2020年03月29日

疫病をおくるのは神か悪魔か

1.ペオルのバアル

旧約聖書「民数記」25章に「ペオルにおけるイスラエル」という物語があります。

エジプトを脱出したイスラエルの民は、モーセに率いられて「約束の土地」を目指しますが、その途上、死海北東のモアブ平野の町「シティム/Shittim」に宿営します。モアブの住民たちは(恐らく、純粋に歓迎の意図だったでしょう)イスラエルの民を祝宴に招きます。しかしながら、古代人の食事は、自分たちの神々に犠牲を捧げて、その相伴に与ることを意味します。つまり「神人共食儀礼」です。

彼らが犠牲を捧げた現地の神は「ペオルのバアル/Baal-Peor」と言いました。「バアル」はカナン地方全体で広く信仰されていた神です。ギリシア神話のゼウスと同じく、雷と雨を司る主神です。そもそも「バアル」は「主」とか「神」という意味です。地方ごとに色々な「神/バアル」が崇拝されていたようです。「ペオル」は「開く」の意味で、人身御供に処女が捧げられていたとも言われます。イスラエルの民が「ペオル神」の儀式である会食に参加したことに対して、主なる神(ヤハウェ)は激怒して、モーセに「民の長たちをことごとく捕らえ、主の御前で彼らを処刑し、白日の下にさらしなさい」と命じます。

ところが、この物語には、もう1つの異なる伝承(異伝)が重なって錯綜しています。主なる神は、イスラエルの民が異民族との「雑婚」によって、他の神々を拝むようになったことに憤り、民の上に何等かの「災害」を下したようです。その渦中、モーセと民が嘆き悲しんでいるのを尻目に、あるイスラエル人男性が異教徒のミディアン人の女性(モアブ人ではなくなっています)をテントに連れ込んで同衾していたのです。すると、祭司の家系であるピネハスが槍を取り、交わっている男女を串刺しにします。「それによって、イスラエルを襲った災害は治まったが、この災害で死んだ者は2万4千人であった」(「民数記」25章8〜9節)と、物語は結ばれているのです。

2.ベルフェゴール

新型肺炎コロナウイルスによる世界の死者数が1万人を超えた時、この「民数記」の物語を、私は思い出しました。「2万4千人」という死者数がリアルに感じられたのです。

「民数記」には「イスラエルを襲った災害は治まった」と書いてありますが、その肝心の「災害」が何であったのかは、なぜか書かれていません。しかし「災害」と訳されている「マンゲーファーハ」は、現代ヘブライ語では「疫病、伝染病」を意味します。そもそも、旧約聖書の「怒りの神」が民に下す神罰は、@疫病、A飢饉(旱魃)、B剣(異民族の攻撃)の3段階に成っているのです。その中で一番ポピュラーな災いが「疫病」なのです。これは深刻さの順位ではなく、頻発した順位ではないかと、私は考えています。古代社会の民は、それだけ数多く疫病の流行に悩まされたということではないでしょうか。

さて、カナンの神「ペオルのバアル」は転訛して「ベルフェゴール/Belphégor」という悪魔に矮小化されました。ベルフェゴールは、キリスト教の悪魔学では「怠惰の化身」とされています(怠惰は「七つの大罪」の1つ)。ユダヤの密教「カバラ」では、彼は元来「生命の樹/セフィロート」の第6番目の「セフィラー/球界」、即ち「ティフェレト/美」を支配する天使でしたが、ルキフェルと共に天界を追放されて、見るも醜悪な悪魔と成り果てたとされています。但し、男性を誘惑する時だけは、美少女の姿で現われるそうで、その辺り、かつて「美」を支配した余韻があります。

ベルフェゴールへの捧げ物は排泄物とされています。その伝承から来ているのでしょう、19世紀フランスの作家、コラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』では、穴の開いた椅子(トイレの便器)に座っているイラストが付されています。そのイメージに加えて、出典とされる「民数記」25章の「疫病」とが混淆したのでしょう、やがて「疫病をもたらす悪魔」と言われるように成ったのです。

3.蝿王ベルゼブル

これと似た例として、旧約聖書「列王記下」1章に名前の出て来る神「バアル・ゼブブ/Baal-zebub」があります。南北朝時代の北王国の王、アハズヤが病気に成り、地中海沿岸のペリシテ人の都市国家エクロンで崇拝されている神、バアル・ゼブブに「この病気が治るかどうか」伺いを立てよと、使者を遣わしたのです。この時も、主なる神(ヤハウェ)は「イスラエルに神がいないとでも言うのか」と怒って、預言者エリヤをアハズヤ王の宮殿に遣わして、王の死を予告させるのです。これまた身も蓋も無いお話です。

本来は「バアル・ゼブール/住居の主」という名前の神を、「列王記」の記者が揶揄して「バアル・ゼブブ/蝿の主」と言い換えたようなのです。新約聖書の時代には、悪霊の名前として定着していたようで、共観福音書では、イエスさまが「悪霊の頭ベルゼブル」と言って居られます。そんなこんなで、地獄を支配する巨大な蝿の姿で表現されるように成ってしまったのです。英国のノーベル賞作家、ウィリアム・ゴールディングの名作『蝿の王』(Lord of the Flies)の題名の由来です。その蝿の姿から「疫病をもたらす悪魔」とされています。

現代社会では、さすがに悪魔や悪霊が疫病をもたらすとは考えません。しかし、パンデミックのような災厄を前にして、何等かの神罰では無いかと感じてしまうのも事実です。人間は目に見えないもの(細菌やウイルス)を恐れて、同じく目に見えない悪魔や悪霊、あるいは鬼神(怒りの神、荒ぶる神、祟り神)のせいにするのです。

私たちの主、キリストは「多くの痛みを負い、病を知っている」(「イザヤ書」53章3節)と告白されています。病(神罰)を人間にもたらすのではなく、病者の痛み苦しみを共に負われる神、病者に寄り添い、看取り、お癒しになる神なのです。

牧師 朝日研一朗

【2020年4月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など