2019年11月30日

2019年クリスマスコンサート

11月30日にクリスマスコンサートが行われました。


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posted by 行人坂教会 at 21:54 | 教会アルバム

2019年11月29日

クリスマス・リース

アドベント(待降節)から翌年の公現日まで飾ります。

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2019年11月26日

12月第1主日礼拝(アドベント第1主日)

      12月 1日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 神を見た者はいない=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 1章14〜18節(p.163)
讃 美 歌  27、228、490、229、237、74、28
交読詩編  詩編47編1〜10節(p.55)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年11月25日

魚の口から銀貨 【マタイ17:24〜27】

聖句「湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。」(17:27)

1.《つつぼ口》 小さい頃、私は母親から「つつぼ口」と言われていました。炊き立てのご飯の中に砂利が入っていたり、コロッケの中に長い髪の毛が入っていたり、味噌汁の中に虫が飛び込んで来たりするのです。その都度、母親から、私が「つつぼ口」のせいだと言われるのです。「つつぼ」とは「土穂」の訛ったもの、「落ち穂」の事だと、最近に成って漸く分かった次第です。

2.《魚の中に》 「太平記」には、壇ノ浦の源平合戦の最中、悪七兵衛が海中に落とした日本刀をイルカが飲み込み、百何十年後に、大森彦七の手に渡る話があります。「南総里見八犬伝」では、犬飼現八の誕生祝いに父親が釣って来た鯛から「信」の珠が出て来ます。ヘロドトスの「歴史」によると、ポリュクラテスは、過ぎたる幸運を諫めるファラオの助言に従って指輪を海に捨てるのですが、釣り上げられた魚から指輪が出て来て、主人の手に還って来ます。グレゴリウスは知らずに犯した罪を悔いて、自ら鉄の足枷を付けて、その鍵を海中に捨てますが、漁師の釣った魚から鍵が出て、罪の赦しを宣言されます。

3.《私らしく》 神殿税の集金人から「あなたの先生は神殿税を納めないのか?」と責められたペトロは、売り言葉に買い言葉で「納める!」と言ってしまいました。本来なら、神に奉げる献金を神の子が支払う謂われは無いのです。しかし、そんなペトロを叱るでもなく、ペトロの体面を保ちつつ、イエスさまは尻拭いをされます。漁師のペトロにとって釣りは得意技です。釣った魚から神殿税1シェケル(4デナリオンに相当)が出て来るのです。私たちの人生でも、挫折や困難に出遭うことがあります。そんな時こそ、自分にがっかりしないで、むしろ自分らしさに賭けてみましょう。神の与えられるチャンスです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:48 | 毎週の講壇から

2019収穫感謝日合同礼拝

礼拝の前、子どもたちがクリスマスツリーを飾って、来週からのアドベントの準備をしました。

収穫感謝日合同礼拝では、子どもたちも司式や聖書朗読をしました。

20191124収穫感謝日合同礼拝

礼拝後、収穫感謝日パーティーがありました。持ち寄った食材で作った豚汁、果物、海の幸をいただきました。

20191124収穫感謝日パーティー
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2019年11月24日

2019年行人坂教会クリスマス諸行事のご案内

2019年「行人坂教会 クリスマス諸行事のご案内」のパンフレットです。

クリスマス関連の諸行事のご案内2019


行人坂教会 クリスマス諸行事のご案内

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クリスマスの御業

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クリスマスの想い出

1.寸劇の時

私は、1981年のクリスマスの礼拝で、深田未来生先生から洗礼を受けました。深田先生はUMC(United Methodist Church/米国合同メソジスト教会)の宣教師であると共に、同志社大学神学部の実践神学の教授でした。洗礼を受けた上賀茂伝道所(現・京都上賀茂教会)は、1974年に設立されました。70年安保闘争に端を発する学生たちの問題提起は教会の中にも及び、「教団紛争」と後に呼ばれる出来事があり、大勢の青年たちが教会から去って行きました。そんな中、村山盛敦(日本クリスチャンアカデミー)、杉瀬祐(同志社女子大学)、深田未来生(西陣労働センター&同志社大学)の3名の牧師が、旧い教会制度に囚われないクリスチャンコミュニティーを目指して、UMCの宣教師館(つまり、深田先生の自宅)を会場にして日曜礼拝を始めたのでした。

