2019年12月31日

1月第1主日礼拝(新年礼拝)

       1月 5日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 ”新しい歌のたぐい?” 音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネの黙示録 14章1〜5節(p.468)
讃 美 歌  27、147、490、380、274、76、29
交読詩篇  詩編101編1〜8節(p.113)

・青空カフェ       礼拝後       玄関バルコニー

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2019年12月30日

宿無しと野宿者のバラード【ルカ2:1〜20】

聖句「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」(2:8)

1.《降誕節》 教会暦に厳密であれば、先週の日曜日は未だ「降誕節」に入って居らず「待降節第4主日」でした。本日こそが「降誕節第1主日」、本当のクリスマス礼拝です。しかし、東方正教会では1月6日の「公現日」こそがクリスマスです。但し、これらは飽く迄も教会暦上のクリスマスです。キリスト者が降誕、復活、聖霊降臨(再臨)の救いの御業を軸にして過ごすための行事暦です。

2.《野宿者》 12月25日にせよ1月6日にせよ、聖地において、真冬に野宿しながら羊の放牧をしていることはあり得ないと言われます。乾季と雨季の二季しかなく、冬は雨季の真っ只中だと言うのです。3世紀末に、アレクサンドリアのクレメンスが降誕を「5月20日」としたのは尤もです。冬のクリスマスはローマ帝国の冬至に設定した後付けとされています。しかし、この「羊飼い」がユダの荒れ野にいるベドウィンならば、冬でも放牧をしているかも知れません。「雨蔭」のために、冬にも降雨量が殆ど無かったからです。

3.《宿無し》 ベドウィンは誇り高い民族ですが、「野宿をしている/アグラウロス」という語の中には「野原(アグロス)が住まい(アウレー)なんだって」という、定住者の側から見下すような、一種の蔑みが感じられます。「野宿者」と言えば、現代の私たちは「ホームレス」を連想します。様々な事情で安心して宿る場所を失った人たちです。それは「泊まる場所がなく」宿無し状態で生まれたイエスさまと、どこかで繋がっていると思うのです。降誕の知らせは寛ぎの「客間」にではなく、(これが雇い人の羊飼いならば)「夜通し」働く非正規雇用労働者の所に先ず届けられたのです。年の瀬に寒風に晒され、心細い思い、憂いや悲しみに心塞がれた人の隣人となるために、主は来られたのです。

朝日研一朗牧師

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2019年12月24日

12月第5主日礼拝(歳晩礼拝)

      12月29日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 宿無しと野宿者のバラード=@音楽  朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 2章1〜20節(p.102)
讃 美 歌  27、228、490、254、263、28
交読詩編  詩編47編1〜10節(p.55)

※初の試みとして、階下ホールを会場にして主日礼拝を行ないます。車座(円陣)になって、皆の顔が見える中で、往く年の感謝と来る年の希望を賛美したいと思います。いつもの礼拝堂とは違う雰囲気の礼拝、あなたも参加してみませんか。
(尚、礼拝内容、式順に変更はありません。)


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2019年12月23日

救い主のまなざしは…?【ルカ1:46〜56】

聖句「わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。/身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。」(1:47,48)

1.《神の母として》 カトリック教会では「聖母マリア」と称えますが、プロテスタント教会では「母マリア」と素っ気無く呼んでいます。素っ気無さには理由があります。古代から現代に至るまで、「神の母」「生神女」「パナギア」「天の元后」等と称号を付与され、「永久処女説」「無原罪の御宿り」「聖母の被昇天」と、あたかも女神ででもあるかのように祭り上げられてしまったのです。

2.《ありのままの》 宗教改革者たちは、聖書の証する信仰に忠実であろうとして、マリアを「栄光化」することを拒んだのです。高貴な人が存在する限り、卑賤な人も存在します。「マリア崇敬」のように特定の女性を崇拝することは、女性差別や女性軽侮と表裏一体です。マリアは特別な存在ではなかったと考える方が彼女自身の信仰告白「マグニフィカート」にも適っています。「身分の低い」は身分制や階級を言っているのではなく、「見すぼらしい境遇」「取るに足りない状態」の意味です。年端も行かない小娘であること、信仰や人生経験の不足を言っているのかも知れません。しかし「神の力は弱さの中に働く」のです。

