2020年02月25日

2020レント〜イースター案内

2020年のレント〜イースター案内です。


レント〜イースター案内のパンフレットの表紙

朝日牧師メッセージ

レント〜イースターの諸行事スケジュール

中止のお知らせ

4月9日の洗足木曜日礼拝は中止となります。
4月12日のイースター(復活日)主日礼拝での聖餐式は行われません。
また同日予定のイースター愛餐会は中止いたします。


posted by 行人坂教会 at 16:13 | 教会からのお知らせ

3月第1主日礼拝(レント第1主日)

       3月 1日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 ”苦しみと恵みのブレンド” 音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  フィリピの信徒への手紙 1章27〜30節(p.362)
讃 美 歌  27、311、490、315、297、78、89
交読詩篇  詩編107編1〜16節(p.123)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2020年02月24日

イエスの名、イエスの道【使徒言行録19:1〜10】

聖句「人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り…」(19:5,6)

1.《飼い犬の名前》 ペット専門の保険会社の調査によると、人気ランキングではメスは「モモ」、オスは「レオ」、総合は「ココ」と成っていました。戦前から戦後の昭和時代には「エス」という名前が流行しました。明治時代の讃美歌集では、イエスさまを「ヱス」と記載していました。これが何十年かの歳月をかけて日本国中に拡がり、飼い犬の名前として定着したのかも知れません。

2.《イエスの名前》 カトリック教会では「イエズス」、正教会では「イイスス」と祈られています。日本ですら教派によって異なるのです。英:ジーザス、西:へスース、仏:ジュジュ、伊:ジェズ、独:イェーズース、亜:ヤスエ、中:イェースー(耶蘇)、韓:イェスと、言語によっても異なるのです。新約聖書(ギリシア語)ではイエスースですが、ヘブライ語はヨシュア(イェーシューア)です。斎藤緑雨の川柳「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」が思い出されます。

3.《主の霊の御業》 大切なのは名前の発音ではなく、「イエスの名によって」祈ることです。そこにイエスさまの人格と霊が宿っているのです。御生涯と十字架が掛かっているのです。独りで祈るのではなく、主の名によって集まり、心を合わせて共に祈る時、祈りの力が発現するのです。私たちは「イエスの名によって」洗礼を受け、今や彼の所有とされ、保護下にあります。聖霊なる主が、どんな時にも私たちと共に居られるのです。その意味では、毎日、どの瞬間も特別なのですが、生活者でもある私たちはルーティンに成らざるを得ません。しかし、そんな私たちでも「イエスは主である」と告白するのです(「コリントの信徒への手紙T」12章3節)。それが御名によって祈ることです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:08 | 毎週の講壇から

2020年02月18日

2月第4主日礼拝

       2月23日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”イエスの名、イエスの道音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  使徒言行録 19章1〜10節(p.251)
讃 美 歌  27、118、490、183、107、88
交読詩篇  詩編109編21〜31節(p.128)

・讃美歌練習(3月の月歌:311番)  礼拝後     礼拝堂

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2020年02月17日

Game Over?【ヨハネ13:36〜38】

聖句「イエスが答えられた。『わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。』」(13:36)

1.《ペトロの忠誠》 自らが「去っていく」ことを予告するイエスに、「主よ、どこへ行かれるのですか?」と食い下がるペトロ。だがイエスは「ついて来ることはできない」とあしらう。納得できないペトロは「あなたのためなら命を捨てます」とまで言ってみせるが、イエスは彼の裏切りを予告する。その結末を、既に我々は知っている。しかし私は、彼の忠誠が偽物であったとは思わない。

2.《必然的な敗北》 ペトロは心からイエスを信じて、彼のために尽くすことに喜びを感じていたに違いない。だが、その喜びは唐突に奪われた。そのとき、彼は気付いたであろう。自分には何もないということを。たとえ彼が命を捨てたところで、イエスを救うことはできない。彼は良い時しか見ていなかった。イエスによって社会を正しい方向へ導くという使命感と高揚感が、彼の燃える忠誠の源であった。しかし、全ての人間は既に神の愛の中にいるというイエスの教えを真に理解していなかった。彼の敗北は、イエスにしてみれば必然であった。

3.《敗れざるもの》 しかしイエスは、彼が「後でついて来ることになる」とも告げる。彼はいずれ、その胸に真理を宿し、神の愛を本当の意味で知ることになる。ペトロがイエスの死後、復活の証人となり、エルサレム教会の指導者を担ったことは確かである。厳しい迫害の中、宣教に努めた。彼は再び自らに敗北することはなかった。それはきっと、彼が自らの弱さを受け入れたから、イエスが既に彼の弱さをも受け入れていたことも悟ったからだと、私は想像する。イエスは彼の敗北を予見しながらも、それを受け入れ、なお彼が立ち上がり、自らについて来ることを期待した。これが神の愛である。

