2019年07月01日

少年ジャンプ【ルカ2:41〜52】

聖句「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」(2:49)

1.《理解の糸口》 子ども向けの「偉人伝」には幼少時の逸話が欠かせません。モーツァルトが5歳で作曲した話、アインシュタインが9歳でピタゴラスの定理を証明した話、エジソンの「空飛ぶ薬」やワシントンの「桜の木」等です。才能や資質の賛美である以上に「その後」を予感させる逸話として語られます。その人を理解するための糸口が幼少年期にあると考えられているからです。

2.《奇跡の少年》 2世紀末に成立した新約外典「トマスによるイエスの幼児物語」では、5歳から12歳までのイエスさまの奇跡が描かれます。泥の雀を飛ばしたり、アンナスの息子を呪い殺したり、教師を卒倒させたり、死んだ赤ん坊を生き返らせたり、1粒の麦で大収穫をもたらしたり、荒唐無稽と言っても良い奇跡の数々が描かれています。翻訳者の八木誠一が「まるで悪魔の子」と匙を投げる有様です。しかし、百年近くローマ皇帝によるキリスト教迫害が続き、197年と198年に、セプトゥミウス・セルウェス帝の大迫害が始まります。そんな中、当時の信徒たちは、イエスさまに強力な奇跡の力を期待していたのです。

3.《当たり前だ》 「ルカによる福音書」には、正典中唯一の少年時代の逸話があります。ここには奇跡はなく、イエスさまの御言葉が中心です。過越祭の帰路に息子の不在に気付いたヨセフとマリアが必死に捜し求めて、漸く神殿にいるイエスさまを発見します。「クリスマス」と「公生涯」の間にある記事です。イエスさまは神の子として覚醒し、親元からジャンプするのです。「当たり前」とは「神のお決めになったこと」です。現代は「当たり前」が通らないことが多い、歪んだ時代です。人としての義務と責任、権利と存在意義を振り返り、私たちは「当たり前」を「当たり前」として生きて参りましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:51 | 毎週の講壇から