2019年07月16日

7月第3主日礼拝

       7月21日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 仕えるために生きる=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  マルコによる福音書 10章35〜45節(p.82)
讃 美 歌  27、86、490、415、487、88
交読詩編  詩編22編25〜32節(p.28)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年07月15日

誰を真ん中にするか【ルカ6:6〜11】

聖句「イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に、『立って、真ん中に出なさい』と言われた。その人は身を起こして立った。」(6:8)

1.《レイアウト》 所謂「ブレグジット/EU離脱問題」で揺れる英国議会の映像を見ていて、議場が対面型であることを意識しました。二大政党制を前提に、徹底的に議論するのに最適のデザインです。米国の連邦議会や日本の国会は半円型です。また、中国の全人代や北朝鮮の最高人民会議は教室型(劇場型)です。これは指導者の唱える方針を受け取るためのデザインです。

2.《ファリサイ》 「安息日/シャバット」は「仕事を休む/シャーバト」という動詞に由来します。労働を離れて心身を養い、神に思いを向け、命の意味を見詰める時です。労働に取り憑かれると、却って命の価値が見失われるのです。しかし、ファリサイ派はその律法厳守(正しいこと)を、他の人たちにまで押し付けようとしました。「ファリサイ」とは「分離された者」の意味で、延いては「聖なる者、正しい者」のことです。真宗大谷派の僧侶、瓜生崇は「カルトの問題は正しさへの依存」と定義しています。人間が真実を求めて行くならば、むしろ迷いながら、時には間違いを犯しながら歩くのが本当なのです。

3.《信仰の中心》 当時のシナゴーグは、奥に聖書の巻物を納めた「聖櫃」、その前に「講壇」、主要メンバーの上席「モーセの座」と成っていました。ファリサイ派や律法学者は「上席」を巡って、激しい鍔迫り合いを繰り広げていました。そんな中、イエスさまは隅の末席に追い遣られていた「手の萎えた人」を「真ん中に」、講壇の前へ招かれたのです。いつの世も、人間が身分や階級、経済階差、功績の有無などによって勝手な序列を決め、それが社会に分断をもたらしています。しかし、イエスさまは、弱くされた人を「真ん中」に取り戻すことで、信仰(義認)の内実を訴えられたのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:53 | 毎週の講壇から

2019年07月09日

7月第2主日礼拝

       7月14日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 誰を真ん中にするか=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 6章6〜11節((p.112)
讃 美 歌  27、86、490、550、484、88
交読詩編  詩編22編25〜32節(p.28)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年07月08日

思い通りにならなくても【イザヤ55:8〜11】

聖句「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり/わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。」(55:8)

1.《新島とヘッセ》 2013年の大河ドラマ『八重の桜』の中で、スイス滞在中の新島襄が呼吸困難に陥り、遺言を書く場面がありました。その後、持ち直して膏薬を貼り、旅行を続けたようですが、その滞在中にK・O・J・ヘッセ牧師を訪ねています。そこに同席したのが、当時7歳のヘルマン・ヘッセでした。ヘッセは第一次大戦の時、反戦平和を標榜して迫害されますが、同胞の捕虜のために「慰問文庫」を設立して送る活動に従事しているのです。

2.《アウグスツス》 その「慰問文庫」の1冊が童話「アウグスツス」です。結婚後すぐに未亡人となった女性が出産します。それでも母親は子どもの幸せを願って「誰もがお前を愛さずにはいられないように」と願を掛けます。少年は美しく成長し、皆から愛されますが、次第に我儘で高慢に成り、やがて放蕩と歓楽に身を持ち崩します。絶望した青年は「今度は、ぼくが人々を愛せるように」と願を掛けるのです。すると、これまで彼を愛した人々からは憎まれ、投獄され、出獄した後も蔑まれます。しかし彼は、自らの溢れる愛と喜びを出会った人々に注いで行く、そんな巡礼のような生涯を全うするのです。

3.《愛することを》 人生は思い通りになりません。「アウグスツス」は「小児的全能感」を思わせます。私たちは皆、試行錯誤を繰り返しながら成長し、自と他の区別、善悪の区別が出来るようになります。自分の思い通りにしようとすることは、人間の罪ではないでしょうか。例えば、自然をコントロールしよとするのは傲慢です。「お言葉通りに」「御心のままに」と、神の御前にひれ伏していくのが人間の在り方ではないでしょうか。神さまのデザインと流儀にお委ねしては如何でしょうか。そこに幸福と救いがあるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:51 | 毎週の講壇から

2019年07月07日

スイカ割り

今日はみんなでスイカ割りをしました。とってもおいしかったよ!