池内 裕牧師(金沢八景教会)

posted by 行人坂教会 at 20:54 | 毎週の講壇から

2020年02月11日

2月第3主日礼拝(同信会「礼拝交流」)

       2月16日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”Game Over ?音楽  池内 裕牧師(金沢八景教会)
聖  書  ヨハネによる福音書 13章36〜38節(p.196)
讃 美 歌  27、118、490、294、218、88
交読詩篇  詩編109編21〜31節(p.128)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2020年02月10日

信仰のない私が信じます【マルコ9:14〜29】

聖句「その子の父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のないわたしをお助けください。』」(9:24)

1.《逆説的な真実》 聖書の世界、イエスさまの御言葉は「逆説」に満ちています。例えば「寡婦の献金」の記事では、賽銭箱に1万円を入れる金持ちよりも、50円を献げた寡婦が一番多く奉げたと、主は言われます。明らかに一般的な貨幣価値に反しますが、「彼女は生活費全てを入れた」との真理に私たちは胸打たれるのです。主の示す真実は、私たちの固定観念を木っ端微塵にするのです。

2.《パラドックス》 論理学では「ドクサ/正しい見解」+「パラ/それに反する見解」の合成語で「背理」と言います。しかし、ギリシア語の語源から考えると「私たちの予想を超えた、期待を裏切る」意見です。実際、義人が非とされ、罪人が義とされる逆転が語られるのです。例えば、この父親の叫び「信じます」は信仰告白ですが、それに続く「信仰のない私」は不信仰の告白です。しかし、この信仰の逆説こそが真骨頂です。信仰とは、自らの不信仰を御前に曝け出して神の愛と赦しを乞うことではないでしょうか。

3.《信仰と不信仰》 弟子たちに息子の病気を癒して貰えなかったからでしょうか、この父親は「お出来になるなら」と余計な一言を加えて、イエスさまの逆鱗に触れたかのように訳してあります。しかし「ベザ写本」では「あなたさえ信じることが出来れば」と、父親に信ずるよう促しているのです。それに応えて、父親は「信じます」と叫んだのです。但し、揺るがぬ信仰など持ち合わせていませんから、同時に「この不信仰の故にお助け下さい」とお縋りするより他はなかったのです。「私共をお助け下さい」が「私をお助け下さい」に変化しています。自らの不信仰を曝け出して、救いを求めることが肝要です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:54 | 毎週の講壇から

2020年02月04日

2月第2主日礼拝

       2月 9日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”信仰のない私が信じます” 音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  マルコによる福音書 9章14〜29節(p.78)
讃 美 歌  27、118、490、460、401、88
交読詩篇  詩編109編21〜31節(p.128)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2020年02月03日

人生のローラーチェーン【ローマ5:1〜11】

聖句「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」(5:3,4)

1.《七人の敵が》 その昔「男は敷居を跨げば七人の敵あり」と言われたものです。世間の厳しさを諭す諺ですが、夫が妻子を捨て置く際の方便に使われて来たように思います。加納朋子の小説『七人の敵がいる』では、勝気なヒロインが行く先々で波風を立ててしまいます。同調圧力の強い日本社会では、意見の対立を怖れる余り、個人は何も言えずに我慢する習慣が身に着いてしまいます。

2.《摩擦と圧迫》 日本社会でキリスト者に成ることは、ある意味、波風を立てることです。周囲の無自覚な同調圧力と、その都度、対決を余儀なくされます。この社会では、他の人と同じことをしないで、自分で自分なりの生き方や行動を探そうとすると、何かと苦しいのです。しかし、この苦しさこそが大切です。「苦難」と訳されているのは「圧迫、摩擦」です。「忍耐」は「敢えて、その下に留まる」ことです。「練達」は「実証実験、本物であることの証明」です。信仰者と成るために、摩擦や圧迫を受けて悩むことが求められているのです。

3.《和解の務め》 確かに「苦難、忍耐、練達、希望」は連鎖(チェーン)ですが、人間の努力や業績によって希望に至る階段ではありません。先に希望が与えられているのです(2節)。自転車やバイクのローラーチェーンと同じく、十字架の主から頂いた希望が原動力と成り、信仰者の人生を回しているのです。神と和解させて頂いた(10節)私たちには、イエスさまに倣って、敵対の壁を取り払う「和解の務め」が与えられています。多数が少数を呑み込んで同化するのは暴力です。互いに異なる者たちを、同じ神の子として和解させ、本当の平和を目指して行くのが、真の回復であり復興なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:55 | 毎週の講壇から

2020年02月02日

創立記念礼拝と愛餐会

創立記念礼拝

20200202創立記念礼拝

愛餐会

20200202愛餐会
posted by 行人坂教会 at 20:48 | 教会アルバム