2020年01月26日

旭日亭菜単 (続き)その55

  • 「イギリス怪談集」(由良君美編、河出文庫)
    英国と言えば「幽霊物」と相場は決まっています。その中でも、ベンソンの「チャールズ・リンクワースの告白」は、電話が小道具に使われて、奇妙なリアリティを残す作品です。ティンバリーの「ハリー」は、幼い娘を持つ母親が語る神経症的恐怖譚。失ってはならない愛すべき者がいればこその怖ろしさです。ブラックウッドの「僥倖」は、ジュラ山中を旅行する牧師が主人公です。マンビーの「霧の中での遭遇」にも教区牧師が登場します。旅人に道を教える慈悲深い隠者も登場します。この2作品、「九死に一生」の結末は同じですが、霊の働きは正反対です。水夫や水兵の怪談、航海中の客室の怪談、所謂「海もの」が4篇も入っていたのも英国らしさでしょうか。
  • 「平成怪奇小説傑作選2」(東雅夫編、創元推理文庫)
    牧野修の「グノーシス心中」のスプラッターぶりはサイコー。浅田次郎の「お狐様の話」は、御岳山を歩き、宿坊に泊まった時の風景を思い出しながら読みました。「この世に邪悪なものは数知れずにあるが、それを調伏する力など実は人間にも神様にもないのではないかと疑った」。先のホワイトヘッドの「黒い恐怖」を神道の立場で再現しています。森見登美彦の「水神」は、京都市郊外の旧家を舞台に通夜の不寝の番が延々と続いて、やがて読者も同席しているような朦朧感、錯覚に陥ります。京都の送り火をモデルにしているのは、綾辻行人の「六山の夜」ですが、こちらは30分ホラードラマの趣き。山白朝子の「鳥とファフロッキーズ現象について」は『怪奇大作戦』かな。朱川湊人の「トカビの夜」、光原百合の「帰去来の井戸」は、ひたすら涙涙です。特に前者は円谷特撮ファン必読。
  • 「キリスト教でたどるアメリカ史」(森本あんり著、角川ソフィア文庫)
    「米国キリスト教史」ではありません。これこそが紛れも無い「米国の歴史」です。著者はICU(国際基督教大学)の教授、日本キリスト教団の牧師ですが、米国キリスト教を見詰める彼の眼差しには、異文化を分析する客観性が担保されています。その意味で、米国人や米国の政治・経済・文化・科学に関わる全ての人にお薦め出来る、安心の教科書(勿論、良い意味で)です。第10章「アメリカの膨張」では、米国の歴史が日本のプロテスタント諸派の成立に直結していることが分かります。それだけに私たちは、もっと米国の負の歴史、米国社会の脆弱さ、反主知主義の伝統をも見据える必要があります。
  • 「ゴールデンカムイ」第20巻(野田サトル作、集英社)
    前半の見せ場は、雪深い登別の山中で展開される菊田特務曹長+有古一等卒VS都丹庵士の死闘。後半の見せ場は、尾形百之助との激闘の最中、鯉登音之進の脳裏に蘇る鶴見中尉との邂逅(感傷的な物語に見えて、実は、これにも何か裏がありそうです)。菊田が二挺拳銃で使用している「ナガンM1895」は、ベルギーで開発されたリボルバーで、ロシアとソ連の制式拳銃でした(主に将校用)。対する都丹の愛銃「マウザー(モーゼル)C96」はドイツ軍の制式拳銃(オートマチック)です。雪山で繰り広げられる死闘を見ていて、異色マカロニ西部劇『殺しが静かにやってくる』の殺し屋サイレンス(声帯を切られた男)の愛用銃でもあったことを思い出しました。その名前と言い、銃器と言い、最期までマカロニでした。
  • 「アメリカ怪談集」(荒俣宏編、河出文庫)
    やはり、同業者として、ホーソーンの「牧師の黒いヴェール」とホワイトヘッドの「黒い恐怖」は外せません。その独特の不気味さを解して愉しむことが出来るのは、キリスト教徒の数少ない特権の1つです。カウンセルマンの「木の妻」にも、年老いた信徒伝道師が出て来ます。こちらは、ヒロインが福祉調査員の女友だちに同行して目撃する異様な世界です。明らかに戦後社会なのですが、米国僻地独特の底知れなさが醸し出されていて絶品です。ヘンリー・ジェームズの「古衣裳のロマンス」は、予想通りの展開でありながら、予想外の面白さでした。ケラーの「月を描く人」は精神病院が舞台に成っていて、患者の描いた絵が実体化する話。ベン・ヘクトの「死の半途に」の中にある「われわれの幻覚は本人のみならず他人をも支配するということだ」の警句が思い出されます。
  • 「ロシア怪談集」(沼野充義編、河出文庫)
    子どもの言葉遊びに「ロシヤの殺し屋怖ロシヤ」というのがありました。でも怪談は怖ろしくありません。プーシキンの「葬儀屋」、ドストエフスキーの「ボボーク」等、むしろ「諧謔小説」と言うべきでしょう。ゴーゴリの「ヴィイ」は、その筋では有名な映画『妖婆/死棺の呪い』(もしくは『魔女伝説/ヴィイ』)の原作です。ウクライナ正教会の神学校の「文法級生→修辞級生→哲学級生→神学級生」という学制、上級生に成れば成る程に不良化して行くのが面白い。最大の収穫は、アレクセイ・トルストイの「吸血鬼の家族」でした。ルーマニアとウクライナの間、モルダヴィア(モルドバ)に伝わる「ヴルダラーク」の物語。死者が墓から抜け出して、自分の村に戻って来るのです。そして迎え入れた家族や友人の血を吸うのです。それは伝染病のように拡がり、やがて村全体が滅んでしまうのです。現代の「ゾンビ」、いや、キングの『ペット・セマタリ』の味わいに近いです。
posted by 行人坂教会 at 22:58 | 牧師の書斎から

