2019年08月27日

9月第1主日礼拝

       9月 1日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 わたしがあなたを背負った=@音楽  朝日研一朗牧師
聖  書  イザヤ書 46章1〜4節(p.1137)
讃 美 歌  27、182、490、526、206、71、24
交読詩編  詩編92編1〜16節(p.106)

・青空カフェ       礼拝後     会堂バルコニー

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2019年08月26日

たとえ小さな信仰でも【マタイ8:23〜27】

聖句「イエスは言われた。『なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。』 そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。」(8:26)

1.《海原と大嵐》 公園の貸しボートですら、何かの拍子に揺れると驚きます。況してガリラヤ湖は霞ヶ浦ほどもあり、地元民からは「ガリラヤの海」と呼ばれていました。ギリシア語聖書では、ガリラヤ湖も紅海や地中海と同様に「タラッサ/海」と呼ばれているのです。周囲を山々に囲まれて、擂り鉢の底のように成っているため、山から湖面に突然の突風が吹き降ろすことがあるようです。

2.《眠るイエス》 イエスさまは乗り込んだ舟の中で、漕ぎ手が尻に敷く座布団を枕に(マルコ4章38節)、安らかに眠り込んでしまいます。「人の子には枕する所もない」と仰るような大変さでしたが、信頼できる弟子たちだけを乗せた舟の上で、すっかり安心なさったのではないでしょうか。ここには、押し寄せる群衆も悩み苦しむ人も、敵対するファリサイ律法学者もいません。「激しい嵐」も何のその、全てを神に委ねて居られるイエスさまにとっては、自然の猛威も神の御手の中ですから、何の心配も要らなかったのでしょう。

3.《小さな信仰》 イエスさまは「風と湖とをお叱りに」なったので、怯える弟子たちを叱責なさった訳ではありません。弟子たちの不信仰を批判して居られるのでもありません。「信仰の薄い者たち/オリゴピストイ」は「小さい、少ない/オリゴス」と「信仰/ピスティス」の合成語です。たとえ小さく薄くても、信仰が無い訳ではありません。主は弟子たちに全幅の信頼を置いて安眠して居られたのです。弟子たちも「主よ救い給え」と叫びました。何より、イエスさまと同じ小舟に乗り込んでいるのです。臆病で小心かも知れませんが、これが信仰なのです。主は「小さな信仰」に目を留められるのです。

朝日研一朗牧師

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2019年08月25日

夜の効果 Effet de nuit

1.世界三大夜景

一昔前には「百万ドルの夜景」という謳い文句がありました。調べてみると、1953年に、神戸の夜景を眺めた某電力会社の幹部が「六甲山から見た神戸の電灯の電気代」から捻出したキャッチフレーズだそうです。確かに、66年後の今なら「百万ドル」ではなく「1千万ドル」くらいには成るでしょう。

いつ誰が言い始めたのかは知りませんが、「世界三大夜景」は「香港、函館、ナポリ」だそうです。共通するのは海に面した港町であることです。先程の神戸もそうですが、やはり、夜景は暗い海とのコントラストによって映えるようです。「暗い海」と言いましたが、少し違いますね。その暗い海面に夜景が反射するから美しいのです。更には、灯台の光、停泊する船舶の光も寄与しているかも知れません。

数年前に「夜景コンベンションビューロー」と称する日本の一般社団法人が、「夜景サミット2012 in長崎」というイベントを長崎市内で開催したそうです。そこで「世界新三大夜景」に「香港、長崎、モナコ」を選んだらしい。函館はどこに行ったのでしょうか。北海道に住んでいた者としては、函館の凋落ぶりが気になります。「夜景鑑定士3500人のアンケートの結果」だと言いますが、「夜景鑑定士」等という肩書きに驚かされます。

私は九州にも暮らしていたことがあり、それなりに愛着を持っています。しかし、長崎で開催されたイベントで「長崎」が選ばれている等、当初から織り込み済みの企画だったとしか思われません。横浜や神戸の人たちからしたら噴飯物です。かつては「ナポリを見てから死ね/Vedi Napoli,e poi muori」とまで言われたのに、同じ地中海沿岸でも「モナコ」に変わっているのは何故でしょう。今も昔も「香港」がその地位を譲らないことも興味深いことではあります。

2.宵闇の前髪奴

休暇を利用して京都に二泊三日したのですが、夜に成ると真っ暗なのに驚かされました。私は田舎(但馬地方)の生まれ育ちなので、夜の暗さには慣れているつもりでした。しかし、東京都内の暮らしが長くなったせいでしょうか、久しぶりに見た京都の夜の暗さに感動してしまったのです。「夜景」等という華やかなものではありません。ただ暗いのです。街が闇の中に沈んでいるのです。