20190707スイカ割り

20190707スイカ割り
posted by 行人坂教会 at 18:53 | こどもの教会「あんず」

2019年07月06日

旭日亭菜単(続き)その52

  • 「怪獣」(岡本綺堂著、中公文庫)
    時代劇作家の「怪獣物」と言うと、宮部みゆきの『荒神』のような式神が出て来るものと期待してしまいますが、飽く迄も「怪しげな獣」なのです。「恨の蠑螺」はサザエ、「岩井紫妻の恋」は狐、「深見夫人の死」は蛇、「夢のお七」は鶏です。「海亀」「鯉」「鼠」等、題名がそのものズバリの短篇もあります。明治時代に成ってから「実は、御一新の前の話ですが…」と語られるパターンが特徴的で、杉浦日向子の漫画を思い出したりします。不思議な話が、ただ不思議なまま終わってしまうことも多く、人を怖がらせるのが目的の「怪談」ではなく、「怪譚」という風情です。でも「海亀」が結構怖かったな。妖怪事典に出て来る「和尚魚」「海和尚」です。だから、アオウミガメは別名「正覚坊」と言うのですね。でも、ここに出て来るのはアカウミガメなのですが…。
  • 「死者の百科事典」(ダニロ・キシュ著、山崎佳代子訳、創元ライブラリ)
    表題作は、父を亡くしたばかりの女性が、旅先の図書館で、世界中の無名の死者の生涯を綿密に綴った書物に出会い、父親の項目を読み耽るという幻想的な話です。しかも、作者の後書きによると、生者死者を問わず全人類のデータをマイクロフィルムに記録しようとする保管庫がソルトレーク市に実在していると言うのです。モルモン教徒が系譜学に対する信仰の故に収集事業を続けているのだとか…。ダニロ・キシュはユーゴスラビアのユダヤ人です。クルアーン「洞窟の章」から採られた「眠れる者たちの伝説」、「シオン賢者の議定書」(ユダヤ人による世界支配の陰謀が記載された、所謂「プロトコル」)の成立を揶揄と皮肉で描き切った「王と愚者の書」、加えて「師匠と弟子の話」「未知を写す鏡」もユダヤ教の匂いが濃厚です。しかし、絶対のお薦めは「魔術師シモン」です。アポリネールにも同名の短篇がありますが、ダニロ・キシュは圧巻です。読者は暴力的に投げ跳ばされて、言いようのない悩ましい一夜を過ごすことに成るでしょう。
  • 「玉藻の前」(岡本綺堂著、中公文庫)
    題名からも分かるように金毛九尾の狐、言わずと知れた「殺生石伝説」なのですが、九尾の狐退治の物語それ自体は、単なるエピローグに過ぎません。千枝松と藻(みくず)の幼馴染みが交わす恋物語から始まります。ところが、狐に取り憑かれた少女藻は関白藤原忠通に取り入り、妖艶な「玉藻の前」と成り、天皇の采女(うねめ)に推挙され、朝廷の奥深くにまで喰い込もうという勢いです。対して、千枝松は陰陽師安倍泰親(安倍清明の子孫)の弟子と成ります。こうして妖魔と退魔師の立場に分かれた二人の悲恋こそが、この小説の主眼です。綺堂はゴーチェの「クラリモンド」の日本版をやりたかったみたいです(綺堂は自身で訳して『世界怪談名作集(上)』に編集していますもの)。
  • 「ゴールデンカムイ」第18巻(野田サトル作、集英社)
    自分の目の前で、可愛い我が子が死んでしまった時、大きな事故に遭ってしまった時、重病に倒れてしまった時、親は何もしてやれない自分を責め、こう思うのです。「私が代わりに成るから、この子を助けて欲しい」「どうして私ではなく、何の罪も無い幼い子がこんな目に遭うのか」。遂には、関谷輪一郎のように「本来なら神は自分を罰するべきだ」と、自己処罰(破滅)を目指すのかも知れません(関谷が幼い娘と共に礼拝に通った、木造の小さな教会堂がよく描けています)。それに対して、写真館の長谷川幸一は自分の巻き添えで妻子が死んで、勿論、悲しみますが、自分の属する組織(国家、軍隊)のために邁進します。両者共に人殺しに過ぎませんが、人生観の違いが殺人の動機の違いに表われています。
  • 「母の記憶に/ケン・リュウ短篇傑作集3」(ケン・リュウ著、古沢嘉通他訳、ハヤカワ文庫)
    ケン・リュウの短篇はどれも重い。軽々と他人から手渡された荷物が、自分の腕の中でガクンと重量を増したような、そんな錯覚を感じるのです。表題作は、不治の病を宣告された母親が宇宙旅行(時間停止)を繰り返し続けて、娘の成長を見届けようとする、痛々しい作品です。遠隔操作の兵器オペレーションシステムの開発者を描く「ループのなかで」、自分の魂をアイスキューブ化して冷蔵庫に入れている若い女性の「状況変化」、強い予知能力を持つ女性エスパーが(大量殺人事件を防ぐために)犯人(に成る予定の人物)を殺戮する「カサンドラ」、どの作品でも、余りに複雑な社会、高度な技術の中で、引き裂かれる人間たちの悲鳴が聞こえるのです。「われわれは今やサイボーグ民族なんだ。われわれはずっと前に精神をエレクトロニクスの領域に拡張しはじめた、そしてもはや自身のすべてを個人の脳髄に無理やりもどすのは不可能なんだ」(「パーフェクト・マッチ」)。私たち自身が今や「端末」なのかも知れません。連続殺人犯を追う女性私立探偵を描く「レギュラー」は、サイバーパンクとハードボイルドの融合で、エフィンジャーの『重力が衰えるとき』みたいです。
  • 「法水麟太郎全短篇」(小栗虫太郎著、河出文庫)
    衒学趣味の私立探偵「ノリリン」こと、法水麟太郎の登場する短篇8つが収録されています(矢作俊彦作、谷口ジロー画の『サムライ・ノングラータ』の主役コンビの片割れ、元傭兵「ノリミズ・リンタロー」の出典でしょう)。小栗を読むのは、大学時代に読んだ『黒死館殺人事件』以来です。「後光殺人事件」「聖アレキセイ寺院の惨劇」「夢殿殺人事件」「失楽園殺人事件」と、最初の4作はいずれも宗教絡みです。但し「聖アレキセイ…」はロシア正教会の寺院が舞台で、しかも、トリックは鐘(ロシア正教では「音のイコン」とすら言われる)、容疑者たちも亡命ロシア人たちなのに、ヒロインがカトリックの某女子修道会に属しているのは如何なものでしょう。「オフェリヤ殺し」「人魚謎お岩殺し」は、東西の芝居の薀蓄に溢れています。「人魚謎…」には、畿州公が離れ小島に体格の良い流刑囚の男女を集めて、巨人育成を行なっていたという怪しげな逸話が出て来ますが、江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』に触発されたのでしょうか。
posted by 行人坂教会 at 13:47 | 牧師の書斎から