冬の光に

1.光の教会

教会建築に関心を持っている人なら御存知かと思いますが、茨木春日丘教会(大阪教区北摂地区)は、有名な建築家、安藤忠雄が設計した礼拝堂です(1989年竣工)。建築業界では「光の教会/The Church of the Light」として知られています。この設計によって、安藤は、1996年に「国際教会建築賞」を受賞するに至ったのです。

安藤の手掛けた教会建築では、その他に「風の教会」(1986年)と「水の教会」(1988年)が有名です。「風の教会」は、神戸の「六甲オリエンタルホテル」庭園内に建てられた結婚式専用チャペルです。「水の教会」もまた、北海道の「星野リゾート『トマム』」内の結婚式場です。安藤の「教会三部作」と言われますが、礼拝のために使われているのは「光の教会」だけです。「風の教会」に至っては、「オリエンタルホテル」営業終了のために、辛うじて建物だけが残っている状態です。

その「光の教会」に、私も一度だけ行ったことがあります。当時、私は大阪の教会の副牧師をしていましたが、主任牧師の御母堂の葬儀に参列したのでした。1991年の春には、大阪の教会を離任して、宮崎県の教会に赴任しましたから、1990年か1991年初めのことでしょう。完成後間もない「光の教会」だったはずです。

安藤忠雄と言えば、コンクリート打ちっ放しの壁です。フラットな礼拝堂に入ると、真っ正面のコンクリ壁には、上から下まで、右から左までスッパリと潔く、細長い十字架状にスリット(切り込み)が入っています。これが光の十字架なのです。世間に流布した写真などでは、そのスリットから光が入って来て、十字架が輝いているのですが、実際には、そんなに都合良く光が照るはずも無く、とても薄暗い印象を受けました。