宿泊先のホテルは五条でした。童謡「牛若丸」に♪「京の五条の橋の上/大のおとこの弁慶は/長い薙刀ふり上げて/牛若めがけて斬りかかる」と歌われている東西の大路です。平安の昔からあるのです。でも、歩いている私たちも闇に包まれているのです。夜に営業しているお店も数少なく、街灯も疎(まば)らです。

薄暗い大路に1軒、煌々と照明の輝くお店があります。24時間スーパー「FRESCO」でした。地元住民から、私たちのような観光客、外国人旅行者までもが、あたかも誘蛾灯に誘(おび)き寄せられたように押し合い圧し合いしています。

そこに幼児を抱いた若夫婦がいたのですが、その幼児の髪形が凄かった。私も実物を見たのは初めてです。その子は江戸時代の「前髪奴(まえがみやっこ)」だったのです。いや、それは正確ではありません。普通「前髪奴」と言えば、額上の前髪だけを残して、他の部分を剃り上げた髪形ですが、もっと凝った髪形でした。前髪のみならず、頭頂部を残す「芥子(けし)」、耳の上を残す「奴(やっこ)」、後頭部を残す「盆の窪」、この4つの組み合わせだったのです。さすがに「金太郎」のような腹掛け(腹当て)までは着けていませんでしたが(浴衣を着ていました)、その存在感に圧倒されました。

大路の暗闇に浮かぶ小さな子どもの髪形で、一瞬にして、江戸時代に吹き飛ばされたような気分に成りました。小さな丁髷(ちょんまげ)を結った子を「とんぼ」と言うのは知っていますが、他にも「あぶ」とか「はち」とかあったようで、一体どんな髪形だったのでしょうか。御存知の方は教えて頂けませんでしょうか。

3.夜の効果は光

京都の24時間スーパーの情景は深夜の話ではありません。午後8時か9時かの話です。東京なら宵の口です。東京に戻ると、夜もまた昼のように明るく照らされている現実を、改めて感じさせられました。何と大量の光を浴びていることでしょう。通りを1本入った住宅街の路地でも、京都の大路より明るいのです。

「ベルギー象徴派/Symbolisme en Belgique」に分類される画家に、ウィリアム・ドゥグーヴ・ド・ヌンク(William Degouve de Nuncques,1867−1935)という人がいます。「夜の天使たち」「運河」「ヴェネチアの中庭」「夜のブリュージュ」等、人足絶えた夜の風景ばかりを描く画家です。私が特に好きなのは「夜の効果」という作品です。薄い青を基調に描かれた夜の田園風景なのですが、所々の民家の窓から明かりが漏れています。窓の光が夜の深さを表わしているのです。

私たちは、過剰なまでの人工の光に照らされる暮らしに慣れて、光の意味や価値を見失ってしまっているのかも知れません。新約聖書では「神は光であり」(「ヨハネの手紙T」1章5節)、神は「光の源である御父」(「ヤコブの手紙」1章17節)と言われています。受肉によって「言/ロゴス」は「世の光」と成られました(「ヨハネによる福音書」8章12節)。キリストは「まことの光」(1章9節)と証されています。パウロの回心が「天からの光」によるものだったこと(「使徒言行録」9章3節)も忘れてはいけません。

