今日のおはなしは何かな?本って、ほんとにおもしろいね。
今日読んでもらった絵本は『やさいのせなか』と『おひさまぽかぽか』でした。

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標語 『求道〜道を尋ね求める〜』
主よ、あなたの道をわたしに示し、あなたに従う道を教えてください。
(詩編25章4節)
今日のおはなしは何かな?本って、ほんとにおもしろいね。
今日読んでもらった絵本は『やさいのせなか』と『おひさまぽかぽか』でした。
聖句「イエスはこのように話して、『聞く耳のある者は聞きなさい』と大声で言われた。」(8:8)
1.《ソローの雨音》 折角のバザー当日が雨天だったりすると、恨めしく思われます。しかし、信仰の立場から言うと「晴れても恵み、降っても恵み」です。米国の詩人、H・D・ソローは生涯を通じて定職に就かず、瞑想を中心にした暮らしを営みました。湖畔の丸太小屋で暮らした時、1日中雨音を聴きながら、遂には自身と雨音とが一体となる体験をするのです。それが「聴く」ことです。
2.《大喜利謎掛け》 「種を蒔く人」の譬え話の後、イエスさまは「耳ある者は聞け」と叫ばれました。弟子たちすら譬え話の意味を理解できないのに、群集に対しては「神の国の秘密」等と仰ると、主が如何にも大衆を見下しているかに思われます。私は「笑点」の「大喜利」で行なわれる「謎掛け」のようなものだったと思います。目先の御利益や興味本位で集まった群衆に「謎掛けのお題」を出したのです。それを持ち帰った人々は、自身の暮らしや人生の中で「神の国」を思い巡らすのです。答えは1つではなく、模範解答や正解もありません。「群集」が「一人一人」に立ち返って、自身の心で御心を捜し求めるのです。
3.《命を投げ出す》 預言者イザヤが召された時の御言葉が引用されています。ユダ王国の民が預言を聞き入れてくれれば本望ですが、それを民が理解するのは国が滅んでからだと、神は言われます。イザヤは「引き裂かれた心」を抱えて活動をするのです。神の心が引き裂かれているのです。イエスさまの目指す所もまた「この世の王国」でなく「十字架」です。「譬え話/パラボレー」は「側に蒔く/パラバルロー」から来ています。中世には「命を賭ける」の意味で使われるようになったと言われています。主は課題を投げ与えられたのみならず、御自身の十字架によって、神の御心を証されたのです。
朝日研一朗牧師
聖句「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ。砂漠よ、喜び、花を咲かせよ 野ばらの花を一面に咲かせよ。」(35:1)
1.《飼い犬の死》 日本の昔話「花咲か爺さん」を御存知でしょう。心の優しい老夫婦が飼い犬の示す所を掘ってみたら、大判小判が出て来ます。隣家の意地悪な老夫婦が犬を借り受け、同じように掘りますが、出るのは瓦や瀬戸片ばかり。無残にも犬は殺されますが、犬の墓の傍らに植えた木が成長して、それで臼を作り、老夫婦が餅を搗くと宝物が出て来ます。意地悪夫婦が同じことをすると汚物が出て来ます。彼らは臼を焚き付けにして灰にしてしまうのです。
2.《塵と灰から》 老夫婦が灰を集めて帰って来ると、夢に犬が現われ、「桜の枯れ木に灰を撒け」と言います。爺さんが灰を撒くと枯れ木が蘇り、花咲き、通り掛かりの殿様から褒美を貰います。死んだ愛犬の遺体が木に、臼に、灰に生まれ変わるのです。そして、その灰が死んだ桜を蘇らせて花を咲かせるのです。灰は死んでしまった大切な誰かです。大切な人を喪った悲しみのシンボルです。けれども、その悲しみの灰が次に新しい命を与えてくれるのです。命は塵と灰から生まれます。本当の命は悲しみの中から生まれるのです。
3.《薔薇の名前》 聖書の神さまは、まるで「花咲か爺さん」です。半世紀もバビロンに捕らわれていた民が故国に帰還する、その旅路を、花を飾って、喜び迎えて下さるのです。花は喜びや悲しみの共感を示すのです。「野ばら」と訳されていますが、サフラン、クロッカス、水仙、百合とも訳されます。球根植物も種から始まります。種から育てると開花までに数年かかります。絵本作家のターシャ・テューダーは「冷たい冬があるから、美しい花が咲くのよ」と言います。私たちの人生にも凍える冬の季節、灰と塵に塗れて悲しみに沈む日があります。しかし、だからこそ、新しい命に目覚める日が来るのです。
朝日研一朗牧師
今日は子どもの日・花の日礼拝でした。
教会学校のこどもたちはプリンカップにお花をアレンジして、ご近所の交番に届けました。
教会の庭にバラが咲いていました。
聖句「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」(14:18)
1.《あしなが》 昭和30年代には、交通事故死者数が年間1万人を超えて「交通戦争」と呼ばれました。そんな中で「交通遺児支援あしなが運動」を始めたのが玉井義臣と岡嶋信治のお二人です。お二人の家族も暴走車や酔っ払い運転の犠牲に成っているのです。現在「あしなが育英会」は、病気や災害、自死によって親を亡くした子どもたちを肌理細やかに援助する活動を展開しています。
2.《孤児物語》 「あしなが」とは、ウェブスターの児童文学『あしながおじさん』から来ています。思えば、19〜20世紀の児童文学は「孤児文学」でもあったのです。『アルプスの少女ハイジ』『赤毛のアン』『秘密の花園』『小公女』『トム・ソーヤーの冒険』『オリバー・ツイスト』…『ハリー・ポッター』シリーズに至るまで、主人公は皆、親を亡くした子どもたちです。Ch・ブロンテの『ジェーン・エア』も孤児です。『レ・ミゼラブル』のコゼットも、孤児として虐待されているのをジャン・ヴァルジャンに救い出されるのでした。
3.《愛する霊》 ペンテコステは「聖霊降臨節」ですが、私たち自身も、聖霊についてはよく分からないのです。むしろ、正直に「よく分からない」と言うべきなのです。神の御心を何もかも分かっているかのように嘯く者の方が、却って不敬虔です。よく分からないからこそ、信じるのです。イエスさまは弟子たちに、聖霊(パラクレートス/助け手、慰め手、弁護者)を送って、「あなたがたを孤児のままに捨て置かない」と約束なさいました。つまり、ネグレクト(育児放棄や虐待、愛さないこと)の反対なのです。孤児(寄る辺ない思いに苦しむ者)を受けて入れて、我が子として愛することです。
朝日研一朗牧師