3.《神の偉大な業》 「マリアの賛歌」の中心メッセージは「偉大なこと」です。ペンテコステの記事(使徒言行録2章11節)にもあります。キリストの誕生と教会の誕生に共通する語です。聖霊降臨の祝祭的な様子に比べると、如何にも地味です。実際、マリアは身寄りも宿も無く、祝福する人もいない中で、キリストを出産するのです。けれども、そんな貧しく、何の権力も持たない庶民の一人一人に「主は目を留められる」のです。世間の脚光が照らすのとは全く異なる所に「救い主の眼差し」が注がれているのです。挫折や後悔に満ちた私たちの人生ですが、思い通りに成った人生だけが祝福ではありません。私たちの人生が、他の誰かの人生よりも劣っている等ということはありません。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:53 | 毎週の講壇から

2019年12月17日

クリスマス(降誕節)礼拝

      12月22日(日) 午前10時30分〜正午
説  教 救い主のまなざしは…=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 1章46〜56節(p.101)
讃 美 歌  27、228、490、174、253、69、75、28
交読詩編  詩編47編1〜10節(p.55)

・讃美歌練習(1月の月歌:147番) 礼拝後         礼拝堂
・クリスマス愛餐会(新入会者歓迎会) 讃美歌練習後〜午後2時 階下ホール

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2019年12月16日

信じた人は何と幸いでしょう【ルカ1:26〜45】

聖句「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(1:45)

1.《命の瀬戸際》 イングマル・ベルイマン監督の映画『女はそれを待っている』は、産婦人科病院を舞台に同じ病室の3人の女性が描かれます。流産直後に再び妊娠して結婚生活を呪っているセシリア、男に騙されて捨てられ、望まぬ妊娠をしたヨルディス、子どもの誕生を心待ちにしているスティナです。しかし、皮肉なことにスティナの子は死産でした。原題は「命の近く」「命の瀬戸際」です。

2.《喜び仕える》 マリアが天使から受胎告知を授かった時、エリサベトは妊娠6ヶ月でした。聖人伝は、訪問の際、マリアは3ヶ月、エリサベトは7ヶ月と言います。「ロザリオの祈り」の「御訪問」には「自分のことよりも、いつも喜んで他人に奉仕する愛する心を深めることが出来るように」との課題が掲げられています。つまり、マリアは自身が心に大きな不安と苦悩を抱えていながらも、咄嗟に他人に手を差し伸べるために動いたのです。「自分よりも他者を優先するのが愛だ」と言われますが、喜びが宿っていることが大切なのです。

3.《喜びの訪れ》 マリアは喜びの余り「急いで行った」のです。「挨拶した」との表現もギリシア人の挨拶「カイレー/喜べ」と繋がります。受胎告知の場面では「おめでとう」と訳されています。その声を聞いて、エリサベトの胎の子は「歓喜に飛び跳ねる」のです。聖霊に満たされたエリサベトはマリア母子を賛美/祝福します。これら全てに喜びが宿っているのです。マリアは自身の懐妊は誰からも喜ばれない、理解されない、祝福されないと思っていました。しかし、この時初めて、自身も胎の子も祝福された存在であることを実感したのです。そして「マリアの賛歌/マグニフィカート」を歌うのです。他の人と喜びを分かち合う時、私たちの悩みや憂いが喜びへと変えられるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から

2019年12月10日

12月第3主日礼拝(アドベント第3主日)

      12月15日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 信じた人は何と幸いでしょう=@音楽 朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 1章26〜45節(p.100)
讃 美 歌  27、228、490、248、190、28
交読詩編  詩編47編1〜10節(p.55)


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2019年12月09日

信じなかった人にも喜びを【ルカ1:5〜25】

聖句「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」(1:20)