そんな教会でしたから、礼拝は車座にイスを並べ、奏楽はピアノとリコーダー、説教者も座ったまま喋ります。お互いの近況報告や仲間の消息を共有する時間を持ち、その直後に司会者から当てられた人がお祈りをしました。クリスマスの礼拝は夜に行なわれて(イヴ礼拝ではありません)、その時だけは大人数が集まりました。その礼拝の中で、お芝居をさせられたことがあります。ラーゲルレーヴの「キリスト伝説集」の中の一篇「ともしび」でしたが、髭面であるという理由だけで、私は主役のラニエロを演じさせられたのでした。

2.電飾の夜

私が最初に赴任したのは南大阪教会でした。大正時代の終わり(1926年)に設立された教会ですが、戦後、同志社の学長だった大下角一というカリスマ(「自由人にして野人」と謳われる)が牧師を務められた教会です。また、阪田寛夫の童謡「さっちゃん」は、南大阪教会附属幼稚園での想い出から生まれた歌です。

礼拝堂は有名な建築家、村野藤吾の設計になるもので、ローマのカタコンベをイメージして造られた(1980年)と言います。村野藤吾は東京で言えば、日生劇場、千代田生命保険ビル(現・目黒区総合庁舎)、日本ルーテル神学大学、新高輪プリンス等の建造物が知られています。実は、礼拝堂の入口には、旧礼拝堂の塔屋が納骨堂として残されていて、これが村野のデビュー作(1928年)とされているのです。その塔屋の傍らには、大きな樅の木があり、アドベントに成ると、青年会が電飾を付けるために登っていたものです。

クリスマスイヴとも成れば、幼稚園のある教育館では、婦人会のメンバーがテンテコ舞いで働いていて、食事の準備を為さっています(まるで、バザー直前です)。独り者の私のために、ミートローフの差し入れが届いたり、夕方に成ると、有志の奉げた寿司の仕出しが聖歌隊員に振る舞われたり、「バブル時代」の事ゆえ、大変に豪勢でした。

しかしながら、イヴ礼拝の司式とメッセージは伝道師、副牧師の役目とされて居り、余りの大舞台に、私は折角ご馳走を頂いても全く食べた気がせず、ミートローフ以外は記憶に残っていません(ミートローフは何日かに渡って食べたので、記憶に残っているのです)。

3.夜は短し

次に赴任したのは、人口が2万余の宮崎県串間市にある日向福島教会でした。飫肥教会の姉妹教会として、戦後すぐに生まれた教会です(1948年)。会員が10名足らずの教会でありながら、道路拡幅工事の御蔭で、白塗りの美しい会堂が建っていました。米国のテレビシリーズ『大草原の小さな家』の教会をリニューアルしたイメージです。

クリスマスイヴ礼拝では、聖画のスライドを利用したり、教会学校に来ている小学生の女の子たちに「世界ではじめのクリスマス」(「友よ歌おう」収録)をパートごとに歌って貰ったり、毎年の工夫が評判を呼んで、50人以上も町の人たちが集まったことがありました。

ある年には、礼拝後に子どもたちを引率して、会員の家を回るキャロリングをしました。最後に訪ねたお宅では、温かい善哉を振る舞って貰いました。今思えば、まるで「ハロウィン」のようでした。現在の東京と違い、今から約30年前、小さな田舎町のことです。真っ暗な中をペンライトを持って歩きます。勿論、子どもたちは責任を持って、私と会員が手分けして、午後10時前には自宅に送り届けましたが、「夜遅すぎる」という事で、以後「子どもキャロリング」は中止に成ってしまいました。

4.氷結の国

北海道では「ホワイトクリスマス」は当たり前。札幌市の琴似中央通教会は「北拓伝」で設立された教会です(1959年)。在任当時、聖歌隊が盛んで、イヴ礼拝が終わると、有志でキャロリングに回るのですが、これが結構、命がけなのです。札幌では12月を過ぎると、雪と霙(みぞれ)が繰り返し降り積もり、遂には「根雪」と成るのですが、スタッドレスタイヤで磨き上げられた車道の路面はツルツルで、スケート靴を付けずに、スケートリンクの上を歩いているような趣きがあります。私自身、何度、転倒したか知れません。

土地柄でしょうか、普通の市民にとっても教会は身近な存在です。地下鉄の駅前で歌っていると、飛び入りで、一緒に歌い始めるクリスチャンが毎年のように居られました。ルートの中に2つの病院が入っています。勿論、病院の中には入れませんから、駐車場で歌います。すると、キャロリングがやって来るのを待っている患者さんや医療スタッフがいて、病室の窓から見てくれています。私たちは、窓辺に佇む人、手を振る人に向かって、ペンライトを振って「メリークリスマス!」と叫びます(まるで『ホーム・アローン2』です)。