「光/フォース」の感覚を取り戻すために、私たちは今一度、「闇/スコトス」を認識する感覚をも研ぎ澄ます必要があるのかも知れません。

牧師 朝日研一朗

【2019年9月の月報より】

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2019年08月24日

旭日亭菜単(続き)その53

  • 「平成怪奇小説傑作集1」(東雅夫編、創元推理文庫)
    いずれ劣らぬ傑作揃いです。毎度ながら、編者の怪奇小説に対する批評眼と愛着の深さには脱帽します。小池真理子の「命日」、板東眞砂子の「正月女」と「因縁物」の連発は凄いです。けれども、脊椎カリエスで死んだ女の子の霊障などという落ちは、実際に脊椎カリエスを患っていた友人(故人)を知る私には噴飯物。ヒロインの複雑怪奇な心の動きの描写が、遂には圧倒的なホラーを招き寄せる「正月女」に軍配を挙げざるを得ません。幻想的な雰囲気では、皆川博子の「文月の使者」が圧巻です。泉鏡花の『天守物語』ならぬ「煙草店主物語」です。宮部みゆきの「布団部屋」は読後感がジーンと長く後を引きます。篠田節子の「静かな黄昏の国」は、高齢化社会と核汚染とを絡めて描かれた直球デストピアSFです(福島原発事故の9年前に執筆された)。但し「核燃料サイクルが軌道に乗り…」という部分は苦笑せざるを得ません。1990年代の段階で「核燃サイクル」の虚構は見えていましたから。
  • 「キリスト教と日本人/宣教史から信仰の本質を問う」(石川明人著、ちくま新書)
    著者は「非キリスト者に読んで欲しい」というような事を仰っているが、読み終わった時に、むしろ「是非、キリスト者にこそ読んで貰いたい」と思いました。日本社会に暮らす圧倒的大多数の人たちは、カトリックとプロテスタントの違いも分かりません。そんな人たちにとっては、伝統的な(と、少なくとも思われている)神仏や習俗を敵対視し、上から目線で(自分も実行できない)聖書の教えを説くキリスト者など、真に鼻持ちならない存在なのです。プロテスタントが聖書に執着する事も、所詮は「活字信仰」に過ぎません。教派とか教義とか信条とか聖書解釈とか、そんな事柄に拘泥して(本当は、殆どの日本人キリスト者にとってさえ自分たちの歴史では無いのに)内輪揉めしているのも馬鹿げた事です。但し、著者が「村や町などのレベルでも、もう偏見や嫌がらせなどはなく、キリスト教徒であるがゆえに日常生活で不利益を被ることはありえないとほぼ断言できる世の中になった」(p.235)と仰っている、それは都市生活者の甘い現実認識です。
  • 「椿宿の辺りに」(梨木香歩著、朝日新聞出版社)
    「痛み」から始まる物語です。耐え難い痛みこそが冒険へのスタートと成ります。「冒険」と言っても、スピリチュアルな冒険、と言うか探索なのですが、いつもの事ながら、人道を踏み外しそうな「スピリチュアリズム」の手前で立ち止まる著者の器量たるや、大したものです。仮縫氏や亀シ等という霊感の強そうな人たちも登場しますが、彼らに向けられる眼差しも等身大で優しいものです。曰く因縁のありげなお稲荷さんも大黒さんも、川の氾濫も江戸時代の惨事も、決して呪いや祟りには向かっていないのです。大きな自然の循環に向かっているのです。何と言っても、この物語のクライマックスは、山幸彦が珠子と一緒に囲炉裏の上の越屋根の窓を開く場面です。二人の協同作業によって空気の循環が始まり、皆が解放されて行く契機と成るのです。「この痛みに愛着を感じる」「実は、痛みに耐えている時が、人生そのものだった」という山幸彦の最後の告白が、この物語の奥深さを示しています。もしかしたら、著者は現代日本における「Bildungsroman/教養小説、自己形成小説」の新しい形を模索しているのかも知れません。
  • 「草を結びて環を銜えん/ケン・リュウ短篇傑作集4」(ケン・リュウ著、古沢嘉通他訳、ハヤカワ文庫)
    吉村昭『羆嵐』のファンにとっては、冒頭の「烏蘇里(ウスリー)羆」は堪りません。スチームパンクの要素も、幻想文学(変身譚)の要素もあり、『ゴールデンカムイ』のようでもあります。しかし今回、特に胸に響いたのは、表題に成っている「草を…」と「訴訟師と猿の王」です。共通するのは、唐朝から清朝へ移行する時代、漢民族が満州族の外来王朝に支配される時代がテーマに成っている事、聖人君子とは程遠い主人公が、ふとした義侠心から何の見返りも望まず、人を助けて無残に殺されて行く事です。巻末の「万味調和」も凄い。かの『三国志』の英雄、関羽が中国人移民のリーダーとして開拓期のアイダホに再生して、白人たちとも食を通じて交流して行きます。以前「将軍のチキンを探して」(The Search for General Tso)という番組を観た事を思い出しました。米国生まれの中華料理「左宗棠鶏」の起源(つまり、中国移民が米国社会に根付く歴史)を探るドキュメンタリーでした。
  • 「悪魔のすむ音楽」(若林暢著、久野理恵子訳、音楽之友社)
    著者は2016年に亡くなったヴァイオリニスト。彼女がジュリアード音楽院留学中に書いた博士論文の翻訳です。表題に「悪魔」とあるものの、古代の「ダイモン」「サタン」、中世の「ルシフェル」ではなく、近代の悪魔「メフィストフェレス」が中心です。つまり、啓蒙主義的でトリッキーな悪魔です。バッハのカンタータ第19番に始まり、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」までが採り上げられ、悪魔がどのように表現されて来たか、具体的に楽譜から分析されます。「ディエス・イレ」が大好きな私としては、第4章「死のライトモチーフ『ディエス・イレ』」に興奮しました。本来は「死者のためのミサ曲」の一部であったはずが、ベルリオーズの「幻想交響曲」では、悪霊どもの揶揄と成り、スクリャーピンのピアノソナタ第9番に至っては「黒ミサ」と化するのです。
posted by 行人坂教会 at 23:18 | 牧師の書斎から