2.水の教会

後日、茨木春日丘教会の牧師に聞いたところによると、そこで礼拝を始めた直後は、余りにも暗くて聖書や讃美歌の文字が見えず、天井の照明を付け足したとの由。もっと驚いたのは、当初の設計では、十字架のスリットにガラスは入って居らず、吹きさらしであったそうです。そこから風が入って来て、信徒が寒さに耐えつつ、身を寄せ合いながら祈ることが構想されていたそうです(笑)。

安藤忠雄の構想には、思わず吹き出してしまったのですが、教会建築という事柄に対する彼なりの設計理念があったのです。これが「作家性」というものかと思い知りました。毎週の主日礼拝を守っている牧師や信徒からは、凡そ生まれ得ない発想です。また、構想の過程で「それだけは困ります!」と慌てふためいている、教会の建築委員たちの当時の様子も想像して、不謹慎ながら、ほくそ笑んでしまいました。

そう言えば、「トマム」の「水の教会/Chapel on the Water」も、前面が巨大なガラス扉(と言うか、窓)に成っていて、それをスライディングして開くと、付近の小川から水を引いたという人工池があり、その中に白塗り鉄骨の十字架がドカンッと立っているのです。その池(水深15センチだそうです)が、このチャペルの祭壇に当たる訳です。池の周りは白樺の森と成っています。

私としては「トマム」のHPとBoAのミュージックビデオで見ただけですが、結婚式を司式するにしても、牧師としては、やりにくそうな気がしました。恐らく、誓約式では、司式者は脇に退いて、新郎新婦だけが前に進み、十字架と対面しつつ、互いの愛を誓い合うというコンセプトなのでしょう。

「祭壇は神聖な場所で、人が足を踏み入れるべきではない聖域」という設計理念なのだとか…。「御神域」なのですね。十字架は立てられてはいるけれども、どちらかと言うと、神道の考えに近いのでしょう。そう言われてみれば、厳島神社の大鳥居のようでもあります。つまり、神域そのものが神の「依り代」、神の宿る場所なのです。多分「水の教会」では、あの人工の池の上に、神が降臨するのでしょう。

水と光、森と風に触れて「自然と対話するチャペル」なのだとか…。やはり、冬季でも天候さえ良ければ、式のクライマックスにガラス扉を開け放って、雪に覆われた池(御神域、依り代)に対面させるはずです。花嫁もドレス次第では寒い思いをするでしょう。きっと、こういう所から、「光の教会」の十字架スリットはガラス無し、吹きさらしという構想も出て来たのです。それこそ、新郎新婦も「身を寄せ合いながら祈る」べきなのでしょう。

3.海の教会

因みに、上記「教会三部作」とは別に、安藤忠雄には「海の教会」(2000年)もあります。こちらは兵庫県「淡路島夢舞台」の一角にある「ウェスティンホテル淡路」の結婚式専用チャペルです。天井に十字架状のスリットが入っていて、見事なまでに、そこから入る光がチャペル正面の壁に十字架形の「影ならぬ光」を落としています。

チャペルから階段を昇って屋上に出ると、カリヨンが設置されていて(多分、結婚式の終了後に新郎新婦が鳴らすのでしょう)、そこから瀬戸内海を一望することが出来るようです。しかしながら、私には、もはや「光の教会」の自己模倣のようにしか見えません。どんな事情があったのかは知りませんが、「水の教会」のように大胆に、チャペルから直接に海を臨むという設計は難しかったのでしょう。

ともかく、冬の陽射しの中に包まれると、私は今でも「光の教会」を思い出します。打ちっ放しのコンクリート壁にスリットがトレードマークですから、やはり、夏の暑さではなくて、冬の隙間風の寒さこそが、安藤忠雄の建築には似合っているような気がしてなりません。安藤も寒風に震えながら、冬の光を見詰めた日々があったのかも知れません。

牧師 朝日研一朗

【2020年2月の月報より】

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