キャロリングから教会に戻って来ると、婦人会が温かい飲み物や軽食を用意して下さっていて、夜遅くまでパーティーが続きました。北国故の無礼講だったのだと思います。

牧師 朝日研一朗

【2019年12月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など

2019年11月19日

11月第4主日礼拝(収穫感謝日)

      11月24日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 魚の口から銀貨音楽        朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書17章24〜27節(p.34)
讃 美 歌  27、62、379、388、386、26
交 読 文  クリスティナ・ロセッティ「上り坂」

・讃美歌練習(12月の月歌:228番)  礼拝後    礼拝堂
・収穫感謝パーティー   讃美歌練習後〜午後2時    階下ホール

・・・当日の音声録音を聴く
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2019年11月18日

目から…うろこ【使徒言行録9:1〜19a】

聖句「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。」(9:18)

1.《光落ち》 アニメやマンガの世界では、正義のヒーロー転じて悪人と化する展開を「闇堕ち」、反対に悪役が何かの出来事や出会いを契機に正義の心を持ってしまうことを「光落ち」と言います。「闇堕ち」の代表は、ミルトン『失楽園』のルシファーです。「光落ち」の代表は、牛若丸に敗れて家来になる武蔵坊弁慶、ソーニャの祈りに支えられて悔い改めるラスコーリニコフ(『罪と罰』)、息子の叫びに目覚めるダース・ベーダー(『スター・ウォーズ』)等です。

2.《殺戮者》 パウロこそは聖書最大の「光落ち」キャラです。キリスト教徒の迫害者として、ステファノの殉教にも関わり、その後も信徒たちの家に押し入り「男女を問わず」捕らえて「牢に送って」いました。新約聖書の半分以上は、パウロ自身とその弟子筋の人の執筆ですが、元々は残忍極まりない「悪党キャラ」だったのです。「弟子たちに対する脅迫と殺人を荒々しく呼吸する」(1節)と書いてあります。「殺人/フォノス」は、むしろ「殺戮」と訳すべき語です。アナニアも神のお告げに対して「あの男は悪人です」と抗っています。

3.《うろこ》 世に「パウロの回心」と呼ばれる出来事ですが、悪い心を改める「改心」ではなく、過去の価値観を捨てて、正反対の立場に回るのが「回心」です。聖書にある語で言えば「メタノイア/悔い改め」に該当します。「メタノイア」は「認識が変わる事」です。そんな劇的な瞬間を「使徒言行録」は「目から鱗」と表現しました。「鱗/レピス、レピデス」は「人の目を曇らせるもの」の比喩です。「鱗が落ちる」とは、これまでとは正反対の立場に回って、世界や人を見ることです。同じ風景も見る角度や季節、時間帯によって変わるのです。神さまは、私たちにも小さな「回心」の機会をお与え下さっています。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:53 | 毎週の講壇から