1.《競走馬の名前》 私は賭け事はやりませんから、競馬場に足を運ぶことはありませんが、競走馬のネーミングセンスの面白さには、以前から深い関心を持っています。20年程前に中央競馬会に「ザカリヤ」というサラブレッドがいたのです。「クルアーン」の「ザカリーヤー」からの命名ですが、勿論、新約聖書の洗礼者ヨハネの父親、祭司ザカリアのことに他なりません。

2.《人生の同伴者》 クルアーンの記述には、妻のエリサベトの名前がありません。そもそもマルヤム(母マリア)以外に女性の名前はないのです。「ルカ」には「二人とも」なる語が2度も繰り返されていて、この老夫婦が人生を一緒に歩んで来た道程を想像させます。妻が不妊であれば離縁される時代、何等かの罪を犯した故の不妊と誹謗中傷される時代です。非の打ち所の無い信仰が強調される点からも、二人の闘いが読み取れます。また、エリサベトは大祭司「アロン家の娘」ですから、ザカリアは婿養子、立場の弱い恐妻家だったのかも知れません。

3.《二百日の沈黙》 クルアーンでは、ザカリアの口が利けなくなるのは3日間ですが、「ルカ」では「十月十日」です。余りにも長過ぎるので、御言葉を信じなかった天罰や懲らしめのように思われます。しかし神の御力を示す奇跡の「徴」なのです。これまで何度も流産の経験があったのでは無いでしょうか、妊娠安定期の5ヶ月目に入ったエリサベトが、声高らかに宣言するのを見ると、「信じる」も「信じない」もなく、御言葉を「感じる」、そんな感性も求められているように思います。ザカリアの二百日も、主の御言葉を全身全霊で「感じる」ための期間だったのでは無いでしょうか。たとえ不自由を負わされても、神の恵みを体全体で感じる「喜び」が、ザカリアにも臨んだのです。

朝日研一朗牧師

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2019年12月03日

12月第2主日礼拝(アドベント第2主日)

      12月 8日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 信じなかった人にも喜びを=@音楽  朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 1章5〜25節(p.99)
讃 美 歌  27、228、490、240、241、28
交読詩編  詩編47編1〜10節(p.55)

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2019年12月02日

神を見た者はいない 【ヨハネ1:14〜18】

聖句「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(1:18)

1.《サンタの存在》 今から122年前、米国はNYの「ザ・サン」なる新聞社に8歳の女の子から「サンタクロースはいるのですか?」という質問が届き、その返事が社説として掲載されました。論説委員F.チャーチは「この世には、愛や思い遣り等、目には見えないけれども、確かに存在するものがある。それと同じく、サンタクロースも確かに存在する」と訴えたのです。

2.《真心と想像力》 この記事は大きな反響を呼び、再掲載を求める投書が相次いで寄せられました。そして百年以上経った今も、クリスマスの季節とも成れば、この文書は世界中で語り継がれているのです。「サンタクロース」を「キリスト」、あるいは「真心」と読み替えれば、信仰の有る無しに関わり無く、誰でも得心が行くはずです。私たちが聖書を読む時に必要なのが、この想像力です。愛と思い遣り、真心と信頼です。勿論、私たちに「真心」(嘘偽りの無い誠の心)があるとは言い難いのですが、「一寸の虫にも五分の魂」です。「魂」をもって触れることが大切なのです。「魂」とは愛と寛大さと信仰に他なりません。

3.《神の愛を見よ》 教会生活を続けていると、人に躓くことがあります。そんな時、必ず牧師から言われるのは「人を見ないで、神を見よ」という言葉です。しかし「神を見た者はいない」とあります。しかるに、14節には「私たちは神を見た」と言います。これは「霊的に見抜く」という意味の語です。神なる「父の懐にいる独り子」が世に遣わされました。「懐」とは神さまの「命、魂」そのものです。神さまは、私たちに御自身の「命、魂」を与えられたのです。そこに神の「恵みと真理」「慈しみと真」があるのです。いずれも目に見えるものではありません。しかし、あなたを愛して止まぬ神に心を向けましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:51 | 毎週の講壇から