2020年04月24日

教会の庭の花壇

今、教会の庭の花壇には、子どもたちが2月、3月に蒔いた種、植えた苗が花開 いています。

教会の庭の花壇_1  
教会の庭の花壇_2
posted by 行人坂教会 at 14:00 | こどもの教会「あんず」

2020年04月07日

教会からの重大なお知らせ Bulla Pastoralis

主日礼拝、諸集会休止のお知らせ

主の御名を賛美します。

皆様も報道で御存知かと思いますが、去る4月7日、日本政府は、首都圏のコロナウイルス感染拡大防止のため「緊急事態宣言」を発表しました。所謂「ロックダウン/都市封鎖」や「外出禁止命令」を伴うものではありません。しかしながら、これ以上、教会としての集会を続けることは、予防医学の観点からは勿論ですが、道義的にも難しいと判断せざるを得ませんでした。

6日、役員全員の賛同を得て、ここに苦渋の決断をいたしました。

行人坂教会における主日礼拝、CSこどもの礼拝(教会学校)、聖書と祈りの集い、受難日祈祷会、委員会活動、団体活動を、しばらくの間、すべて休止いたします。休止期間、及び活動再開につきましては、「緊急事態宣言」解除を目安として、改めて判断させていただきます。

アジア・太平洋戦争の戦時下においても、私たちの先達は日曜日の礼拝を守って参りました。関東大震災において会堂を消失した際にも、会員のお宅を転々としながら、礼拝は続けられたと聞いています。このような決断に至ったことは、大変に残念でなりません。天上の先達に対しても申し訳なく思います。

会員と教友、その御家族の皆様の上に、天来の御守りがありますように、心よりお祈り申し上げます。主が「羽をもってあなたを覆い/翼の下にかばって」くださいますように。「暗黒の中を行く疫病」からも「真昼に襲う病魔」からも、あなたたちを守ってくださいますように(詩編91編4〜6節)。

そして、病苦に悩む全ての患者の上に主の御癒しが、苦闘する全ての医療従事者の上に主の御導きと御恵みがありますよう、お祈り申し上げます。皆様も心を合わせて、御一緒に事態の収束をお祈りして参りましょう。

2020年4月7日(火)        日本基督教団 行人坂教会 牧師 朝日研一朗

posted by 行人坂教会 at 18:50 | 教会からのお知らせ

2020年04月06日

苦しんでいる所に、私もいる【マタイ16:21〜28】

聖句「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(16:24)

1.《聖十字架伝説》 人類の祖アダムが臨終に際して、息子セトをエデンの園に遣わして持ち帰らせた「命の木」の小枝から三聖木が育って、それが十字架の木材に使われたという伝説があります。あるいは、ノアの箱舟の竜骨、燃える柴、モーセの杖、ソロモンの橋を経て、十字架の木材と成り、コンスタンティヌス大帝の母后ヘレナが発見して、聖遺物とされたとの伝説もあります。

2.《ウィルトゥス》 聖遺物は中世の人々にとって崇敬の対象でした。神の御力が宿り、それに触れる者にも見る者にも、保管した容器や安置した場所にすら、ウイルスのように聖性の力(ウィルトゥース)が伝染すると信じられていたのです。近年、寺社巡りで「パワースポット」「パワーが貰えた」と語られるのと同じです。何の信者であろうと無かろうと、誰もが幸せを求めて、聖なる力に頼ります。十字架にも聖なる力があると信じられていたのです。教会に掲げられた十字架も単なる目印ではなく、主の御守りを願っての物です。

3.《見よ十字架を》 しかし本来、十字架は苦しみと不幸の象徴でした。日本社会では、不幸や死を厄として払い、蓋をしてしまいますが、「割れ鍋に閉じ蓋」と言わざるを得ません。どんな人の人生にも必ず十字架があるのです。それを捨て置いたり、他人に背負わせたりするのではなく、自らが取り上げて携え行くのが人生です。「自分を捨てる」は「自らを否認する」です。ペトロがイエスさまを否認してしまうことを予告しています。イエスさまと自分は「関係が無い」と言うのではなく、イエスの十字架を認め、十字架を見上げることが求められています。「あなたが苦しむ所に、私もいる」と主は言われます。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:54 | 毎週の講壇から