旭日亭菜単(続き)その54

  • 「ヤマトタケル」第1巻(安彦良和作、中公文庫)
    今年、NHKが放映した『機動戦士ガンダムTHE ORIGIN/前夜 赤い彗星』(OVAを再編集してテレビシリーズ化したもの)に心震わせ、『こころの時代』の「わかり合えないをわかりたい/安彦良和」を観てしまったせいで、改めて彼の作品に触れないではいられなくなりました。宮崎の教会にいた頃、『ナムジ』『神武』全巻を読んでいましたから、スゥーッと入って行けました。作者が参考にしている原田常治『古代日本正史』も、いずれ読んでみたいものです。
  • 「やがて満ちてくる光の」(梨木香歩著、新潮社)
    このエッセイ集の中盤に収められている、河田桟(その後、この人は与那国島で馬飼いに成られたとか)によるインタビュー(「生まれいずる、未知の物語」)には舌を巻きます。『沼地のある森を抜けて』の創作を中心に話題が展開するのですが、作家の聞き手の役割を演じるためには、ここまでの鋭いアンテナが必要なのかと感心してしまいました。同作については、恥ずかしながら、私などは「糠漬け」の話というくらいしか記憶がありません。「家の渡り」には、名前が伏せられていますが、戦前からのカール・バルトの研究者、宮本武之助教授のお宅の佇まいが紹介され、併せて、著者の学生時代の思い出として、新約聖書学者の橋本滋教授との交流も描かれています。いずれも帰天されて久しいので、もう名前を出しても良いでしょう。
  • 「ヒストリエ」第11巻(岩明均作、講談社)
    長男も楽しみにしている作品。長男は「また別の話に成っちゃって話が前に進まない」と漏らしていましたが、それは違います。アレクサンドロス王子に瓜二つのパウサニアスが新たに登場して、オリュンピアス王妃(アレクサンドロスの母親)による陰謀が描かれますが、これこそは、フィリポス王暗殺(いよいよか…)の伏線に成っているはずなのです。
  • 「教養としてのミイラ」(ミイラ学プロジェクト編著、KKベストセラーズ)
    二男が未だ小学校1年生だった頃、急にミイラに関心を持って、ミイラの本を買って上げたことを思い出しました。夏休みの自由研究のために、犬か猫を捕まえて来て、二人でミイラ作りをしようと考えたこともありましたが、ナトロン(ソーダ石)を使って水分を取り除くだけで70日もかかることが分かり、(妻にも猛反対され)泣く泣く断念したものです。この本はエジプト、中南米、ヨーロッパ、アジア、オセアニア、日本と世界のミイラが美しいカラー写真で紹介されています。最近の私は、木の実だけを食べて入定する湯殿山の即身仏に、とても心魅かれるものです。
  • 「ゴールデンカムイ」第19巻(野田サトル作、集英社)
    玉石混交のシリーズですが、さすがに今回はリキ入っていました。遂にアシリパ一行に追い付く杉元たち、その接近の過程に織り込まれる、ソフィアの回想(ウイルク、キロランケと過ごした過去)…。谷垣や鯉登とキロランケとの死闘、アシリパと尾形との対決、これこそが「ジャンプ」の真骨頂です(「ヤング」だけど…)。
  • 「アラマタヒロシの妖怪にされちゃったモノ事典」(荒俣宏著、秀和システム)
    水木しげる翁の御蔭で、幼い時から人間よりも妖怪変化に愛情を感じるように成ってしまった私は、キリスト教の牧師をしていながらも、未だに廃物に話し掛けたり(付喪神)、こちらを振り向いた野良猫に話し掛けたり(猫又)、おかしな事をしてしまいます。この本はティーン向けなのですが、編集の面白さに釣られて買ってしまいました。ところで、エボシガイに寄生されたセグロウミヘビは、その昔「宇賀(ウガ)」と呼ばれ、「瑞獣」とされていました。その「宇賀」の項を読みながら、大学時代、英文科に「宇我神魔子」という凄い名前の少女がいたことを思い出しました。「宇賀神(うがじん)」は、彼方から海の幸を携えて来るマレビトですから、きっと、彼女は外来神の末裔だったのでしょう。
  • 「実話怪談/でる場所」(川奈まり子著、河出文庫)
    2000年代初頭、著者は『女医・川奈まり子/タブーSEX』(別題『川奈まり子の愛の病棟日誌』)『川奈まり子/桜貝の甘い水』『川奈まり子/昼下がりは別の顔』他、多数のピンク映画、AVに主演していました(その名を冠した題名からも、当時、彼女には固定ファンが付いていたことが分かります)。それが、今では「実話怪談ライター」として有名に成ってしまいました。基本的にAVの撮影現場には、廃屋、廃業後の施設の類いが多く、霊感の強い彼女は、当時から心霊現象に出遭うことが多かったようです。私としては「蔵と白覆面」(目黒川近く上大崎の某旧家)と「瓶詰めの胎児」(六本木ヒルズ)が最も興味深かったです。前者は御近所の故。後者は、道教の邪法「養小鬼(ヤンシャオグイ)」(1980年の香港映画『養鬼/悪魔の胎児』で、その存在を知りました)との関連からです。
  • 「文豪たちの怪談ライブ」(東雅夫編著、ちくま文庫)
    明治末期から昭和初期に、文人や画人、新聞記者や出版関係者、果ては素人の変わり者、風流人まで集まって、繰り返し開催された「百物語」「怪談会」の様子をダイジェストに紹介し、尚且つ、その変遷を綴った好著。尾崎紅葉、徳田秋聲、三遊亭円朝、柳田國男、泉鏡花、喜多村緑郎、小山内薫、伊藤晴雨、伊東深水、芥川龍之介…等、名立たる面々による怪談が満喫できます。但し、創作の類いではなく、基本、実体験談とその再話です。ですから、ホラーを期待すると肩透かしを喰うでしょう。それはともかく、泉鏡花の存在感の大きさは際立っています。曰く「人と人とが相差し向いで話をしている僅三尺の空間(すきま)にさえ、人間界以外の別世界がある。その別世界がお化けの世界かも知れない」。
posted by 行人坂教会 at 09:33 | 牧師の書斎から