2020年03月17日

3月第4主日礼拝(レント第4主日)

       3月22日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”こんじゅげ” 音楽         朝日研一朗牧師
聖  書  コロサイの信徒への手紙 3章12〜17節(p.371)
讃 美 歌  27、311、490、222、104、89
交読詩篇  詩編107編1〜16節(p.123)

・讃美歌練習(4月の月歌:572番)   礼拝後   礼拝堂

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2020年03月16日

あなたを友と呼ぼう【ヨハネ15:11〜17】

聖句「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」(15:15)

1.《友の雑誌》 羽仁もと子が創刊した「婦人之友」こそは「…の友」と銘打たれた雑誌の嚆矢でしょう。「主婦の友」「少女の友」「女学生の友」「少女フレンド」「母の友」「こどものとも」「映画の友」「音楽の友」「愛犬の友」「愛鳩の友」「アジアの友」「学習の友」「信徒の友」「家庭の友」…。「友」の誌名の背景には「あなたは独りではないよ」とのメッセージが感じられます。

2.《信仰の友》 つまり「友」の背景には孤立や疎外の現実があるのです。女性たちは家庭に閉じ込められて孤立していました。現代でも、子育て中の母親の孤立が言われます。キリスト者も社会や家庭の中で孤立しています。「友」は会意文字で右手で右手を庇う象形だそうです。「困った時こそ真の友」と言います。この諺は「確かな友は不確かな状況の中でこそ見極められる」(エンニウス)が出典です。これを受けてキケローは「真の友は稀である」と言いました。実際、ラテン語でもギリシア語でも「友」は「愛する」から来ているのです。

3.《友の証し》 イエスさまは「互いに愛し合う」ことが「私の掟」と仰いました。信仰生活には「信仰の友」が必要です。キリスト信徒にとって世間の風当たりは厳しいものですが、教会に行けば、肩身の狭さを共感し合える仲間がいるのです。現代において、この共感力が最も大切です。十字架を背負う生き方を学ぶ私たちですが、己を空しくすることは困難です。そんな弱さを抱えながら生きる私たちを、主は「友」と読んで下さいました。その上で「あなたがたを選んだのは私だ」と仰るのです。十字架は私たちの自己犠牲ではありません。むしろ、私たちに対するイエスさまの友情の証しなのです。

朝日研一朗牧師

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2020年03月10日

3月第3主日礼拝(レント第3主日)

       3月15日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”あなたを友と呼ぼう” 音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 15章11〜17節(p.199)
讃 美 歌  27、311、490、440、493、89
交読詩篇  詩編107編1〜16節(p.123)

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2020年03月09日

謝罪の神さま【使徒言行録11:1〜18】

聖句「すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。」(11:9)

1.《人間の心》 聖書、とりわけ旧約を読むと各文書の多様性に驚かされます。律法あり歴史物語あり、詩あり小説あり、預言書ありです。どのような歴史的背景があり、どのような文脈で語られているか吟味が必要です。いずれも神を証する文書であることは確かですが、証し人も時代状況も異なりますから、自ずと神さまのイメージも違います。人間の心がそれを映し出しているのです。

2.《神の御心》 聖書の神さまには、時折り驚かされることがあります。例えば、教科書的に「全知全能、唯一絶対の神」と教えられていますが、その神が「後悔なさる」のです。ヘブライ語の「後悔する」には「慰められる」の意味もあります。弔問客の「お悔やみ」に遺族が「慰められる」構図と同じです。民を滅亡させようとする時、神さまが思い直したり、悔いたり為さるのですが、それは人間に対する慈しみの故です。一旦決定した計画を変更できずに、破滅に向かうのを「コンコルドの誤謬」と言いますが、それこそは人間の業なのです。

3.《ブレーキ》 私自身も、子どもたちに暴言を吐くことが多かったのですが、思い直して謝ることを学びました。悪かった時には「悪かった」と素直に謝れる親であることが大切です。それが最大の愛情表現であり、尊厳なのです。私たちが守ろうとしているのは、大抵、面目なのです。ペトロはエルサレム教会の指導者でありながら、ユダヤ教の律法に追従した過去を悔いて、無割礼の異邦人に洗礼を授けて、同じ信仰者と認めました。教会も公認しましした。神の権威は「光輝き」、即ち、礼拝にあっての「臨在」です。「主は生きておられる」「共におられる」事です。イエスさまの力は、愛する力、赦しの力です。

朝日研一朗牧師

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2020年03月03日

3月第2主日礼拝(レント第2主日)

       3月 8日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”謝罪の神さま ” 音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  使徒言行録 11章1〜18節(p.234)
讃 美 歌  27、311、490、314、544、89
交読詩篇  詩編107編1〜16節(p.123)

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2020年03月02日

苦しみと恵みのブレンド【フィリピ1:27〜30】

聖句「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」(1:29)

1.《旨味と苦味》 甘味、塩味、酸味、苦味が4大味覚とされて来ましたが、近年これに日本由来の旨味の存在が加えられました。旨味は「風味、心地良さ」に通じます。苦味とは正反対です。苦味は文字通り苦しみに通じます。しかるに、人間は味わいの1つとして認識して来たのです。他の味覚とブレンドすることによって、苦味をコク、深みある味わいとして受け止めて来たのです。

2.《恵みに与る》 恵みは旨味に通じます。上からの特別な恩顧を受けることなのですが、パウロは獄中から「キリストの苦しみに与ることで恵まれる」と訴えるのです。彼の「戦い」(苦闘、苦悶、不安)を知って応援してくれたフィリピの信徒たちの「共闘、連帯」に感謝しているのです。サルトルなら「アンガージュマン/参与」と言うかも知れません。自ら主体的に、この世界に働き掛けて行こうとする姿勢です。そこで初めて「恵みに与る」という事が起こって来るのではないでしょうか。信仰から一歩踏み出した生き方なのです。

3.《交じり合う》 珈琲にもウイスキーにもブレンドがあります。ブレンドすることで異なる個性の味わいが引き立つのです。同調圧力の強い社会ですから「反対者」との摩擦に悩むこともあります。しかし、私たちには信仰の仲間がいます。何よりキリストが共に居られます。苦闘かも知れませんが、共闘なのです。そこから恵みや喜び、感謝や賜物が生まれるのです。アイザック・ウォッツ作詞の讃美歌「栄えの主イェスの」にあるように「恵みと悲しみ」は交じり合って流れて来るのです。私たちの弱さも信仰と交じり合っています。自らの中にある苦さも、主の恵みと溶け合い、人生の味わいを生み出して行くのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:53 | 毎週の講壇から