2019年08月20日

8月第4主日礼拝

       8月25日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 たとえ小さな信仰でも=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 8章23〜27節(p.14)
讃 美 歌  27、501、490、391、462、89
交読詩編  詩編121編1〜8節(p.145)

・讃美歌練習(9月の月歌:182番)  礼拝後    礼拝堂


・・・当日の音声録音を聴く
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2019年08月19日

平和を作り出す人たち【マタイ5:9】

聖句「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(5:9)

1.《メッセージ》 本日のメッセージは、これまで朝日研一朗牧師を通して私たちに直接語られました説教から編集したものです。平和のメッセージにもう一度耳を傾け、平和について思い巡らします。メッセージの出典は、週報「先週の講壇から」−朝日研一朗牧師説教−『希望がなければ』(2009/8/9)、『正義と平和の接吻』(2010/8/1)、『ピースメーカー(ズ)』(2012/8/26)、『正義と平和はキスをする』(2018/8/5)です。

2.《プログラム》 礼拝出席者には、予めメッセージのプリントが渡されました。2名の朗読者が交互にメッセージを朗読しました。メッセージとメッセージの間に、沈黙の時とオルガンの間奏が挟まれました。

3.《平和の祈り》 メッセージに続く祈祷は、朗読者が「平和の祈り」を祈りました。これは、日本キリスト教団出版局編『きょうを生きる祈り』(1995年)の中から、“正義を求めて”と題された祈りです。

posted by 行人坂教会 at 19:54 | 毎週の講壇から

2019年08月18日

フライング・ディスク

今日は、段ボールで工作。フライング・ディスクを作りました。

20190818フライング・ディスク

うまく飛ばせるかな?

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2019年08月13日

8月第3主日礼拝

       8月18日(日) 午前10時30分〜11時30分
平和メッセージ   平和を作り出す人たち =@
聖  書  マタイによる福音書 5章9節(p.6)
讃 美 歌  27、501、490、373、561、89
交読詩編  詩編121編1〜8節(p.145)

注:音声録音の提供はありません。

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2019年08月12日

テゼからの手紙【ヨハネ14:27】

聖句「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。」(14:27)

1.《メッセージ》 本日のメッセージは「テゼからの手紙2003」「テゼからの手紙2006」の中から、聴いて解りやすいように編集したものです。テゼ共同体は1940年、ブラザー・ロジェによってフランスのテゼ村で始められた男子修道共同体です。ロジェは、ナチスの迫害を逃れて来た人たちをスイスへと逃亡させる支援をしました。以来、カトリックとプロテスタント出身のブラザーたちが25の国々から集まり、テゼや世界の貧しい地域で生活しています。今、多くの人たちがテゼを訪れブラザーたちと共に祈りを捧げています。テゼで歌われている讃美歌は「讃美歌21」にも数多く取り上げられ、私たちも礼拝で歌ってきました。「テゼからの手紙」はロジェによって書かれたもので、アジアの23の言語、アフリカの7つの言語を含む58の言語に翻訳され、世界各地のテゼの集いでテキストとして読まれています。

2.《プログラム》 礼拝出席者には、予めメッセージのプリントが渡されました。2名の朗読者が交互にメッセージを朗読しました。メッセージは4つあり、最後のメッセージは2回繰り返して朗読されました。メッセージの間に、沈黙の時とオルガンの間奏(テゼ共同体の讃美歌)が挟まれました。

3.《平和の祈り》 メッセージに続く祈祷は、朗読者が「平和の祈り」を祈りました。これは日本キリスト教団出版局編集『きょうを生きる祈り』の中から、“平和のために”と題された祈りです。

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から

2019年08月11日

スイカ割りしたスイカの種が…

教会の台所の流しで、こんなになっちゃってましたexclamation&questionびっくりexclamation

20190811スイカの種が…

種の中には、いのちがつまってるんですね。

posted by 行人坂教会 at 19:52 | こどもの教会「あんず」