2019年07月02日

7月第1主日礼拝

       7月 7日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 思い通りにならなくても=@音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  イザヤ書 55章8〜11節節(p.1153)
讃 美 歌  27、86、490、472、504、81、88
交読詩編  詩編22編25〜32節(p.28)

・青空カフェ     礼拝後       バルコニー

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posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年07月01日

少年ジャンプ【ルカ2:41〜52】

聖句「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」(2:49)

1.《理解の糸口》 子ども向けの「偉人伝」には幼少時の逸話が欠かせません。モーツァルトが5歳で作曲した話、アインシュタインが9歳でピタゴラスの定理を証明した話、エジソンの「空飛ぶ薬」やワシントンの「桜の木」等です。才能や資質の賛美である以上に「その後」を予感させる逸話として語られます。その人を理解するための糸口が幼少年期にあると考えられているからです。

2.《奇跡の少年》 2世紀末に成立した新約外典「トマスによるイエスの幼児物語」では、5歳から12歳までのイエスさまの奇跡が描かれます。泥の雀を飛ばしたり、アンナスの息子を呪い殺したり、教師を卒倒させたり、死んだ赤ん坊を生き返らせたり、1粒の麦で大収穫をもたらしたり、荒唐無稽と言っても良い奇跡の数々が描かれています。翻訳者の八木誠一が「まるで悪魔の子」と匙を投げる有様です。しかし、百年近くローマ皇帝によるキリスト教迫害が続き、197年と198年に、セプトゥミウス・セルウェス帝の大迫害が始まります。そんな中、当時の信徒たちは、イエスさまに強力な奇跡の力を期待していたのです。

3.《当たり前だ》 「ルカによる福音書」には、正典中唯一の少年時代の逸話があります。ここには奇跡はなく、イエスさまの御言葉が中心です。過越祭の帰路に息子の不在に気付いたヨセフとマリアが必死に捜し求めて、漸く神殿にいるイエスさまを発見します。「クリスマス」と「公生涯」の間にある記事です。イエスさまは神の子として覚醒し、親元からジャンプするのです。「当たり前」とは「神のお決めになったこと」です。現代は「当たり前」が通らないことが多い、歪んだ時代です。人としての義務と責任、権利と存在意義を振り返り、私たちは「当たり前」を「当たり前」として生きて参りましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:51 | 毎週の講壇から