて沈められた死体が多数あるという都市伝説があります。今でも、死体をセメントで固めて海に沈めて遺棄しようとする犯罪者がいる(尼崎事件)のは事実です。戦前のヤクザ、博奕打ちの世界では「す巻きにして」川や海の中に放り込む習慣がありました。吉原の女郎も掟を破ると、殺された後、荒菰で巻かれて浄閑寺の境内に投げ込まれました。中学生がマットで巻かれて圧死した事件(山形圧死事件)もありました。

2.《身体刑罰》 今から2千年前の中東という時代状況を考えると、ここに語られているのは、単なる譬えではなく、実際に存在した刑罰や処刑法ではないでしょうか。国や地域によっては、今でも窃盗犯に「断手刑/手切り」が行なわれているようです。古代中国では、逃亡罪と偽証罪に「臏刑/足切り」が適用されました。神殿や宮殿の不法侵入者、姦通した女性に「抉眼」を行なった記録もあります。西欧の人権団体は身体刑を「拷問」として反対しますが、公開処刑や身体刑が犯罪抑止力に繋がると信じる人たちは今も存在しているのです。

3.《小さな者》 旧約聖書の世界では、身体に欠損のある者は神殿や聖所に入ることを許されませんでした。神は完全な御方であるから、不完全な者は立ち入るべきではないとされたのです。しかし、イエスさまは「たとえ片手、片足、片目になっても天国に入ることが出来る」と主張されているのです。むしろ、天国に入れないのは、身体障碍のある人たちを差別排除する者たちです。「つまずかせる」とは、障碍を理由にして「信じる者の邪魔をする」ことです。それと共に、イエスさまは、私たち自身もまた「小さな者(ミクロン、神の子ども)の一人」とされていることに気付かせてくださるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:50 | 毎週の講壇から